カルティエのアイコンとともに受け継がれるさまざまな愛の形。作家・辻 仁成が、「LOVE」、「ジュスト アン クル」、「サントス ドゥ カルティエ」をめぐる連作ストーリーを書き下ろす

BY HITONARI TSUJI

The Story for 'SANTOS'
「サンジェルマン・デ・プレ物語、最終回」

 パリ左岸のこのカルティエ(地区)で生まれ育った。それから六十年以上の歳月が流れているが、この街の風景は私が生まれた頃とさほど大きな変化はない。サンジェルマン・デ・プレの交差点界隈にあるカフェやレストランは当時も、今も、ほとんどそのままの空気感、雰囲気、佇まいを残している。テラス席の椅子の配置さえ、私が子供の頃のままなのだから……。ただ、そこに座っていた人や道ゆく人々が、時の流れと共に、移り変わっていっただけ……。

 私の娘がこのサンジェルマン・デ・プレでやはり生まれ育った青年と結婚することになった。その青年のことはよく知っている。というのも、幼い頃から教会のミサでよく見かけていたからである。彼の親はやはりこの辺りで生まれ育った隣人……。学校が違うので交流こそなかったが、顔見知りで、父親はこのサンジェルマン・デ・プレ教会の写真を長年撮り続けてきた写真家である。娘がある日、その青年の父親が撮影したという一枚のモノクロの写真を持ち帰った。そこには生前の妻と私と娘が写っていた。二十年もの歳月をかけて撮り続けられてきた教会の時の流れの中に、それは偶然に切り取られた、私たち三人家族の幸福な瞬間であった。娘にそれを見せられた時、私の頰を温かい涙が伝った。

 その日のことはよく覚えている。それは妻の誕生日のことであり、私たちはミサの後、そのまま交差点にあるブラッスリー「リップ」でランチをとった。あの日はあまりに幸せで、その後に待ち受けているだろう不意の妻の旅立ちなど想像だに出来なかった。けれども、その写真には私たち三人のまさに永遠が焼き付いていたし、それを撮影した男が娘の夫の父親であることに、縁を通り越した奇跡を覚えないではいられない。人生には、苦しいことも付きまとうが、それを乗り越えるための愛のご褒美もつねに用意されている。私は、たまらず、号泣した。

 今日、私はウエディングドレスを纏った娘をエスコートして、サンジェルマン・デ・プレ教会のヴァージンロードを歩いた。派手さはないが歴史の重みとパリでは数少ないロマネスク様式を持つ重厚な造りの教会を、美しいパイプオルガンの音色に導かれながら、歩いた。正面に娘婿が立っていた。かつて、私もそこに立ったことがあった。父親にエスコートされた妻をそこで待ち受けたのだ。あの日と同じ、ステンドグラス越しに降り注ぐ淡い光が教会内を包み込んでいた。私は途中、天を見上げ、妻を探した。記憶の中で、様々な思い出がフラッシュバックしていく。いる、と思った。そこに、お前がいるね、と心の中で呟いてみた。目の奥の芯が緩やかに淡く滲にじんでいった。

画像3: HAW‐LIN SERVICES © CARTIER

HAW‐LIN SERVICES © CARTIER

 神父の声、聖書の一節の言葉が降り注ぎ、永遠のような時間が過ぎていった。娘と娘の夫がロードを歩きだした。
「あなた」
 どこからか声が聞こえた。みんなが教会の外へと歩き出した時のことだ。私は振り返った。あなた、ともう一度声が心の中で響き渡った。

 私は妻を抱きしめた。あの日、私たちは教会の外で人々に祝福されながら、お互いを抱きしめあって口づけを交わした。そこにも永遠があった。その時の永遠が今、もう一度蘇り、娘に手渡されたのである。

 私は人々の幸福そうな場所を離れ、妻とほんの少し二人きりになりたくて、自分の街を少し彷さまよ徨った。なぜか、人々の笑顔の中にはいられなかった。サンジェルマン・デ・プレの我が街を心が落ち着くまで歩きたかった。私の生まれ育った街にも、娘の結婚を報告し、感謝したかった。空を見上げ、街路樹に触れ、裏通りに佇み、そうだ、私はお前を探した。その愛がこうやってまた一つの結晶を作ったことに感謝しながら……。

「お父さん」
 遠くから、私を呼ぶ声がした。娘婿が私に向かって走ってきたのだった。
「どこにいたんですか? 探しました。みんな待っています。行きましょう」
「待ってくれ」

 私は不意に思い出し、自分がしていた腕時計に触れた。短針と長針が文字盤の上で交わろうとしていた。それを外して、彼に手渡した。娘婿がじっと私を見つめる。
「これを君に着けてもらいたい。自分が大切にしていたもの君に譲りたい。君たちの冒険の船出に」

 視線の先に、青空に屹立するサンジェルマン・デ・プレ教会の尖塔が見えた。

辻 仁成(HITONARI TSUJI)
作家。1989年、『ピアニシモ』ですばる文学賞、1997年『海峡の光』で芥川賞、1999年『白仏』の仏語版「Le Bouddha blanc」でフランスの文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を受賞。現在はフランスを拠点にミュージシャン、映画監督、演出家など幅広く活躍。新刊は「十年後の恋」(集英社)。Webマガジン「Design Stories」主宰

朝吹真理子さんのオリジナルエッセイ

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