BY HITONARI TSUJI
The Story for 'LOVE'
「サンジェルマン・デ・プレ物語、1」
パリ左岸のこのカルティエ(地区)で生まれ育った。母は私が幼い頃に他界し、私は父に育てられた。日曜日の朝、父とサンジェルマン・デ・プレ教会のミサに通うのが習慣であった。彼を教会で見かけるようになり、長い年月が流れた。最初はお互い幼く、年齢が近かったからこそ、気になる存在だった。でも、恥ずかしくて、その分、近づけなかった。その後、ステンドグラスの光の中で見かけるあの青年を異性として意識するようになる。でも、十年以上の歳月が必要だった。教会前のカフェでコーヒーを飲んでいると、見覚えのある顔が立ち止まり、ミサで一番見かけていた、と言った。この言い方が気に入って、それから時々、待ち合わせるようになった。
大学を卒業する頃、初めての口づけを交わす。彼の腕の中にいる時、なぜだろう、私は母のことを思い出した。記憶に残る母はまだ若く、当たり前のことだけど今の私にそっくり。細く、繊細で、優しく、穏やかな人……。その母と父の出会いもこの教会で、と聞いたことがある。いつしか私は彼との出会いに両親の軌跡をなぞるようになるが、彼はなぜか時々、悲しそうな顔で、私の手首を見つめた。ミサの最中の父の横顔に似ていた。父は母のことが忘れられないのである。
私は父とサンジェルマン・デ・プレ界隈の小さなアパルトマンで暮らしている。父は母だけを愛したので、仲のいい女友だちはいるようだが、再婚もせず、私の面倒をずっと見続けてきた。「そろそろ自分の人生を考えたら?」と言ったこともある。「パパにはママがいるからね」と必ず戻ってきた。彼にその話をよくしたし、彼もその話を聞くのがどうやら好きなようで、何度話をしても黙って付き合ってくれた。彼を父に紹介したのは、二人が交際をはじめて二年ほどが過ぎた頃。父は驚いたけれど、もちろん、受け止めてくれた。長く二人だけで生きてきたので、私が男性を連れてきたことに動揺しても不思議じゃなかった。でも、彼がミサにいた少年だとわかった途端、父の目元にあのステンドグラスの淡い光がたゆたいはじめた。
ある時、少し翳った目で、彼が私の腕を見つめていた。その視線を辿ると、淡く光るブレスレットに辿り着いた。いつも、そういう目で彼が私の手首を見つめるので「何か気になることがあるの?」と訊いてみる。
「そのブレスレットはうちの両親が着けているものと一緒なんだ。教会の前に、ほら、昔、カルティエの路面店があっただろ? そこで買ったもの」
「ええ、そうよ。じゃあ、一緒ね」
彼が浮かない顔を崩さないので、どうしたの? と私は訊き返した。
「いや、そのブレスレットには小さなスクリュードライバーが付属している」
「よく知ってるわね」
「パパがママにこれをプレゼントして、パパがママに、そして、ママがパパに、その小さなドライバーで装着しあった。自分では着けることができないんだよって、両親が昔、ぼくに自慢したことがある。つまり、強い絆を表している。愛の証しというわけだ」
ええ、と私が微笑みを返すと、それを遮るように、ごめんね、と彼が謝った。
「焼きもちを焼くわけじゃないけど、そのブレスレットを誰が君に贈ったのか、気になって仕方ない。ぼくの両親はそのブレスレットを外したことがないんだ。永遠の愛の絆……」
ああ。やっとわかった。彼がなぜ、いつも浮かない顔をして私の手首を睨みつけていたのか。そして、その謎がわかって、思わず、噴き出してしまった。きょとんとした顔で彼が不服そうに、なんだよ、と呟いた。
「これはママの形見なのよ。パパが私の腕に着けてくれたもの。ママがお前を守るから、お守りのように付けていなさい、とね」
彼の口元にも光が差した。あのステンドグラスの光……。私は彼の胸に飛び込み、なぜか、母のことを思い出すのだった。