スペイン人の某映画監督は、新作の脚本を書き上げるのにふさわしい、静かな環境を探していた。そこで彼が見つけたのは、フィレンツェの丘の上にあるアパートメントだった。天井から床まで室内のすべてが茶色で、同色のカーペットが敷き詰められた不思議な空間。その物件は、かつて芸術家たちのパトロンとして名を馳せたメディチ家が所有していた「ヴィラ・ディ・マリニョッレ」という別荘の中にある

BY KURT SOLLER, PHOTOGRAPHS BY RICARDO LABOUGLE, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: イタリアのフィレンツェにある別荘ヴィラ・ディ・マリニョッレの中にある、映画監督のアルバート・モヤのアパートメントのために、建築家のギレルモ・サントマがデザインした、カーペット素材で覆われたダイニングテーブル。テーブルの下の間接照明の色とマッチするようにベルベット製の青いカーテンを配置している

イタリアのフィレンツェにある別荘ヴィラ・ディ・マリニョッレの中にある、映画監督のアルバート・モヤのアパートメントのために、建築家のギレルモ・サントマがデザインした、カーペット素材で覆われたダイニングテーブル。テーブルの下の間接照明の色とマッチするようにベルベット製の青いカーテンを配置している

 スペイン人の映画監督、アルバート・モヤは、芸術家の友人に会うために2年前にイタリアのフィレンツェを訪れた。ある有名なイタリア人作家が死去したのち、フィレンツェ郊外に巨大な邸宅が遺産として残され、それをモヤの友人一家が相続した。ひょんなことから、この友人は、誰も住んでいないその不動産の管理を任されていたのだった。モヤはその邸宅の近くにある、由緒あるホテル、トッレ・ディ・ベッロズグアルドに滞在していたが、そのとき、また別の、ちょっとあり得ないような(そしてかなり奇妙な)住居が空室になったという情報を耳にした。
 その建物は、フィレンツェの南西に位置する丘陵地にあった。この地域は静かで、街というよりも郊外のような雰囲気が漂い、ドゥオーモ(大聖堂)を見渡せる眺望を求めて、多くの世帯が住居を購入してきた場所だ。そこで、モヤはその物件を見に行ってみることにした。「この土地に住む人間なら誰もが、目を皿のようにして空室を探しているんだ」。モヤは昨年12月のある寒い朝に、エスプレッソを飲みながらそう言った。「空いている物件なんて、まず見つからない。だから、空室が出たと聞くと、誰もが興奮状態になるんだよ」

 34歳のモヤは、バルセロナ郊外の人口800人ほどの村で育ったが、大人になってからは、ほとんどの年月をニューヨークとパリで過ごし、ロエベやルイ・ヴィトンなどのラグジュアリー・ブランドに起用されてビデオを製作してきた。彼がファッション業界に足を踏み入れたのは、ほんの偶然だった。モヤが2012年に製作した短編映画『American Autumn(アメリカン・オータム)』を観たベルギー人デザイナーのドリス・ヴァン・ノッテンが、彼を最初に雇ったのがすべての始まりだった。この映画は、数人のニューヨークの子どもたちが、シュールな夕食会を開くという風刺あふれる内容だ。モヤがイタリアを訪れた目的のひとつは、彼の長編デビュー作となる映画の脚本を執筆するためだった。――「トピックは基本的に、3人の兄弟と、彼らの父を巡っての葛藤なんだ」――この題材は、ギリシャのアテネを拠点として活躍する脚本家のエフティミス・フィリップとモヤが、ふたりで話し合いながら温めてきたものだ。ちなみにフィリップは、ギリシャ人映画監督のヨルゴス・ランティモスと組んで製作した『ロブスター』(2015年)などの映画で知られている。
 

 モヤは当初、ワーキングホリデー期間をパリで終えたら、現地で定住を視野に入れて家を探す予定だった。だが、このおよそ230㎡の面積のアパートメントを見たあとは、フィレンツェにとどまり、ひとり静かな環境の中で、執筆することに決めた。この賃貸物件を見学したときのことを彼は「がらくたがたくさんあったが、誰もいなくて、がらんとしていた」と語る。さらに、このアパートメントを1970年代に購入し、最近までここに住み、現在もこの物件を所有しているイタリア人の元サッカー選手については「素晴らしいセンスの持ち主で、空間と建築に精通している」と称した。 
 この空室は、かつてメディチ家が所有していた14世紀のトスカーナ建築の別荘、ヴィラ・ディ・マリニョッレを1950年代に4つのアパートメントとして区分けしたうちのひとつで、日あたりのいい2階にある。ちなみに天文学者のガリレオ・ガリレイは、芸術家たちのパトロンだったメディチ家がこの邸宅を17世紀に最終的に売却するまで、何度かここに滞在していた。この建物の天井には、ルネサンス時代のフレスコ画が今もそのまま残っており、樫(かし)材でできた窓枠や扉、イトスギの木々が豊かに茂る巨大な庭園なども当時のままに維持されている。
 

