BY CHIKO ISHII
江戸時代に生きる女・ふゆの一生
朝倉かすみ『けんぐゎい』
朝倉かすみの初めての時代小説『けんぐゎい』が、第175回直木賞にノミネートされた。舞台は文政期の江戸。幼いころ重い疱瘡(ほうそう)にかかり、からだのほぼいちめんに痘痕(あばた)がある娘・ふゆの物語だ。

『けんぐゎい』 朝倉かすみ 著
装幀 泉沢光雄、装画 feebee「観察者効果 白沢 憂鬱」¥1,980/光文社
“けんぐゎい”とは“圏外”のことだ。女性はほとんど嫁入りするしか道がなく、外見にまつわるジャッジも容赦ない時代。母はふゆを見て〈このご面相〉〈これじゃあ肩身を狭くして生きるよりほかないし〉と言う。ふゆ自身も引け目を感じていたが、利発だったおかげで読み書き算盤を教える手習い所の師匠に目をかけられ、稽古場の裏方の仕事を任されることになる。とはいえ女だから、どんなに賢くてもその先には進めない。圏外で生きるふゆは、さまざまな人と出会い、自分の心のなかに潜んでいる“尋常ならざるなにか”を発見していく。
落語のようにユーモラスでリズミカルな語り、当時の外来語を用いた独創的な比喩、強烈な人物造形に引き込まれる。なかでも魅力的なのは、ふゆの妹・りよだ。
りよは目鼻立ちが整っているのに、頭から湯気を出すように昂ぶる癖がある。奉公先の旦那に手籠めにされ、そのまま関係を持ち続けて小遣いをもらうけれど、妾として完全に囲われることは拒む。ふゆと違って自由奔放なりよが〈金、輪、際だ。おいらはだれも赦さない。この世のひとり残らずだ。だってみんなペコチャンさ、どれもこれも同じなんだよ〉と怒りを爆発させるくだりがいい。それは今風に言えば、社会の構造に対する怒りなのだ。
江戸は封建社会だ。弱い立場の人は、簡単に命や尊厳を奪われる。ふゆも例外ではない。ある人物によって〈おまえは、一生外側にいるしかないんだ〉と虐げられる。そんなふゆの救いになるのが “ガストホイス”だ。ガストホイスはオランダ語で“病院”を意味する言葉だ。蘭学者・森島中良がオランダ人に聞いた話をまとめた『紅毛雑話』に出てくる。解説によれば、国籍も貴賤も関係なく患者を受け入れるガストホイスは、小石川の養生所に似通っているという。しかし、ふゆは評判の良くない養生所とは違う、自分のような女たちにとって理想のガストホイスを考える。
読んでいて思い出したのは、昨年映画化された朝倉の代表作『平場の月』で、主人公のふたりが日常を支え合うためにはじめる“互助会”だ。『よむよむかたる』に描かれた老人たちの読書会もそういうところだ。『けんぐゎい』のガストホイスには、恋の愚かさも性の残酷さも含めて、人間の生をまるごと受け入れてくれる度量の広さがある。自他の境界を守りつつ、安心していろんな話ができる場所を、朝倉は本のなかにつくっている。
実在の人物をモデルにした意欲作
『見えるか保己一(ほきいち)』
蝉谷めぐ実の『見えるか保己一』は、『けんぐゎい』と同じく、第175回直木賞の候補作だ。舞台になっている時代も近い。版木が重要文化財に指定されている古典叢書『群書類従』を編纂した全盲の学者・塙保己一の生涯を描く。
保己一は、1746年、武蔵国児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市)生まれ。数えで7歳のときに失明し、15歳で江戸に出て、雨富(あめとみ)検校の門人となって按摩の修行をする。そんな保己一が、どういうわけで好きな学問の道に進むことができたのか。彼の人生の岐路にあらわれる女性たちが印象的だった。

