BY CARL SWANSON, PHOTOGRAPHS BY D’ANGELO LOVELL WILLIAMS, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
ロバート・ロンゴはソーホー地区に19世紀に建てられたイタリア風建築のビルの最上階に1984年からずっとスタジオを構えている。そのビルは古めかしく多少ガタがきているが、それでも荘厳な雰囲気はまだ健在だ。1840年代にオッド・フェローズの集会場のひとつとして建てられた建物だ。オッド・フェローズは労働者階級の人々の友愛団体で、一時はフリーメイソンよりも会員数が多く盛況だった。この春、天井が高く壁の色がくすんだこのスタジオでロンゴと対面した。「今日はエレベーターがちゃんと動いているから、君はラッキーだ。階段を歩いて上がるのは自分にはもう無理だよ」と言いながら、彼は自分の膝をさすった。この建物の中にほかにも芸術家はいるのかと聞くと、彼は誰もいないと答え「私が全員食べてしまった」とつけ加えた。

アーティストのロバート・ロンゴ。2025年4月2日にマンハッタンの彼のスタジオにて撮影。背後に掛かっているのは、木炭を使って大量の蛇を描いた作品。
ロンゴが初めて名声を手にしたのは20代の頃だ。彼は「ピクチャーズ・ジェネレーション」と呼ばれる、緩やかに結びついた芸術家たちの集団の主要メンバーのひとりとして注目された。ほかにシンディ・シャーマン、デイヴィッド・サル、リチャード・プリンス、ジャック・ゴールドスタインやシェリー・レヴィーンらもこのグループに属しており、彼らは1970年代の終わり頃から美術界で認知され、80年代にはアートシーンを席巻するようになった。グループの名称の由来は1977年にニューヨークのアーティスツ・スペースでキュレーターのダグラス・クリンプが企画した「ピクチャーズ」と題された展覧会だ。そこで展示された彼らの作品は、広告やハリウッド映画に登場する、手垢のついたヒーロー像や悪者の定型イメージを乾いたユーモアで風刺したものだった。つまり、まるで腹話術のように、自分自身のものではない借り物の「声」や「姿」を通して、感情を込めずに表現することでハリウッドや広告が送り続けてきたメッセージの陳腐さを際立たせた。アーティストたちは、そんな手法を使うことで、60年代に流行したポップアートを、もっと若くてより虚無的な世代の観客たちに向けて刷新した形で提供したのだ。
彼らは大量消費社会で使われている記号を使って自分たちの文脈を紡いだ――それは彼らが第二次世界大戦後のベビーブーム時代の繁栄の最中に生まれ育っていく中で、シャワーのように浴びていた言語でもある――そしてその言語を武器にして、日々ますます欲望と自己満足によって定義されていく文化を批評した。当時のロンゴの作品の中で最も有名なのは《メン・イン・ザ・シティーズ》と呼ばれるドローイングだ。それはまるで写真のように見えるポートレートを、木炭と黒鉛を使って描いた作品である。人物たちの身体はまるで踊っているかのように、または断末魔を迎えているかのようによじれ、反り返っている。そして彼らは全員、マディソン・アヴェニューにそびえるミッドセンチュリー建築のビル内のオフィスに今から出勤するかのような服装に身を包んでいる。
ロンゴ自身も、1980年代のニューヨーク特有の不遜さと自信満々な態度を体現してクールさを漂わせていた。才能ある他人を自分の仲間に誘い込みはするが、自身は他人に簡単に丸め込まれたりはせず、ヒップではあるが、売れるために魂を売ったりはしないというギリギリの状態でバランスを保って立ち回っていた。彼はすでに自分のスタイルを確立していた――前髪やサイドを短くし、襟足を伸ばしたロカビリー風の髪型にレイバンのサングラス、黒ジーンズにブーツといういでたちで――たとえ黒髪が銀髪になってもこの格好を貫き通した。