BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY MASATOMO MORIYAMA
不揃いな“好きなこと”こそ、自分の強み
素敵とかセンスがいいという物差しでは語れない──市村美佳子さんのいける花には、清濁を併せ持った魅力がある。市村さんの言葉を借りると「切花には特別な力があり、生きている花にしかできない驚きや感動がある」という。花に宿る健やかなエネルギーを凝縮していけるには、扱う側の人間にも対峙する心が求められるのだろう。まるで魂で花と接しているような、リアリティのある純粋さは、どこからもたらされるのだろうか。月並みではあるが、幼少期から花が好きだったのかという問いを投げかけてみた。
「花が“好き”というよりも、ないと困る存在。私の母は本当に花が好きで、365日花がある暮らしが当たり前。毎晩、必ず家中の花を回収して深水につけ、翌朝、魔法のように次々に花をいけ直す……。子供の頃から、そんな姿を眺めながら朝ごはんを食べるのが日課でした」という。
学生時代まで自身で花をいける習慣がなかった市村さんが、能動的に花と向き合うようになったのは、大学卒業後にロイヤルコペンハーゲンに勤めてからのこと。ディスプレイで花を飾るスキルを身につけるために、フラワースタジオに通う。そこで目にしたイギリスの暮らしと花の世界に憧れて渡英。ロンドンで吸収した感性をパスポートに、花とともに歩みはじめる。
イギリスアンティークの世界と花。イギリスから戻って数年後、アトリエを兼ねた暮らしの拠点を青山に構える。「その頃、この街には格好いい大人たちがいっぱいいて。1980年代に独自の感性を発揮して、文化を発信してきた土器典美さんもそのひとり。こんな素敵な人が住んでいる街に、“住む”のと“通う”ので何かが違うのだろうと、思い切って部屋を借りました」
青山に実際に住んで見えてきた光景は、この街をこよなく愛する先輩たちの生き方だ。ひとりで仕事を続けていると、時には眠れなくなるほど不安なこともあった中、それでも「このままで大丈夫」と思えた市村さん。それは、憧れの大人たちが好きなことを貫きながらも、それぞれに人生を謳歌していたことが何より頼もしい道標だと信じられたからだという。
それから20余年、移り住んだ当時と同じヴィンテージマンションの空間には、市村さんが一つひとつ選んだ、時代も出身もバラバラの家具やオブジェ、アートがオーケストラのように不思議な心地よさを奏でている。ちぐはぐな物の集合体が溶け合う“乱調の美”、テンプレートに納まらない独創的な感性を磨くコツはあるのだろうか。
「最初にイギリスへ渡った20代の頃、“買うつもりで見なさい”と教わりました。ただ、綺麗だなと眺めるだけでは人は真剣にものを見られないので、骨董屋や美術館を訪れては“今日はコレを買おう”と記録しながら目を養いました」。どこかゲームのような訓練を繰り返し、その後何度も海外のアンティークマーケットを訪れるたが、惹かれるものは毎回違い、自分で自分に驚くことが度々あるという。「マーケットではあえて頭で考えずに、自分をリトマス試験紙のようにして、その瞬間に気になるもの、瞬間の感性を大切にしていました。不揃いながら私のもとへ集まったモノを見ると、“こういうものに惹かれるのか”と。まだ知らない自分との出会いは、とてもエキサイティングです」。その言葉どおり、アトリエは発見と戯れてきた軌跡に埋め尽くされていた。
“好き”という感覚のままに導かれてきた市村さんだが、自らのアンテナがあちこちに向かう不規則性をずっとコンプレックスに感じたていたという。
「ご覧のとおり、置いてある家具もアクセサリーもバラバラで、シックなものも変なものも大好きで(笑)。花をいける際も、ひたすら夢中に、その瞬間その場で作ったものがその日の私を語ると思いつつ、定まらないスタイルにどこか気後れすることもありました」。
コンプレックスが払拭されたのは、2018年にディーズホールで期間限定の花瓶専門店を開催したときのこと。統一感がない花瓶たちで、一つの企画展としてまとまるのかと眠れない日々だったが、どれも花をいけやすい力のある花瓶であることに自信はあった。前夜までの心配をよそに、市村さんの審美眼で集められた花瓶はほぼ完売。「この“バラバラ”が自分の強み、これでいいのだ」と、興味のおもむくままに構築した不揃いのスタイルは、自信へと変容する。異なる環境が隣り合う境界線で新しい生命が生まれる“エッジエフェクト”という概念のように、異質なものとの出会いによって芽吹く創造性――。それこそが、市村さん“らしさ”なのだろう。
