BY KURT SOLLER, PHOTOGRAPHS BY RICARDO LABOUGLE, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA
「この町はゲイに人気があるんだよ」。白ワインを片手に、ヤコポ・エトロは語る。
9月の午後、彼のパートナー、シチリア出身のアレッサンドロ・ジェンドゥソはテニスに行き、ふたりの娘で5歳のロベルタはナニーと一緒だ。「物価も高くないし、ビーチが最高だからね」。現在61歳のエトロは、一年のうち数週間をイタリアのサレント半島(ブーツのかかとのあたり)の南側、ここマティーノという小さな町で過ごす。彼いわく、このあたりでは誰もが、毎朝その日の風向きを確認して、半島東側のアドリア海で泳ごうか、それとも南側のイオニア海がいいかと考える。彼自身は最近は行かないが、海岸線に沿ってクルーズを楽しむ定番スポットもある。丘の上の城や農園はローマやミラノなどヨーロッパの都市から来るゲイたちがホテルやゲストハウスとして利用しているし、外国の要人がお忍びで週末を過ごす別荘もある。人気の理由は物価とビーチだけではない。この地域は20年前から左派勢力が強いのだ。プーリア州知事ミケーレ・エミリアーノは「とてもゲイフレンドリー」だという。2015年まで10年にわたり知事を務めたニキ・ヴェンドラも同性愛者で、ゲイを公表したイタリア初の政治家のひとりだ。ただし「住民にギリシャの影響があるのも理由じゃないかな」とエトロは突飛な説を笑顔でつけ加え、この地域が紀元前8世紀にギリシャの植民地だった点を指摘した。「バイセクシュアルの人が多くて、結婚後も両方で生きてるんだ」
プーリア主要都市のひとつ、バロック様式の街並みで有名なレッチェから2時間ほどの距離に、30ほどある中世の趣が残る町のひとつであるマティーノは、プライバシーが守られ、美しい建築物があり、ゆったり過ごせて文化もリベラルだ。エトロと、48歳の医師ジェンドゥソはミラノ在住だが、2018年からここに通っている。貴族の邸宅を改装した彼らの別荘があるからだ。広さは約600㎡、2階建てで屋根が張り出したテラスからは近隣の白漆喰の家々の向こうに広がる海まで見渡せる。建物の構造はほぼ17世紀のもので、一部が19世紀に改装され、この50年近く誰も住んでいなかった。「先住者が台なしにしなかったのは幸運だった。こういう家を手に入れた人は決まって無粋な改築をしてしまうものだから」。たとえば天井高約5.5mのドーム型広間に中2階を加えて分断したり、モダンなレイアウトに変更してバスルームつき客室を増やした可能性も考えられる。
エトロはそうはしなかった。部屋はすべてそのままだ。少なくとも今のところは、昔ながらの領主の館を「ほぼ当時の状態」で維持している。数世紀前の富裕層が住んでいたこの邸宅は、娯楽の場所とくつろぐ場所が分かれていて、使用人の部屋も別だ。各階はリビングと廊下と階段と控えの間が迷路のようにつながっている。食事エリアは冬用、夏用、屋外の3つ。椅子とテーブルを配したラウンジが複数あり、来客用寝室が3つ、フォーマルなダイニングルームもひとつ。エトロたちと娘がテレビを見たり眠ったりするのは別棟だ。改築にあたり、「この地域で最高の職人たちを知っている」ルチア・カタルディという地元の女性建築家を起用した。彼女は、1階の冬用食事エリアへの出入りを楽にするため、元あった壁を1カ所だけ取り壊し、邸宅内にある多くの木彫りの扉と完璧に合う扉を2枚設置した。電気系統、照明、配管は新しくしたが、作業の大半は過去の破損を直しただけだ。アーチ型と格子状の天井の数十年分の塗料と漆喰をはがしたとき、薄紫と淡いブルーとローズピンクで彩色された精巧な装飾が現れたことが、最大のサプライズだった。
修復にかかった期間は2年。イタリアでは、緊急でない限り歴史的建造物保全活動に非常に慎重で、レッチェ市当局から改築の承認を得るにもさらに6カ月を要した。「建物をほぼそのままにする計画だと知って、当局の人が驚いていたよ」
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