BY MARI SHIMIZU
手塚治虫マンガの初歌舞伎化で注目を集めているのが、歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」で上演される『新選組』だ。主人公は争いに巻き込まれ父を惨殺された少年、深草丘十郎。父の仇を討つために新選組に入隊して剣の腕を磨く丘十郎と、その親友・鎌切大作を中心に物語が進行していく。
この舞台で主役の丘十郎に抜擢されたのが、まもなく21歳になる中村歌之助さんだ。中村芝翫さん、女優の三田寛子さんの三男で、現在の名を襲名したのは2016年。父と長兄の中村橋之助さん、次兄の中村福之助さんとの四人同時襲名で、歌之助さんは当時まだ中学生だった。各地での襲名披露が一段落すると、学業との両立もあり歌之助さんが舞台に出る機会はぐっと減り、三兄弟はふたりの兄が一歩ずつ先んじる形でそれぞれのキャリアを重ねていった。
その歌之助さんが『新選組』の原作に出会ったのは高校3年、つまり2019年の12月、伯父の十八世中村勘三郎さんを偲んで親戚が集まった時だった。従兄の中村勘九郎さんに原作を手渡されたのだという。
「勘九郎の兄はいつかこの作品を歌舞伎にして丘十郎を演じたいと思っていたそうです。けれどもう年齢的に難しいから僕たち兄弟にやってほしいと。その時はそれで終わったのですが、2年後に『本当にやらない?』と聞かれたんです。でもまさかこんなに早く現実になるとは思いませんでした。勘九郎の兄が実現に向けて動いてくれていたのだと思います。」
歌之助さんは、当然ふたりの兄が丘十郎と大作を演じるものと思い込んでいたという。ところが勘九郎さんの提案は、歌之助さんの丘十郎、福之助さんの大作という配役だった。
「小さい頃から僕たち兄弟のことをよく知っている勘九郎の兄が、役の人物と僕たちそれぞれのキャラクター考えてくれた結果です。最初は驚きましたが、確かに自分は丘十郎に似ているところがあり、兄も大作と通じるところがあるんです」
どんなところが似ているのだろうか。
「自分は内気な性格というか、あまり言葉に出すタイプではないんです。そこに共通点を感じていて、丘十郎が敵討ちにメラメラと闘志を燃やしている姿には自分の歌舞伎への思いが重なります。兄は非常に明るい性格でムードメーカーな一方、すごく真面目でいろいろなことを考えています。内に秘めたものを含め、ふたりそれぞれが役とリンクしています。どうすればこの作品がよくなるかを第一に考え、丘十郎を僕にと言ってくれた勘九郎の兄の心が何より嬉しく、ありがたく思いました」
勘九郎さんは近藤勇役で出演し、同じく従兄の中村七之助さんは土方歳三を演じる。キーパーソンとなる仏南無之介には長兄の橋之助さんという配役。ようやく実現した勘九郎さんの20年来の夢、その思いを受け止めながら主役として真ん中に立つこととなったのである。
「冒頭だけちょっと読もうと思って台本を開いたら、面白くて一気に最後まで読んでしまいました。漫画のスピード感そのままで、意識的に歌舞伎にしようとしなくても歌舞伎になっているんです。ストレートでわかりやすい手塚治虫先生のセリフがそっくり使われている部分も多く、それを歌舞伎として喋ってもまったく違和感がない。ですからお客様の心に響く言葉としてまっすぐ届くと思います」
「今のこのタイミングで、歌舞伎のホームグラウンドである歌舞伎座で主役を勤めさせていただけることが何よりありがたい」と実感を込めて語る歌之助さん。「今のこのタイミング」とはどんな状況を指しているのだろうか。
「大学生になっていよいよ歌舞伎に打ち込める!と思った矢先にコロナ禍となってしまったんです」
公演は中止、学校はリモート授業。家族以外の人と会えない日々が続く中、何より心強かったのは兄弟の存在だった。ふたりの兄と自宅で稽古に励み時を過ごすうちに、少しずつではあったが状況は変化していく。大きな転機が訪れたのは2021年。8月に京都・南座で行われた「坂東玉三郎特別舞踊公演」に兄弟揃って抜擢されたのである。三兄弟はその後も玉三郎さんとたびたび舞台を共にする機会に恵まれた。
「玉三郎のおじさまは祖父(七代目芝翫)にたくさんのことを教わったそうなのですが、だから今度は僕たちに教えるとおっしゃるんです。そして実際に演じるお役や作品のことだけでなく、発声などの基礎的なことを一から教えてくださいました」