自らを「イメージの盗人」と呼ぶロンゴは、壮大で真に存在意義のある作品をつくって、世界中の人々の目を釘づけにしたいと願っていた。どんな広告キャンペーンや映画よりも大ヒットして、彼自身をスターにしてくれるようなアート作品を制作することを渇望していたのだ。「自分にとって、前衛的であるとは」と彼はかつて語ったことがある。「アート界のカクテルパーティに集まったそこそこ大勢の出席者たちから前衛的だと思われることではなく、3000万人以上からこいつはアヴァンギャルドだと思われることを指す」。彼は一部の知的な業界人の間でちやほやされることに価値を見いだしておらず、また長年、アート業界の知識人たちも彼のことを重視してはいなかった。そのかわり、彼は自分がよりインパクトを与えられるポップ・エンターテインメントの世界で活躍することを目指した。ロンゴは「メンソール・ワーズ」という名のパンクバンドのボーカルとリードギタリストを務め、芸術家仲間のリチャード・プリンスがサイドギターを担当した。また、ロンゴはR.E.M.の『ザ・ワン・アイ・ラブ』やニュー・オーダーの『Bizarre Love Triangle(奇妙な恋の三角関係)』などのミュージック・ビデオの監督も務めた。さらにハリウッドの大手スタジオが手がけるアクション映画の監督もこなした。あまりにも多方面で活躍したため、昨年出版されたインタビュー・マガジンの記事の中で彼は「自分は80年代をあんな時代にした張本人だと批判されたアーティストのひとりだ」と語っている。

《無題(ジュールズ)》。ロンゴの《メン・イン・ザ・シティーズ》(1979-1983年)シリーズの絵画の一枚。
ROBERT LONGO, “UNTITLED (JULES),” FROM THE SERIES “MEN IN THE CITIES,” 1979-83, CHARCOAL AND GRAPHITE ON PAPER, COURTESY OF ROBERT LONGO STUDIO © 2025 ROBERT LONGO/ARTISTS RIGHTS SOCIETY (ARS), NEW YORK
現在72歳となったロンゴ。彼は昨年1年間、複数の回顧展の開催のために格闘していた。まず最初の回顧展が昨年秋にウィーンのアルベルティーナ美術館で開催され、それに若干の修正を加えたあとに、デンマークのコペンハーゲン郊外にあるルイジアナ近代美術館に移動して展示。さらに二つ目の回顧展が、同じく昨秋からウィスコンシン州のミルウォーキー美術館で行われた。彼はこの展覧会を、ものものしく「加速する歴史」と名付けた(ロンゴは決して自分の意図を過小評価したりしない)。その回顧展の続編として「希望の重さ」と題された展覧会が、今年9月からマンハッタンの西25丁目にあるペース・ギャラリーの4フロア分のスペースで開催されている。そこではミルウォーキーに出展した作品もいくつか再展示中だ。
私がロンゴに彼のスタジオで会った日、彼はデンマークの回顧展のオープニングに向けて出発する間際だった。彼は緊張していた。当時は1月に行われたトランプ大統領の就任式から数カ月しかたっておらず、大統領は相互関税を引き上げると諸国に警告し、NATO(北大西洋条約機構)に所属するヨーロッパ諸国に対しては、米国に資金面でタダ乗りしているとこきおろしていた。それだけではなく、デンマーク領のグリーンランドを米国の領土にする意を固め、そのために武力行使の可能性も決して否定しなかった。「アメリカ人が今向こうでどんなふうに見られるか、ちょっと心配なんだ」とロンゴは言った。
