INTRODUCTION BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPHS BY RICHARD BARNES, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO
クアン“Q”グエン
シェフ。42歳。
ローワー・イースト・サイド在住。

マンハッタンのレストラン「Bufón」のシェフ、クアン “Q” グエン(左端)。その隣より、共同オーナーのジェイコブ・ナッス、「Kabawa」シェフのポール・カーマイケル、「Chez Fifi」シェフのザック・ザイドマン「Bufón」のもうひとりのシェフであるディナ・ファン、「Le Dive」ゼネラルマネジャーのカヒーム・リベラ、「Hellbender」シェフのヤラ・ヘレラ、「the Sunn」シェフ兼オーナーのサニー・リー。2026年1月5日撮影。
僕はもともと夜更かしするタイプだけど、レストランで働いていれば誰でも自然と夜型になるだろう。一日の営業がうまくいき、チームがピタリと息を合わせて最高の料理が出せた夜は、気持ちが高ぶってすぐ帰る気になれない。そんなときは景気マンハッタンのレストラン「Bufón」のシェフ、クアン “Q” グエン(左端)。その隣より、共同オーナーのジェイコブ・ナッス、「Kabawa」シェフのポール・カーマイケル、「Chez Fifi」シェフのザック・ザイドマン、「Bufón」のもうひとりのシェフであるディナ・ファン、「Le Dive」ゼネラルマネジャーのカヒーム・リベラ、「Hellbender」シェフのヤラ・ヘレラ、「the Sunn」シェフ兼オーナーのサニー・リー。2026年1月5日撮影。づけにみんなで軽く一杯飲みに行く。僕と仲間とで最近オープンしたのが、ヨーロッパ料理をベースにしたレストラン「Bufón」。サービスが終わったあとこの店は、ほかのレストランで働く仲間たちが集う
"家"になる。メンバーは「Corima」や「Colbo Next Door」で働いている友人たちで、みんなでいるとあっという間に午前2時を回ってしまう。それでもテーブルにはまだ12人くらい残っている。最近僕らがはまっているのが「Big Two」というカードゲーム。
料理の世界に入ったのは2010年。当時はミッドタウンにある「Má Pêche」で働いていた。仕事のあとは、まず近くのバー「Cassidy’s」に行き、さらに帰り道にあったコリアンタウンでよくカラオケもした。パンデミックのあと、街の活気はある程度、元に戻ったけれど、夜の街で知り合いと鉢合わせることは少なくなった。それに、仕事後にみんなで食事に行くという文化もなくなりつつある。仲間たちとよく行ったチャイナタウンの大衆的な中華料理店「Wo Hop」は、昔朝4時半まで開いていたのに、今は夜10時で閉まってしまう。「Bufón」を出たあとは、みんなでイーストビレッジにある行きつけのダイブバー(註:酒が安く居心地のよいバー)「Josie’s」に寄る。ここは朝4時まで開いているから。翌日また店を回さなきゃいけない身には正直こたえるけれど、こういう時間が楽しくて仕方ないんだ。
― interview by K.G.
アマンダ・ペルドモ
パティシエ。34歳。
フォートグリーン在住。