実はその前にも大抜擢はあった。2019年12月、歌之助さんは歌舞伎座で玉三郎さんの相手役を勤めたのだ。グリム童話をアレンジした新作歌舞伎『本朝白雪姫譚話』で白雪姫を眠りから目覚めさせる皇子を演じたのである。
「あの時は求められていることに全く応えられない自分がもどかしく、当時の映像を見ると両手で顔を覆いたくなります」
動きが型として出来上がっている古典とは異なる新作歌舞伎の現場。まだ高校生で、大人の俳優としてはビギナーだった当時の歌之助さんには、高いハードルだったことだろう。
「玉三郎のおじさまは、焦らずに今の自分にできることを一つひとつを大切にしなさいとおっしゃってくださいました。確かに当時の自分は兄たちと比べて焦っている部分がありました。それをおじさまは見抜いていらしたんです。先輩と同じ舞台に立ちその空気の中で学ぶことの大切さを実感し、あそこで意識が変わりました」
個性やその時の状況を見極め導いてくれたのは、玉三郎さんや勘九郎さんだけではなかった。意識が変わったと自覚してから、この3年の間に刺激された先輩俳優は何人もいた。そして彼らの根底に流れているのは並々ならぬ歌舞伎への思いだ。その水脈は若い歌之助さんにも確かに存在し、その思いを敵討ちに向かってひた走る丘十郎という役に重ねて初主演の舞台に臨む。
「正しいと信じて歩んできた道が、果たして本当にそうなのかと迷うことは誰にでもあると思います。丘十郎が悩む問題というのは今の世の中と非常にリンクしていて、心が震えるようなラストになっています。丘十郎として舞台に立つのがものすごく楽しみです」
ウィルスと戦争の脅威が身近となった今、幕末の動乱期に散っていった命への思いはより実感を伴って観客の胸に響くことだろう。
「コロナ以前、歌舞伎役者は同じ月に何役も演じるのは常でした。いろいろな役をたくさん経験して学ぶことは大切ですが、流されてしまう可能性もあります。コロナによる制限によって一役に集中でき、玉三郎のおじさまに基礎から丁寧に教えていただく機会ができたとも言えます。非常に大変な期間ではありましたが、自分にとって貴重な時間だったと思います」
考えるのは歌舞伎のことばかりという歌之助さん。唯一の趣味といえるのが料理だそうでその理由は「歌舞伎と似ているから」。
「歌舞伎で先輩の真似をするように、料理も母の真似から始まったことなのですが、さまざまな手順を経てひとつのものができていくのが好きなんです。とても集中できて無になれる時間です」
インスタグラム(@utanosuke.official)にアップしている料理動画は、敢えて試作を作らずに舞台に臨む時のようにライブで仕上げているという。祖父譲りという几帳面さで一つひとつのものごとに対処する歌之助さんが、『新選組』で丘十郎としてどんな人生を歩み、その生きざまをどう体現するのか、楽しみでならない。歌舞伎における令和の志士、その未来はそこからまた拓けていく。
※手塚治虫の「塚」は旧字が正式表記
八月納涼歌舞伎
第一部 新作歌舞伎 新選組(しんせんぐみ)
闇梅百物語(やみのうめひゃくものがたり)
第二部 安政奇聞佃夜嵐(あんせいきぶんつくだのよあらし)
澤瀉十種の内 浮世風呂(うきよぶろ)
※「瀉」のつくりは「わかんむり」が正式表記
第三部 東海道中膝栗毛 弥次喜多流離譚(やじきたリターンズ)
上演期間:2022年8月5日(金)~30日(火)
第一部 11:00~
第二部 15:00~
第三部 18:15~
休演日:10日(水)、18日(木)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
料金:1等席¥16,000、2等席¥12,000、3階A席¥5,500、3階B席¥3,500、1階 桟敷席¥17,000
※ 4階幕見席の販売はなし
公式サイト
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電話: 0570-000-489(チケットホン松竹)
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