現代の日本に生きる人々が抱える深淵を描いて世界から注目を集める3人の映画監督たち

BY REIKO KUBO, PHOTOGRAPHS BY KATSUMI OMORI

李 相日 監督

画像: 李 相日 監督 演出にも妥協がないことで恐れられている

李 相日 監督
演出にも妥協がないことで恐れられている

 日本映画学校(現・日本映画大学)の卒業制作『青 chong』で2000年の〈ぴあフィルムフェスティバル〉グランプリ等を独占した李 相日(り さんいる)。語るべきものを持った気鋭は、村上龍原作『69 sixty nine』(’04)で堂々メジャー監督デビューを果たし、’06年『フラガール』、’10年『悪人』で映画賞を総なめにしてきた。公開中の最新作『怒り』は、『悪人』と同じく吉田修一原作の映画化だ。「吉田さん原作の2本は、大きな意味で僕が撮ってみたいと思う流れの中にある作品。映画化の過程で、吉田さんの世界を見る目線が好きなんだと改めて思いました。社会問題が背景にありながら、決してそれが物語のための装置にならない。キャラクターにとってあるべき世界として描かれているから、逆に切実に迫ってきます。そのうえで、どこかで間違い、だからこそ正しくありたいと願う弱い人間が描かれる。今回は、それぞれが発露できない怒りを抱えていて、怒りにとらわれる者もいれば、愛情や理性によって怒りを浄化する人もいる。原作を読んだとき、目に見えない〝怒り〞の感情をどう映し出すのか、非常に難しいハードルだと感じました。でも怒りそのものを追求するより、裏側にある不安や恐れ、自分や他者を疑ってしまう心の闇を丹念に描いていくことのほうが重要だと気づいたんです」

 凶悪殺人犯が整形して逃亡するなか、東京、千葉、沖縄に現れる3人の男と、男と出会う人間たちの三様のドラマがスリリングに展開する『怒り』。3人の男のうち誰が逃亡犯なのか―。犯人捜しのサスペンスと、怒りと闇、内に向かう苦しみ、哀しみが拮抗する圧巻の群像劇は、白か黒かに割りきれない余白を観客に委ねる。

 また脚本同様、演出にも妥協がないことで恐れられる李映画。『悪人』で妻夫木聡や深津絵里から新たな顔を引き出したように、『怒り』でも渡辺謙、森山未來、松山ケンイチ、綾野剛、広瀬すず、宮﨑あおい、妻夫木聡ら、ずらりと並んだトップスターたちの皮を一枚も二枚もそぎ落とし、近作では見たことのない彼らの生々しい表情をスクリーンに刻みつけている。「過去に組んだ謙さんや妻夫木くんは、この組での危険を察知する能力が高い(笑)。どうせ李がこう言うだろうからと先回りして、共演者を巻き込んで進んでいってくれます。撮影初日から完璧な空気感をまとっていた妻夫木くんだからこそ、綾野くんを“開く”ことができたんだと思う」

 映画の中でゲイのカップルを演じる妻夫木と綾野は、撮影が始まると自主的に二人暮らしを実践し、関係性をつくり上げて日々撮影に臨んだ。李の自他ともに求める高い要求が、俳優たちの闘志に火をつけるのだろう。「どんなに過酷な物語でも、映画には華が必要だと思います。観客が夢や希望を見いだす余地というか。でもそれだけでいいのか。夢としての映画と、現実を生きる僕が語りたいこととの境目で、果たして描かれる人物やその人生に忠実であるか、現場で腑に落ちるまで諦めずに闘うというか、踏みとどまることが今の自分のあり方だと思っています」

李 相日 『怒り』より
© 2016映画「怒り」製作委員会

千葉の漁港で働く父親とその娘、東京の大手企業で働くゲイの会社員、沖縄に越してきた少女と男友達の前に、それぞれ素性の知れない男が流れ着く。折しも、夫婦を惨殺後、「怒」の血文字を残して逃走中の犯人の、整形手術後の情報が公開される。果たして3人の男の中に犯人がいるのか?