アマンダ・ペルドモ。ポップアップ・カフェを催しているブルックリンのレストラン「Strange Delight」にて、2026年1月9日撮影。
去年はウィリアムズバーグにある「Kellogg’s Diner」でパティシエを務めながら、そのそばのレストラン「JR & Son」でスイーツのコンサルタントもしていた。「Kellogg’s Diner」は24時間営業で、午前2 時頃に店を出ることもあり、夜型の生活には慣れていた。だが帰宅後は、身体はくたくたなのに頭だけが変に冴えて、なかなか寝つけないことがよくあった。今はフォートグリーンのレストラン「Strange Delight」内で、「Amanda’s Good Morning Café」というポップアップ・カフェを開いている。このカフェは朝8 時オープンなので、遅くとも朝4 時半までに店に着いている必要がある。ペイストリーはイチから手作りなのでとにかく時間がかかるのだ。予定より早く目覚めて、まだ2 時半だというのにあれこれと考え始めてしまうときは、寝るのをやめてそのまま店に向かうことにしている。
家を出る頃、外はまだ真っ暗だ。私が暮らすクラウンハイツからレストランまで、30分ほど乗る地下鉄はバーやクラブ帰りの人だらけで、どこか妙な空気が流れている。でもこういう人たちも、以前よりずっと少なくなった気がする。車を呼んで行くときはレストランから1 、2ブロック手前で降ろしてもらうが、その時間帯だとさすがに道を歩いている人なんていない。でも「Strange Delight」の隣には24時間営業のスーパー「Mr. Mango」がある。街が完全に寝静まっていても、そこには私と同じように夜明け前から働いている人がいると思うと、少しほっとする。
店に着いたら、すぐ作業に取りかかる。オーブンや発酵器のスイッチを入れ、ヘッドフォンから流れるザ・キュアー、ウータン・クラン、スージー・アンド・ザ・バンシーズ、ギル・スコット・ヘロンの曲のリズムに乗りながら、仕込みを始める。最初につくるのは季節のミニパイと日替わりマフィン。次に焼くのは「グッド・モーニング・バンズ」(バターミルクのグレーズをかけたハニーバンズ)と、スカリオン(註:アメリカの青ねぎ)とチェダーのビスケット。静けさの中にいると、不思議といろんなことを試したい気分になる。だが朝5 時をすぎてスタッフが姿を見せると一気に作業が増え、開店と同時になじみのお客さんたちがやってくる。その姿を見るたび私はいつもこう思う。「ペイストリーは"なくても生きていけるもの"なのに、毎日こうして足を運んでくれるなんて、とってもありがたい」と。
― interview by K.G.
アン・クレイヴン
画家。64歳。トライベッカ在住。

ブロンクスのスタジオで制作するケニー・リベロ。
2026年1 月7 日撮影。
毎週水曜の夜は、コロンビア大学でビジュアルアートを教えている。その後、夜10~11時頃にスタジオへ戻り、午前3 時まで絵を描く。木曜の朝に再びスタジオに戻って、今度は掃除をする。それからは毎晩、毎朝、同じことの繰り返しだ。描いては休み、また戻って掃除をして、また外へ出る。次の水曜の講義までそのリズムが続く。このルーティンを始めたのは2003年。「自分にとって絵の具や塗料とは何なのか」と再び考え始めた頃だった。アートのための絵の具ではなく、僕が育ったワシントン・ハイツのアパートメントの壁に塗られたペンキや、鉄骨の上に分厚くこびりついた塗料。80〜90年代のNYの公共施設でよく目にする、あの安っぽいピンクやグリーンのペンキ。こうした"生活の中にある塗料"について考えを巡らせていた。そしてこの頃から僕は絵を描くことを"イメージをつくる行為"ではなく、表面に塗料の層を重ねたり、削り取ったりする行為だと捉えるようになった。さらに数年後、ギャラリー「デイヴィッド・ツヴィルナー」の清掃員として働いたときには、掃くという行為は"その日の痕跡を集める行為"だと気づいた。そして最終的に、絵を描くこともまた、日々の痕跡と向き合う"歴史的な行為"なのだと思うようになった。
最近は地元のミュージシャンたちとビートをつくったり、パーカッションを演奏したりもしていて、これが"アートに向き合わなくちゃ"という義務感から解放される時間になっている。ダイナー兼バーの「Walnut Bus Stop」や「Bronx Brewery」に行ったあと、何人かが僕のスタジオに立ち寄って、のんびり時間を過ごすこともある。みんなで軽く演奏したり、そこにある材料で絵を描いてみようと提案したりすることもある。
スタジオのそばにある自分のアパートメントにいると、イースト川を行き交う船や、ラガーディア空港から離陸する飛行機の音がときどき聞こえてくる。バージ(註:平底船)に載ったたくさんの農産物は、ハンツポイント(註:ブロンクス区。食品流通のハブである巨大な共同市場がある)を経てアメリカに入ってくる。スタジオへ向かって近所を歩いていると、僕はふとしたものによく目を奪われる。今気になっているのは、誰かがサンドイッチを食べたとき広げたアルミホイルと、その内側に貼りついたワックスペーパー。これが驚くくらい美しい。シリーズとして描くために、すぐにでも拾い集めたいけれど─こんなものを道端で拾っている理由を人に説明するとなると、さすがに少し気が引ける。
― interview by Miguel Morales
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