江戸時代の初期に“傾奇者(かぶきもの)”たちが歌舞伎の原型を創り上げたように、令和の今も花形俳優たちが歌舞伎の未来のために奮闘している。そんな彼らの歌舞伎に対する熱い思いを、舞台での美しい姿を切り取った撮り下ろし写真とともにお届けする。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン。

BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA

画像: 『夏祭浪花鑑』団七女房お梶=中村米吉

『夏祭浪花鑑』団七女房お梶=中村米吉

 2023年9月の歌舞伎座『金閣寺』の雪姫、2024年1月の新春浅草歌舞伎『本朝廿四孝』の八重垣姫を演じ、2、3月には新橋演舞場のスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で兄橘姫、弟橘姫の2役を見事に演じ分けた中村米吉さん。若手の女方として着々とその存在感を増している。立役で人間国宝の中村歌六さんを父に持つ彼が、なぜ女方という道を選んだのか? まずはその決意に至る理由について伺った。

──米吉さんは、何が決め手となって“女方”という道を選んだのですか?

米吉: これが決め手だとはっきり言えることはないのですが、いろいろな要素が積み重なって選択しました。一つは、私自身の顔立ちです。武張った感じではないので、お芝居で考えると『夏祭浪花鑑』の団七や『引窓』の濡髪長五郎のような役柄は不向きな顔だとは思っていました。ですから、方向性としては優しい役になるだろうという漠然としたイメージがありました。そして子どもの頃から舞台を拝見していて「素敵だな」と思うお役は立役より、女方が多かったように思います。
 また、京都の祇園町の出であった亡くなった父方の祖母が、私がまだ芝居をする前に「あなたは手が小さいし、女方をやってみたらいいんじゃない?」と言っていたことがありました。こういうことが蓄積された結果、女方という道を選んだということではないでしょうか。

──これまでのご経験の中で、気づきを得た舞台があれば教えてください。

米吉:まず、直近では昨年9月に三姫と呼ばれる女方の大役の『金閣寺』の雪姫を歌舞伎座の舞台で演らせていただけたことは、すごく大きなことでした。また、それ以前の2022年に、『風の谷のナウシカ』のナウシカを勤めさせていただいた経験からも、古典とはまた表現方法が異なりますが、大きな学びを得ることができました。
 古典の作品は“教えを受けた先輩”という目指すべきものがあるので、その目標を目指して登っていくことが大切です。しかも、登っても頂上を見ることができないので、歌舞伎俳優は永遠に高みを目指して精進しなければなりません。
 一方、新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』では、私がナウシカを演じる上で何を目指すべきなのかということ自体がとても難しかったです。アニメーションのナウシカなのか、それとも菊之助兄さんがなさったナウシカなのか……。初演とは拵えや演出も変わり、その目指すべきところが曖昧になった点もありました。準備期間も含めて、もがき苦しむ時間があって、それはまるで『ドラゴンボール』の“精神と時の部屋”にいるような感覚でした。
 また、これまで女方として、ありがたい大役を経験させていただきましたが、それらはすべて主役の立役さんのお相手でした。ところが、ナウシカは一幕を通して引っ張っていかなければなりません。それまでの女方では経験したことのないものが、そこにはあったと思います。

──スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』では2役を演じる上で何を大切にされましたか?

米吉:(中村)隼人くんも(市川)團子くんも、初めての“ヤマトタケル”役。私も初めて『ヤマトタケル』に携わらせていただきました。お互いに悩み、考えながら勤めていたのではないでしょうか。その上で、 “存在感”を醸し出すということを意識して芝居に臨みました。   
兄橘姫と弟橘姫は、物語のポイント、ポイントに出てくるお役なので、私が1人で二役を勤める以上、兄橘姫は姉であること、弟橘姫は妹であることがお客様にもちゃんと伝わらなければなりません。お話の中で二人の姉妹が1本の軸として流れていくようにすることで、隼人くんと團子くんが長いお芝居の中で“ヤマトタケル”として生きていく力になれればいいなと思いました。ヤマトタケルとともに2人の女性の物語が存在することで、お客さまにも多角的にお芝居を楽しんでいただけたらとも考えながら、勤めていました。

──プライベートでは、今年1月にご結婚されましたこと、おめでとうございます。ご家族で旅行をされたそうですが、いかがでしたか?

米吉: ありがとうございます。結婚したからといって、何かが大きく変わることはなく、これまで通り生きています(笑)。旅行は、母の強い要望で結婚前の“最後の家族旅行”でした。「最後だなんて、聞こえが悪いから、そんな言い方はやめてください」って言ったんですが、案の定、父方の大叔母に甥である父の体調でも悪いのかと誤解されました(笑)。旅先としてはヨーロッパは遠いし、冬だから温かいほうがいいだろうということで、ベトナムとラオスを選びました。ラオスでは“托鉢セット”みたいなものが、観光客目当てに街中で販売されていて、托鉢そのものも明け方からベルトコンベアのような流れ作業で行われていて、なんとなく生臭い話だなと思いましたね(笑)。でも母が好きな東南アジアに家族揃って行くことができて良かったです。
 

──最近、何かハマっていることはありますか?