ロンゴの美術キャリアは、ジャンルも多岐にわたり非常に幅広いが、最近ではとりわけ、壁面のような巨大な紙の上に、実際の写真のようなリアルさで木炭を使って絵を描くドローイング作品で知られている。彼は通常、実際に起きたニュースを撮影した、パワフルで記憶に残る報道写真を一枚もしくは複数枚選び、それを参考にして作品をつくる。だが、彼の作品は、新聞に掲載されている報道写真のような趣ではなく、むしろ歴史の転換期を描いた伝統的な絵画の雰囲気に近い。たとえばテオドール・ジェリコーが描いた《メデューズ号の筏(いかだ)》(1819年)やフランシスコ・デ・ゴヤの《1808年5月3日、マドリード》(1814年)のような作品を思わせる。ロンゴは迫害を恐れて母国から逃げてきた政治難民の姿を題材にしたり、プロのアメリカン・フットボール選手が試合会場に片足の膝をついて差別撲滅を訴える様子を描写したり、警官の暴力に異議を唱えて衝突するデモ隊や、ガザの爆撃に反対するデモ隊の人々を、風景をまるごと煙で包み込むように描く。
一枚の作品を完成させるのに、彼と彼のアシスタントたちは数カ月から1年ほどの時間をかける。木炭を何層にも柔らかく塗り込んでいく作業から始めるのだが、スタジオ内に木炭の細かい粒子が充満するため、天井には精巧な換気装置がぶら下がっている。ロンゴはフォトジャーナリズムを象徴するような報道写真を作品のアイデアの元にしているが、絵画のサイズがあまりに巨大なため、観客はそのイメージを記憶からすぐに消したり(ましてや指でスワイプしたり)はできない。彼はその時々で実際に起きている出来事を作品化することが多いが、過去50年間にわたって一貫しているのは、彼の作品には不吉な前兆が常に描かれていることだ。それらの作品は、米国は他国とは違うのだという思想、つまりアメリカ例外主義を繰り返しあぶり出してみせる。「それは男特有の感覚というか、どうしようもなくアメリカ的なんだ」と、ロンゴは今は亡きアーティストであり作家でもあったウォルター・ロビンソンに語ったことがある。「それはつまり、自分の人生の意味や目的をどうやって男たちが探しあててきたか、ということでもある」
何十年もの間、ロンゴは、彼の作品同様、誤解されることが多かった。彼は対象を批評しているのか、それとも称賛しているのか?と。2007年から2018年までの間、彼は飢えたサメが大きく口を開けている姿を描いた特大サイズの絵画をシリーズものとして制作していた。一番初めにその作品を買ったのは、ある企業の"重鎮"だったと彼は言う。その人物がその絵をオフィスの机の前に飾っていたという噂を耳にして、ロンゴは恥ずかしくうんざりした気持ちになった。ロンゴは自身を政治的なアーティストだと認識しているが、彼の作品は政治がもつ劇場効果や時代の空気感を観察したり、効果的に見せたりするものだ。それはつまり、メディアの中を次々に流れていく画像や映像やハーモニーが欠如した音楽を題材とした挑発的で前衛的な政治的態度であり、テレビ画面を長時間見続け過ぎたときの消耗感に近い政治的なスタンスでもある。そこにはプロパガンダの要素はない。2014年に、マイケル・ブラウン(註:当時18歳で高校を卒業したばかりの黒人青年。白人警官に射殺された)が殺されたあとに起きた抗議デモの際に、ミズーリ州のファーガソンで武装した警官たちの姿がテレビ映像で流れた。同年、その光景をロンゴは作品にした。心情的には彼はデモ隊にシンパシーを抱いていたかもしれないが、それでも、体制側の権力のむきだしの屈強さを描写したその絵画には、不気味で不快ながらも魅惑的な輝きが宿っていた。武装した警官たちはコミック本に出てくるようなカリスマ性のある悪役にも見えるのだ。
ひとたびロンゴの絵画の物理的な巨大さに目が慣れてくると、見る側は作品がヒューマニズムに貫かれていることに気づく。たとえマスメディアーー現代で言うならソーシャルメディアで何度も見た光景であっても、対象者の気持ちに寄り添うことを私たちに思い起こさせてくれる。ロンゴはかつて「イメージが人間の精神に与える影響」に興味があると語っていた。彼は、私たちが現状に麻痺してしまうのではなく、今起きている出来事に反応し、フィードバックを得る中でそこに何らかの意味を見いだすことを望んでいるのだ。――中編に続く
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