ソリストとして国際的に活躍するチェロ奏者の宮田大。新作アルバムには、もっとも愛する曲であるがゆえにこれまで録音しなかった、ラフマニノフの『チェロ・ソナタ』が収録されている。レコーディングにこめた思い、そして彼の音楽表現にせまる

BY MAKIKO HARAGA, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI

 人の心に染み入る美しい音楽をチェロで紡ぐ宮田大は、アルバムを制作するとき、その収録曲をレコーディングするのは一生に一度だけ、という覚悟で臨んでいる。「20代のときに弾いたバッハ」「40代のときのバッハ」「60代のときのバッハ」というような聞き比べができてしまう状況をつくりたくないのだという。

画像: 宮田大。2009年にロストロポーヴィチ国際チェロコンクールにおいて日本人として初めて優勝し、近年はヨーロッパのクラシック界における権威ある賞のひとつであるOPUS KLASSIK賞(2021年)を受賞するなど、国際的な評価の高い日本を代表するチェリスト。スイスのジュネーヴ音楽院卒業、ドイツのクロンベルク・アカデミー修了

宮田大。2009年にロストロポーヴィチ国際チェロコンクールにおいて日本人として初めて優勝し、近年はヨーロッパのクラシック界における権威ある賞のひとつであるOPUS KLASSIK賞(2021年)を受賞するなど、国際的な評価の高い日本を代表するチェリスト。スイスのジュネーヴ音楽院卒業、ドイツのクロンベルク・アカデミー修了

 だからこそ、「この歳の自分にいちばん合う音楽」と自信をもって言える作品を選んできた。そして36歳の今年、ラフマニノフの『チェロ・ソナタ』を、満を持して録音した。「いちばん好きな作品だからこそ、熟成させたいと思っていたんです」と宮田は言う。

 ラフマニノフが『チェロ・ソナタ』を書き上げたのは、自信喪失からスランプに陥ってうつ病を患い、そこから立ち直ろうとしていた時期だ。この作品の魅力について、宮田は次のように語る。「第一楽章は靄がかかっていて、世の中に対して精神的に負けてしまいそうな自分と格闘しているかのようです。そこから第四楽章にむけて、段々と希望に満ちあふれていく。まるでレンブラントの絵画のように、すうーっと光が差し込んでくるのが見える」。

 20代のときは、録音するのはまだ早いと思った。だが、コンサートで何度もとりあげていくうちに、この作品に対するアイデアが豊かになっていった。「寒い日に最後に残った1本のマッチをすって、孤独でも『暖かい、幸せだ』と思える気持ちを想像してみる。楽譜に書いてある強弱記号のp(ピアノ)も、日本では『小さく』と習うけれど、『なにかと格闘し、今にも心臓が爆発してしまいそうな、そんな鼓動が聞こえてくるような静けさではないか?』と考えてみる。こういう感情表現が求められるところが、この曲の難しさなんです」と宮田は言う。

画像: 中学時代に海洋学者を志した宮田にとって、海は今もインスピレーションの源で、スキューバダイビングを楽しむ。海に潜って無音の世界に身を投じると、自分の呼吸に意識を集中させることができる。息づかいは、オーケストラやピアニストに背を向けて演奏する機会が多い宮田にとって、「どういうテンポで、どういう音楽をやりたいか」を伝える大切な手段だ

中学時代に海洋学者を志した宮田にとって、海は今もインスピレーションの源で、スキューバダイビングを楽しむ。海に潜って無音の世界に身を投じると、自分の呼吸に意識を集中させることができる。息づかいは、オーケストラやピアニストに背を向けて演奏する機会が多い宮田にとって、「どういうテンポで、どういう音楽をやりたいか」を伝える大切な手段だ