米吉:私は無趣味なのですが、しいて言えば、“鉄瓶”を育てています。全国の銘品をセレクトした“日本を贈るカタログギフト”みたいなものをお祝いでいただいて、そのカタログで南部鉄器の鉄瓶を見つけたんです。毎朝お水を沸かして白湯を飲んでいますが、お手入れがなかなか大変です。最初は硬度の高いお水を入れて、3回ほど沸かすと白い湯垢がついて、お湯をタンブラーに移したら空だきをして水気を飛ばすとか、手間がかかって本当に大変(笑)。奥さんからは「私はどうすればいいのかわからないので、この子(鉄瓶)の世話はあなたに任せた!」っていわれているので、私が毎朝、お湯を沸かして白湯を飲ませています。鉄瓶で沸かしたお湯で紅茶を入れると美味しくないとか、鉄瓶を育てることで発見もありますよ。そろそろ名前でもつけようかしら(笑)。

画像1: 撮り下ろし舞台写真で愛でる
令和を駆ける“かぶき者”たち
Vol.1 中村米吉
画像2: 撮り下ろし舞台写真で愛でる
令和を駆ける“かぶき者”たち
Vol.1 中村米吉
画像3: 撮り下ろし舞台写真で愛でる
令和を駆ける“かぶき者”たち
Vol.1 中村米吉

 米吉さんは、4月の歌舞伎座で『夏祭浪花鑑』で片岡愛之助さんが演じる団七九郎兵衛の女房お梶役を勤める。この役は2023年の尾上右近さんの自主公演で初役として勤めたので、今回は2度目となる。
『夏祭浪花鑑』は大坂で実際に起きた事件を元に、浪花の侠客と妻たちの物語を描いた義太夫狂言。喧嘩沙汰が原因で牢に入れられていた主人公の団七は出牢を許され、女房お梶と倅長吉、釣船三婦は住吉神社の鳥居前で団七を迎える。義理堅い団七平は大恩人の息子である玉島磯之丞とその恋人琴浦を救おうとするが、強欲な舅の義平次がその琴浦を金目当てに悪人に引き渡そうとする。団七がそれを阻もうとして揉みあううち、誤って義平次を斬ってしまうという惨劇だ。

──『夏祭浪花鑑』のお梶にはどんな印象をお持ちでしょうか?

米吉:私にとって『夏祭浪花鑑』といえば、(中村)吉右衛門のおじ様の団七のイメージがすごく強く、お梶もおじ様のお相手を度々なさっていた(中村)雀右衛門のおじ様のイメージが強いです。昨年、(尾上)右近くんの自主公演「研の會」に『夏祭浪花鑑』のお梶役で出演させていただいた時、雀右衛門のおじ様に教わりました。お梶は従来の上演では序幕の「住吉神社の鳥居前」にしか出てこない役で、団七と徳兵衛の喧嘩を止めるいわば“留女”としての要素もあるお役です。今の歌舞伎界のトップを走っていらっしゃる(片岡)愛之助兄さんと(尾上)菊之助兄さんの間に入って、3人の見得のような場面になります。役者が役者の大きさで見せていくというのは、歌舞伎の面白さであり、難しさでもあるので、名だたる先輩の間に入ることがそれ相応に見えるお梶を演じなくてはならないと思います。

──歌舞伎俳優として、ご自身に課している目標はありますか?

米吉:まず、女方として必要とされる役者にならなければならないと思っています。立役さんからはもちろんのこと、歌舞伎界という大きな枠組みからもそうですし、お客様からも米吉でこの役が見たいと思っていただけるようにならなければなりません。4月の歌舞伎座では(片岡)仁左衛門のおじ様と(坂東)玉三郎のおじ様が『神田祭』に出演されていますが、わずか20分くらいの演目であってもお客さまは大満足で帰っていく。これはおじ様方の芸に裏打ちされているからこそですよね。歌舞伎役者が歌舞伎役者として今まで続けてこられたのは、自分の芸を磨き、先人の築いたものを守り、先人たちのように演じることを目指していくことを続けてきたからだと思います。また、それと同時に、歌舞伎に関心を持っていただくために、窓口を広げていくことにも取り組まなければなりません。愛之助兄さんも菊之助兄さんもその努力をなさって、実際に歌舞伎の窓口として大きな活躍をなさっていますが、私自身も役者としての魅力をもっと手に入れなければならないと思います。

──初日を迎えて 4月5日、歌舞伎座にて

歌舞伎座でお梶を演じてみて、どんなことを感じていますか?