画像: モヤとサントマは多目的リビングルームの中に別々のコーナーをしつらえた――リラックスできるラウンジ、映画の映像編集をする場所、そして中2階部分はトレーニングのためのスペースだ。

モヤとサントマは多目的リビングルームの中に別々のコーナーをしつらえた――リラックスできるラウンジ、映画の映像編集をする場所、そして中2階部分はトレーニングのためのスペースだ。

 この建物の所有者は、そんな歴史の足跡にあえて対抗するかのように、光沢があり、かつ美しいさまざまな種類の木製のパネルを使ってほとんどすべての部屋の床を仕上げた。さらに木製の複数のアーチをつくって部屋を仕切り、ロフト状になっている二つの室内バルコニーの手すりも木製で統一した(訳註:バルコニーは通常、窓の外に張り出すようについているが、この物件では、ロフトにあたる空間自体が大きな室内バルコニーのような形状をしている)。
 およそ15m×4.8mの面積の巨大なリビングの両端には、ひとつずつ階段がついており、それぞれのロフトにつながるように設計されている。リビングの先には、寝室がひとつと、小さなキッチンとバスルームがある。「仕事柄、旅が多いから、何もない空間と、がらんとした質素な感じが好きだ。家にいるときは、落ち着いた雰囲気で過ごしたいから」とモヤは言う。「でも、この空間で暮らすには『すでにある木造部分をどう尊重すればいいのか?』ってことが、僕たちの課題だったんだ」

 モヤが決めた「掟」は「家具もほかのものも、何も置かないこと」だ。例外は、玄関ホールに並べられた数脚のシンプルなダイニング用の椅子だけだ。白樺の木でつくられたこれらの椅子は、コペンハーゲンを拠点とするデザイン会社フラマの製品だ。「とにかく、よけいなものが一切ないピュアな空間をつくりたかった」 
 メインのリビングのほとんどの空間を占めるのは、床がほかの箇所よりも少し低くくぼんでつくられている団らんのためのスペースだ。このスペースはモヤがここに引っ越してきたときからすでにあったが、彼は、このコーナーの端をぐるりと取り巻くように置かれていたソファを撤去し、ウール素材のカバーで覆われたクッションをいくつも配置した。異国から頻繁にこの地を訪れる友人たちと一緒に床にごろんと寝そべりながら、柱と梁(はり)でできた年季の入った7mの高さの天井を見上げて、ボーッと過ごすためだ。
 そんな来客たちのうちのひとりが、同郷である、スペインのカタルーニャ州出身の建築家、ギレルモ・サントマ(38歳)だ。モヤは彼とともにこのアパートメントをリモデルする計画を立てた。作業の最中に、モヤはサントマひとりをここに残して1週間ほど留守にした。
 モヤが戻ってきたときには、サントマが、ほとんどすべての空間を――ラウンジや、ダイニングルーム(そこに置かれた円形のテーブルや、丸くカーブした形のベンチも)、さらに、二つある中2階部分や、そこに続くそれぞれの階段や寝室の床に至るまで――モカ色のカーペットですっぽりと覆ったあとだった。蜂蜜色に輝く木製の床や窓枠とぴったり合う同系色のカーペットは、より柔らかく、心地よく感じられた。 
 モヤとサントマは、およそ6m×3.7mの広さの寝室の真ん中に、典型的なベッドの代わりに、低めのマットレスを設置し、白いアルパカの毛皮を毛布代わりにかけた。さらにマットレスの四方をすっぽり囲うサイズで制作したやや高さのある木製の枠を置き、その枠にカーペットと同じ茶色の布張りを施した。「寝室には、コンピュータとスマホは一切持ち込んではいけないというのがルールだ」とモヤは言う。壁の横にある祭壇の上に置かれた数本のキャンドルの灯りを眺めながら、モヤと来客たちがゆっくりと眠りに落ちることができるように。 
 だが、この寝室以外の空間は、休息よりも生産性に重きを置いてアレンジされている。バルコニーのひとつには、桃色の光を放つ植物育成用の電灯が置いてあり、大麻の栽培実験に失敗した形跡が残っている。そしてもう片方のバルコニーには、レトロな感じがするウェイト・リフティング用の設備があり、革製のサンドバッグと鉄製の黒いバーベルがある。

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