西川美和 監督

画像: 西川美和 監督

西川美和 監督

 早稲田大学在学中から是枝裕和の監督作『ワンダフルライフ』(’99)にスタッフとして参加、2002年の『蛇イチゴ』で監督デビューし、『ゆれる』(’06)で実力を見せつけた西川美和。『夢売るふたり』から4年ぶりの最新作は、直木賞候補にもなった自作小説を映画化した『永い言い訳』。不慮の事故による妻の死に直面しながら、まっすぐに悲しむことができない人気作家の、喪失から始まる一年を丹念に綴った物語となった。

 これまでもキャラクターに自らの感情を乗せて書いてきた西川だが、今回の主人公はどのキャラクターよりも自分に近いという。「物語を書く人間という虚業ゆえの、どこか寄る辺ないところは同じなので、自分の日常的な葛藤やコンプレックスは映しこみやすかったですね。私も、泣かなきゃいけないときに泣けない、楽しむべきところで楽しめないという感情的なねじれを起こしやすいところがあるので」  思えば西川は、デビュー作『蛇イチゴ』から、感情的なねじれを内に閉じ込めてしまうがゆえに生きづらい人間に焦点をあててきた。「悲しいのに涙が出ないとか、愛おしいのにつらくあたってしまうとか、人間存在というもの自体が感情的なねじれの積み重ねだと思うんです。そしてこの複雑さというものは、人なら誰しもがもっているものだと。私自身、いろんな小説や映画の中に世界の複雑さや人間の愚かしさを見いだして、自分も存在していいんだと思ってきた経験がありますから、私の映画を観る方にもそういうところを持ち帰っていただけたらうれしいですね」

 凜とした雰囲気の西川から身勝手で愚かしい男のキャラクターが生まれると聞くと意外かもしれない。しかし、そこには性差を超えて人間に肉薄し、弱さ、醜さがあってこそ人間、だから面白いのだと最終的に引き受ける人間哲学が流れている。そんな彼女が生んだ緻密なキャラクターに役者もこたえ、おのおのが忘れがたい姿をスクリーンに残してゆく。「本木雅弘さんは、いいところダメなところが主人公にとてもリンクしていて。恥ずかしいことをさらけ出すことで、本木さんと映画、双方に好結果を生むと確信していました。悩んだのが、対照的な竹原ピストルさんのキャスティングでしたが、ギター1本で地に足をつけて立っている彼を見て、私が描いた理想の対照的存在を託せると思いました」

 奔放な弟の目には田舎のやさしい兄と映っていた男の腹に巣くう闇を描いた『ゆれる』をはじめ、外からは窺い知れぬ内面が、一見対照的で、その実コインの裏表のような人物との反響によって浮かび上がるスリリングでほろ苦いドラマを得意としてきた。今回の『永い言い訳』も、愛することを怠った後悔にとらわれる主人公が、やはり対照的な男とその子らとの時間の中で変化を遂げる。そんな最新作を、西川自身、現時点の集大成と見る。「20代から30代の前半までは思いもしなかったこと―たとえば子どもがいない人生とは、あるいは他人の子どもに対してどう感じるべきなのかといった逡巡は、40数年生きてきた今だから出てきたものであって。年を重ね、得るものも失うものもあったこれまでの人生経験から発した思いを、ふんだんに盛り込んだ作品になりました」

 単に自分史を描くのでなく、自らが体験した感情の真実をフィクションに紡ぎながら、鮮烈な人間ドラマを描き続ける西川映画。小説執筆という孤独な作業にひきかえ、このところ映画を撮ることで人や社会とつながる楽しさ、明るさをより実感できるようになったという彼女の言葉が、人と向き合うことで再生へ向かう『永い言い訳』のすがすがしい幕切れを納得させた。

「永い言い訳」より
© 2016「永い言い訳」製作委員会

妻(深津絵里)を不慮の事故で亡くした人気作家の幸夫(本木雅弘)。訃報が入ったとき、彼は不倫相手と密会中だった。負い目を抱える幸夫は遺族会で妻の親友の夫と出会い、思いつきから彼の子どもの面倒をかってでる。妻を亡くした男と母を亡くした子どもたちの邂逅の行方は……。