米吉:お梶は一度経験しているお役なので、それを演じることは、台詞や動きを把握しているので役には入りやすいです。しかし、お客さまもそれを踏まえた上でご覧になるので、それがある種の枷にもなりますね。私のニン(役柄が要求する身体と芸風のこと)でいえば、これまで娘や姫といった若い役が多かったので、お梶のような“まみえ(眉)”のない年増のお役の経験はそれほどありません。こういう役柄が身の丈にあってきたと思っていただけるようにならなければと思って演じています。
 今回は歌舞伎座という間口の広い舞台で、愛之助兄さんと菊之助兄さんに見合うお梶を目指しています。少しでも大きさや厚みのようなものを出していけるように、日々演じることを積み重ねていくしかないのかと思います。実際に演じてみて思ったのは、2人に割って入るということは喧嘩を止めることではあるけれど、そこで一度鎮火するのではないということ。喧嘩を止めることが一つの決まりになって盛り上がったところから、またお話が進んでいくという流れを作らなければならないと実感しています。

 今回の『夏祭浪花鑑』は上方(関西)の松嶋屋さんの演り方で上演されていますが、これは歌舞伎座で初めてのことだそうです。序幕の床屋の位置が真ん中になっていることや、台詞のやりとりや泥場の見得など播磨屋や中村屋系統の演り方とは少し違うんです。吉右衛門のおじ様(播磨屋)や中村屋の(中村)勘三郎のおじ様の舞台を拝見して見覚え、聞き覚えたものとの違いが、私自身も新鮮で面白いです。そういうこともあって、お梶を演じる上でも雀右衛門のおじ様を土台としつつ、亡くなられた(片岡)秀太郎のおじ様(松嶋屋)のお梶もイメージして演じたいと思いました。「関西で歌舞伎を育てる会」の自主公演(1986年)として国立文楽劇場で『夏祭浪花鑑』が上演された時の、(片岡)我當のおじ様が団七で秀太郎のおじ様がお梶をなさっている映像を拝見して、上方の演り方に感じるものがありました。松嶋屋の愛之助兄さんをお相手に私がお梶を演じる上で、秀太郎のおじ様のバランスや味わいなどを取り入れていきたいと思っています。『夏祭浪花鑑』を関西の方がなさる意義と(自身の)播磨屋のルーツが関西だということなどをふまえ、上方の歌舞伎への出来る限りのリスペクトを持って勤めることが、上方の芝居であることに意識的にも繋がっていくと思っています。ぜひ劇場でご覧いただきたいです。

画像4: 撮り下ろし舞台写真で愛でる
令和を駆ける“かぶき者”たち
Vol.1 中村米吉
画像5: 撮り下ろし舞台写真で愛でる
令和を駆ける“かぶき者”たち
Vol.1 中村米吉
画像: 中村米吉(NAKAMURA YONEKICHI) 東京都生まれ。父は五代目中村歌六。2000年7月歌舞伎座『宇和島騒動』の武右衛門倅武之助役で五代目中村米吉を襲名し、初舞。2011年から女方を志して、本格的に歌舞伎俳優として歩み始める。2022年7月歌舞伎座『風の谷のナウシカー白き魔女の戦記』にナウシカ役で出演。2023年9月歌舞伎座『金閣寺』の雪姫、2024年1月新春浅草歌舞伎『本朝廿四孝』の八重垣姫を演じた。2024年2月、3月は新橋演舞場でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で兄橘姫と弟橘姫役を演じ、35年ぶりに早替りで2役を1人で演じたことも話題に ©SHOCHIKU(左)

中村米吉(NAKAMURA YONEKICHI)
東京都生まれ。父は五代目中村歌六。2000年7月歌舞伎座『宇和島騒動』の武右衛門倅武之助役で五代目中村米吉を襲名し、初舞。2011年から女方を志して、本格的に歌舞伎俳優として歩み始める。2022年7月歌舞伎座『風の谷のナウシカー白き魔女の戦記』にナウシカ役で出演。2023年9月歌舞伎座『金閣寺』の雪姫、2024年1月新春浅草歌舞伎『本朝廿四孝』の八重垣姫を演じた。2024年2月、3月は新橋演舞場でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で兄橘姫と弟橘姫役を演じ、35年ぶりに早替りで2役を1人で演じたことも話題に
©SHOCHIKU(左)

画像6: 撮り下ろし舞台写真で愛でる
令和を駆ける“かぶき者”たち
Vol.1 中村米吉

四月大歌舞伎
昼の部 11:00開演
一、『双蝶々曲輪日記 引窓』
二、『七福神』
三、『夏祭浪花鑑』

夜の部 16:30開演
一、『於染久松色読販 土手のお六 鬼門の喜兵衛』
二、『神田祭』
三、『四季』
  春 紙雛
  夏 魂まつり
  秋 砧
  冬 木枯らし

(出演)
中村梅玉、片岡仁左衛門、坂東玉三郎
中村扇雀、中村芝翫、中村錦之助、片岡孝太郎
片岡愛之助、尾上菊之助、尾上松緑ほか
※中村米吉さんは、
昼の部『夏祭浪花鑑』団七女房お梶
にて出演。

会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年4月2日(火)〜26日(金)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

山下シオン(やました・しおん)
エディター&ライター。女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、旅、文化、医学など多岐にわたる分野の編集に携わる。歌舞伎観劇歴は約30年で、2007年の平成中村座のニューヨーク公演から本格的に歌舞伎の企画の発案、記事の構成、執筆をしてきた。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカル、映画などのエンターテインメントの魅力を伝えるための企画に多角的な視点から取り組んでいる。

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