『見えるか保己一』蝉谷めぐ実 著
装画 及川真雪 デザイン 坂野公一+吉田友美(well design)¥2,035/角川書店
まずは母のきよ。保己一の目を必死で治そうとしていたきよは、失明が決定的になったとき絶望する。ところが、保己一にずば抜けた記憶力があることに気づき、彼を寺子屋に通わせるのだ。きよは死ぬ前に保己一を江戸に送り出すよう遺言をのこす。
その後、按摩がいっこうに上達しない保己一は、ほんとうは勉学がしたいと師匠に告白する。すると、客のうち何人かが、揉み療治のあとに蔵書を読み聞かせてくれるようになる。本の内容を聞いただけで、晴眼者よりも正しく暗記する能力。それが目の見えない保己一に残された希望だったのに、ある日聞き間違いを指摘されてしまう。思い悩んで牛ヶ淵に身を投げた保己一は、お寿ずという武家の奥方に助けられる。
自分も溺れかけたことがあるというお寿ずに、保己一が『栄花物語』に出てくる庭園の水の流れの話をするくだりが素晴らしい。『栄花物語』は好きだけど庭園の水の流れなんて取るに足らないところは覚えていないと言うお寿ずに、保己一は〈私はその取るに足らないものを見落とさねえ〉と返す。その言葉と、保己一の表情に、お寿ずは意表を突かれる。保己一と交流するうちに、〈現(うつつ)を見る目を持っていなくとも、この子にはお寿ずらには見えぬなにかが見えている〉と思う。
きよもお寿ずも、保己一の妻も娘も、自分には見えないなにかが見えている彼に惹きつけられる。保己一は書物のことしか頭になく、他者の気持ちを理解できないのだが、彼と関わった人は世界の見方を変えずにはいられない。
『群書類従』の編纂過程もスリリングで、読みごたえのある一冊だ。
野村望東尼と高杉晋作の縁と絆
『きみがなきあと』
『漂砂のうたう』で第144回直木賞を受賞した木内昇の最新長編『きみがなきあと』は、高杉晋作の辞世の句として有名な「面白きこともなき世を面白く」の下の句「棲みなすものは心なりけり」を詠んだ野村望東尼の半生を題材にしている。
ときは幕末。異国の船が来て、尊王攘夷論を唱える志士たちが各所にあらわれ、世の中は騒然としていた。主人公のモトは54歳のときに夫を亡くし、出家して筑前の草庵でひとり和歌を詠んで暮らしていたが、次第に物足りなさを感じるようになる。そこで一念発起して、大坂にいる師匠に会いに行く。ついでに足を延ばした京都で、勤王運動に身を投じて大きな役割を果たした老女・村岡局の話を聞く。村岡局に刺激されたモトは、草庵に戻って政治ついて学ぶようになるが……。

『きみがなきあと』木内昇 著
装画 染谷悠子「知でなく意ではない。」、題字 根本 知、装幀 櫻井 久 ¥2,640/講談社
〈正しくあらねばならぬと、ずいぶん長いこと思い込んでいたのかもしれぬ。幼い頃は子として親に孝行せねばと己を律し、嫁してからはいい妻、いい母であろうと励んだ。いずれも世間の枠に収まるよう、己を定まった型に押し込むことに躍起になっていたような気がする〉というモトの述懐が胸に沁みる。本書は還暦を迎えようとする女性が自分の型を破って冒険する物語なのだ。
激動の時代に冒険するのだから無傷ではいられないし、艱難辛苦を味わうことにもなるのだけれど、モトは多くの傑物に出会う。その傑物を代表するのが、明治維新の礎を築いたとも言われる長州藩士・高杉晋作だ。性別も年齢も所属も関係ないひとりの人間として、モトは高杉と付き合う。こんな面白い女性が実在したのか、といううれしい驚きがある。
江戸時代と現代の日本は、制度も文化も大きく違う。でも、江戸時代の地続きに今の日本はあって、全然知らない世界ではない。異世界の新鮮さがありながら共通する部分もあるから、江戸時代を描いた小説は面白い。何百年も昔に生きていた人たちにもわたしたちと同じ感情があったことを、今回紹介した3冊はリアルに想像させてくれる。

石井千湖
書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経たのち、現在は新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿のほか、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。
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