深田晃司 監督

画像: 深田晃司 監督 フランスメディアに“怒れる映画作家”と称された

深田晃司 監督
フランスメディアに“怒れる映画作家”と称された

 2011年公開の『歓待』、’13年『ほとりの朔(さくこ) 』で国際映画祭賞を受賞し、今年5月には最新作『淵に立つ』でカンヌ国際映画祭「ある視点」部門の審査員賞を射止めた監督、深田晃司。欧米のメディア“強烈で破壊力のある映画”と、この新たな才能の登場に沸いた。

 国じゅうが放射能汚染されたという設定で、移住を待つ病身のヒロインとAI介護ロボットとの疑似家庭を描いた『さようなら』(’15)、下町で小さな工場を営む一家のもとに訳ありの旧友が現れる新作『淵に立つ』など、現代日本と地続きの背景の中に、さまざまな〝家族〞のかたちを描いてきた。「黒沢清、青山真治といった第一線監督が講師を務める映画美学校では、劣等感も含めて刺激を受けました(笑)。その後、平田オリザさんの舞台を見て、夫婦の問題、孤独や死といった人間の本質的なことを描きながら、当然のように歴史や社会の問題が絡んでくるのが新鮮で。同時代の日本映画にはすごく欠けている視点だと感じたし、大いに影響を受けました」

 今回の『淵に立つ』というタイトルも、平田の言葉から引いたという。「平田さんが、人間を描くことは崖の淵に立って暗闇をのぞき込むような行為であり、表現とは人の心の闇にできるだけ近づきながら、ギリギリのところで作家自身が踏みとどまる理性を持ち得たときに初めて成立するものだと。私自身、孤独というもの自体が闇だと考えていて。その闇を抱えて生きるつらさを、人は信仰や家族制度などで覆い隠してきたけれど、20世紀になって、一人ひとりがこれまで以上に本質的な孤独に向き合わざるを得ない時代に入ったと思うんです」

 現代人の孤独を描き続ける深田のモチーフとして必ず登場する〝家族〞。しかしそれは巷ちまたにあふれる、愛や絆の象徴というイメージとは大きく異なり、きわめてドライで不条理なものとして浮かび上がる。『淵に立つ』のカンヌ上映後、フランスの『ル・モンド』紙は、深田をして〝怒れる映画作家〞と呼んだ。「私の両親も離婚しましたが、幼い頃からメディアが拡散する理想の家族制度に違和感を覚えてきました。理想像と異なる家族を排除、抑圧しているんじゃないかと。私にとって家族とは、バラバラの方角を向いた孤独な人間がたまたま夫婦、親、子となった不可解な集合体。そんな不条理なつながりである家族を通じて、人間が抱える孤独という闇を描きたいのです」

 次回作は、インドネシアを舞台にした青春映画を構想中だという深田。二階堂ふみが夏休み中の大学生を演じた『ほとりの朔子』につながるものになるかもしれないと語る群像劇で、今度はどんな深淵をのぞかせてくれるのか。フランスの文豪の言葉を引いた彼の言葉に、そのヒントがある気がする。「人間は孤独だが、孤独であることを語り合える友人がいることはいいことだとバルザックが言っています。つまり私たちは孤独でつながっているとも言えるわけで。そういった哲学や世界観を教えてくれるのが文学であり映画であり、芸術のもつ役割なのではないでしょうか」。

「淵に立つ」より
© 2016映画「淵に立つ」製作委員会 / COMME DES CINEMAS

 町工場を営む夫婦と一人娘の家庭に、夫の旧友と名乗る男が現れる。クリスチャンである妻は信仰に理解を示す男を受け入れ、娘もなつくが、男は一家に残酷な爪痕を残して姿を消す。そして8 年後、皮肉な巡り合わせが訪れる。不穏な空気をまとった謎の闖入者役の浅野忠信も必見!

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