 どんな作品に対しても、宮田は自分なりにストーリーを考え、さまざまな登場人物を――風貌や装いまで細やかに――想像してみる。「恰幅の良い男性がダンスを踊っているのと、女性が軽やかなステップを踏んでいるのとでは、テンポも変わってきますね」と、宮田は手ぶりを交えて説明する。たとえば5つあるベートーベンのチェロ・ソナタを弾くときも、オペラのような物語をイメージしてみるのだという。そうすることによって、「この曲はこういうふうに弾くべきである」という固定概念から解き放たれ、「これが自分のベートーベン」と自信をもって自由に、感情的に演奏することができる。作品に対する核となるイメージが変わることはないが、具体的なストーリーの展開は演奏するたびに異なるし、登場人物の風貌も、コンサート当日の朝食や前の日に観た映画などの影響を受けて、毎回変化するという。「ちょっと髭をつけてみたり、女性の髪をショートにしてみたりとか」。宮田は楽しそうにそう語る。

 だが、頭の中に描いたイメージは演奏する直前にすべて消し去り、真っ新な状態でステージに立つ。「そこでまた新しいイメージが生まれてくるのが、一期一会の音楽の世界だと思う」と宮田は言う。「筋書きにこだわりすぎると、どうしても〝後追いの音楽″になってしまう。自分が練習してきたものをお客さんの前でそのとおりに演奏するのは、〝発表会″なんです。演奏会とは、そのときに感じたことを音楽で表現するもの」

画像: 染色作家の大下倉和彦が指先を使い、宮田のチェロケースにほどこした「シブキアート」

染色作家の大下倉和彦が指先を使い、宮田のチェロケースにほどこした「シブキアート」

 音楽で感情を表現することについて語るとき、宮田はよく色にたとえる。演奏していると、色が見えてくるのだろうか?

「色単体を意識することもあるのですが、赤にどれくらい黒が滲んでいるのかとか、いくつもの色が混ざり合っていくような瞬間を想像していますね」と宮田は言う。たとえばフランスの作曲家の作品を弾くときは、その曲の色合いが「太陽に照らされたような黄色なのか、ゴッホの絵にあるような黄色なのか」を感じとり、それによって音のニュアンスを変えるという。これまでに幾度も共演を重ねている文楽の世界は、宮田にとって「水の上に墨汁を一滴たらしたときにふわーっと広がるような、シンプルな美しさ」なのだという。

 音楽において、宮田は「一期一会」を大切にしている。自分の人生については、「今を生きる」という言葉が座右の銘だ。だからこそ、やはり音楽家としてはコンサートで生の音楽を届けることにいちばんの喜びを感じるという。「特にやりがいを感じるのは、現代曲やお客さんが聴いたことのない曲の魅力を伝えられたとき。『あっという間だった』『いろんな情景が浮かんだ』と聞くと嬉しいですし、やってよかったと思います」

画像: 『ラフマニノフ:チェロ・ソナタ』 ¥3,300(日本コロムビア) ラフマニノフの作品がもう1曲(『パガニーニの主題による狂詩曲Op. 43より第18変奏』)、そして同じくロシア出身の作曲家カプースチンの、ジャズの薫りをまとう3曲が収められている。アンサンブルのパートナーに迎えたのは、10年以上前から共演を重ねて信頼を寄せるピアニスト、ジュリアン・ジュルネ COURTESY OF NIPPON COLUMBIA CO., LTD.

『ラフマニノフ:チェロ・ソナタ』
¥3,300(日本コロムビア)
ラフマニノフの作品がもう1曲(『パガニーニの主題による狂詩曲Op. 43より第18変奏』)、そして同じくロシア出身の作曲家カプースチンの、ジャズの薫りをまとう3曲が収められている。アンサンブルのパートナーに迎えたのは、10年以上前から共演を重ねて信頼を寄せるピアニスト、ジュリアン・ジュルネ
COURTESY OF NIPPON COLUMBIA CO., LTD.

宮田大チェロ・リサイタル2022(共演ジュリアン・ジェルネ)
日時・会場:
11月19日(土) 埼玉・所沢市民文化センター ミューズ 開演14:00
11月20日(日) 香川・観音寺ハイスタッフホール 開演15:00
11月23日(祝) 栃木県総合文化センターメインホール 開演14:00
11月25日(金) 東京・紀尾井ホール 開演19:00
11月26日(土) 神奈川・横浜市栄区民文化センターリリス<神奈川> 開演14:00
11月29日(火) 福岡・柳川市民文化会館開演19:00
12月3日(土)・4日(日)長野・八ヶ岳高原音楽堂<長野> 開演15:00
公式サイトはこちら

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