自分の感覚を素直に信じて変化する
人生において“本当に好きなこと”だけを選択する。それは自由なようでいて、実はとても覚悟を要する生き方といえる。自分のアンテナを大切にしてきたように見える市村さんだが、20年ほど前、改めて覚悟を決める転機が訪れた。「その頃、花をいけることが全く楽しくなくなる心境に陥ってしまい……突然のことに何が原因かわからず自分でも混乱しました」。そんな状態が続いたある日のこと、オーガニックの薔薇を育てている知人からお裾分けが届いた。箱を開けると、長さもまちまちで曲がりくねった花がいっぱいに詰まっている。花をいける喜びを失っていた重い身体を動かし、花瓶にひと枝入れてみた。
「その様子があまりにも可愛くて。健やかな花が持つ生命力が一瞬にして伝わってきて、思わずひとりで号泣……。身体の奥から湧き上がった自分の反応をきっかけに、花が好きでなくなった原因は、好きではないプリザーブドフラワーの仕事をしていることだと、その時に気づがつきました。嫌いなものを感じないようにして仕事をしていたので、好きなものも感じられなくなってしまったのだと。人間は、嫌いなものだけを感じないで、好きなものだけ感じられるほど器用ではないと、健やかに育てられた薔薇に教わりました」
この出来事は、改めて切り花に宿る生命の神秘に触れる体験にもなった。「花をいける始まりは、日本では神様が降りてきてくれる目印としての依代だといいます。切り花は、根付きの花とは全く違うエネルギーになり、それは、”健やかに日々の暮らしを生きるため”に欠かせないものだと思う。この体験でその意味合いを一層強く感じるようになりました」
安定した仕事を断るということは、個人で起業している人にとっては生命線を絶たれるようなものだ。それでも、市村さんは以前のように“好き”なことをキャッチできる感性を取り戻すため決断を下し、自分が心から“楽しい”と思えることを探し始めた。それが、子供の頃から好きだったエプロンを作ることだった。実家は美容室を営んでいた。中学生の頃、母親やスタッフのために生地を選び、名前を刺繍し、エプロンを縫って手渡した時の笑顔を見るのが、何よりの悦びだったという。大好きなリバティの布で、格好いい大人に着けてもらえるエプロンを作りたい──。そんな思いから、リスペクトする青山の先輩のひとりであるディレクターの滝本玲子さんと2012年に「エプロン商会」を立ち上げる。さらに2022年には、エプロンの布を探す過程で心惹かれるアンティークの着物と出会う。アトリエで着物をほどきながら、伝統の織物の技術の高さや文様の面白さ、絹という素材の魅力を発見した市村さん。様々なお洒落を重ねてきた大人のための、飾らないワンピースやパンツへと作り変えた「around」を前出の滝本さんとともにスタート。時代を経た着物に灯された新たな光は、市村さん自身を照らしていった。
好きなことにも嫌いなことにも素直になり、時に痛みを伴いながら変容していく。市村さんは、そこから目を逸らさずに向き合ったからこそ、“本当に好きなこと”を発信する場を手にすることができた。そんな市村さんに、今年、また新たな変化が訪れた。30年近く姉のように慕ってきた“青山の先輩”である土器典美さんが、長年暮らしたこの地を離れることになったという。「居て当たり前だった存在が遠くへ行ってしまうということは、帰る場所を失ったような感覚……。でも、私は自分で風を起こすことはできないけれど、風を受けて変化していくタイプ。辛いけど、突風が吹くことで、いやおうなくまた次へ進めるのではないでしょうか。今は自分がどう変化していくのか楽しみです」。
どこかアッケラカンと語る市村さんは、健やかな花をいけながら好きなモノと好きな人に囲まれ、好きなコトを楽しみながら淡々と生きている。それは、人の生き方としてシンプルであり、タフであり、とても美しいことだと思えた。
市村美佳子
1963年山形県生まれ。フラワーデザイナー、「緑の居場所デザイン」主宰。ファッション&ライフスタイルブランドのイベントをはじめ、レストランなどの花装飾を手がける。東京・南青山のアトリエでは、不定期で花教室や「花瓶専門店」も開催。ディレクターの滝本玲子氏とともに、大人に似合うエプロンのブランド「エプロン商会」や、古い着物を使ったファッションブランド「around」を設立。
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