BY MINAKO NORIMATSU
「ジョセフィン・ベーカー!」。1月23日、パリ。ディオールの2023年春夏オートクチュール コレクションの会場に足を踏み入れた誰もが、感嘆の声をあげた。壁一面が、ベーカーのポートレートのコラージュで覆われていたのだ。ディオールのアーティスティックディレクターであるマリア・グラツィア・キウリは、ほぼ毎回のコレクションに、女性のフェミニスト・アーティストをフィーチャーすることで知られている。会場セッティングやパフォーマンスのみなのか、コレクション自体にそのアーティストからの影響を反映させるのかはケースバイケースだが、今回のミューズがこのダークスキンのシンガー&ダンサーであることは、明らかだ。
![画像: ディオールの2023年春夏オートクチュール コレクションのフィナーレ。インスピレーション源となったジョセフィン・ベーカーのアイデンティティは、ヘアメイクにも顕著だ。ボディスーツにガウン風コートを羽織ったファーストルック(手前)は、特に象徴的 ©ADRIEN DIRAND](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/2f9967f58e2af65a0e75deba190c275d6a9c5333_large.jpg#lz:orig)
ディオールの2023年春夏オートクチュール コレクションのフィナーレ。インスピレーション源となったジョセフィン・ベーカーのアイデンティティは、ヘアメイクにも顕著だ。ボディスーツにガウン風コートを羽織ったファーストルック(手前)は、特に象徴的
©ADRIEN DIRAND
フランスのオートクチュールをまとって世に広め、特にムッシュ ディオールとは親交が深かったベーカー。ちなみに2021年には、ベーカーの没後50年近くにして、しかも黒人女性としては初めて、フランスの国民的英雄たちと並んで、パリのパンテオンの霊廟に祀られたことが話題となった。この機に再認識されたのは、アメリカからフランスに渡ってミュージック・ホールのスターとなった彼女が、第二次世界大戦中には対独レジスタンスとして活動していたこと、そして人権活動家で孤児を何人も引き取っていたという事実。一方キウリが浮き彫りにしたのは、表面的な“スタイル”でもダイレクトなプロパガンダでもなく、華やかさと強さの背後に隠された、ベーカーの脆(もろ)さや繊細さだった。
![画像: ファーストルックの制作風景。 (左)親密な雰囲気を象徴する、ガウン風コート。シルクベルベットのラペル部分に、ダイヤモンドステッチを施す作業 ©SOPHIE CARRE (右)ボディスーツにギャザーを寄せる工程。19世紀末にブラジャーを発案したことで知られる、パリで唯一かつ最古のオーダーメイド・ランジェリーの工房、カドールとのコラボレーションによって実現した ©SOPHIE CARRE ©CADOLLE](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/d447cff752d8f3da53731631ad7a647610bde8bd_large.jpg#lz:orig)
ファーストルックの制作風景。
(左)親密な雰囲気を象徴する、ガウン風コート。シルクベルベットのラペル部分に、ダイヤモンドステッチを施す作業
©SOPHIE CARRE
(右)ボディスーツにギャザーを寄せる工程。19世紀末にブラジャーを発案したことで知られる、パリで唯一かつ最古のオーダーメイド・ランジェリーの工房、カドールとのコラボレーションによって実現した
©SOPHIE CARRE ©CADOLLE
「ステージに立つ前、ドレッシングルームでのプライベートなシチュエーションを想起させるドレスのシルエットに取り組みました。ですからコートでは、寒さから身を守るという本来のストラクチャーを保ちつつ、親密感、リラックス感を求めたのです。ガウンを着想源に、美しいクラッシュド・ベルベットやキルティングのファブリックで、パーフェクトなシルエットを作ることができました」。ステージ衣装ではなく、あえて楽屋でのアイテムにフォーカスしたキウリはこう語る。
「それらを、レトロなシルエットのランジェリー風スリップドレスの上に前をはだけて羽織る、つまり内面を守りながらもあらわにすると、完璧なコントラストが生まれます。いわばモダンな解釈なのです」。だからこのコレクションではアイコニックな「バー」ジャケットはやや影を潜め、ソフト・テーラリングが新鮮だ。色合いや装飾でも、華やかさよりデリケートでニュアンスのある奥深さを追求。それを可能にしたのが、工房の職人たちの熟練した技術である。キウリは続けた。
「ノーブルで貴重な刺しゅうは、玉虫色に輝きます。今回使ったのは、鈍い光を放つシルバーのスタッズとスパンコール。どちらも極小サイズです。刺しゅうはしなやかにボディを包み込み、また光が反射すると見た目の錯覚を生み出します。言わば“陰影法”ですね。そしてシルバーとゴールドのフリンジは、ボディが織りなす一連の動きに寄り添い、より美しく見せるのです」。キウリのこんな言葉を聞くと、1951年のステージでディオールの衣装をまとったベーカーが踊る姿が、想像できる。まさに、職人技によって、歴史が未来へとつながった瞬間だ。そんなキウリの神業を支えるのは、ほかでもないメゾンのヘリテージ。
![画像: (左)本コレクションのために特別に1920〜30年代の技法で織った、玉虫色に輝くラメジャカードを使用したドレス。マリア・グラツィア・キウリ特有の繊細なドレープを、二人がかりで形にしていく工程 ©SOPHIE CARRE (右)ビーズの総フリンジの輝きが際立つドレス。手作業によるフリンジは、19世紀末創業のパリのテキスタイル工房、ユレルとのコラボレーションで制作 ©SOPHIE CARRE ©HUREL](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/887601ac2c222e00df9108924b1b97561c3984bc_large.jpg#lz:orig)
(左)本コレクションのために特別に1920〜30年代の技法で織った、玉虫色に輝くラメジャカードを使用したドレス。マリア・グラツィア・キウリ特有の繊細なドレープを、二人がかりで形にしていく工程
©SOPHIE CARRE
(右)ビーズの総フリンジの輝きが際立つドレス。手作業によるフリンジは、19世紀末創業のパリのテキスタイル工房、ユレルとのコラボレーションで制作
©SOPHIE CARRE ©HUREL
![画像: 右のルックのパフスリーブの制作風景。伝統的な刺しゅうの技術で格子地に仕立てたのは、テキスタイル工房、パロマ。刺しゅうから編み地まで専門分野の境界線なく、新しい技術を開発して不可能を可能にするラボラトリーだ (左から)©SOPHIE CARRE ©MAISON PALOMA,COURTESY OF CHRISTIAN DIOR](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/695f3ebccc13c40eab688ee6c18feb5c2508db1b_large.jpg#lz:orig)
右のルックのパフスリーブの制作風景。伝統的な刺しゅうの技術で格子地に仕立てたのは、テキスタイル工房、パロマ。刺しゅうから編み地まで専門分野の境界線なく、新しい技術を開発して不可能を可能にするラボラトリーだ
(左から)©SOPHIE CARRE ©MAISON PALOMA,COURTESY OF CHRISTIAN DIOR
![画像: プリーツはキウリが得意とする手法。アイロンで生地に圧力をかけてシワ加工をし、さらに気の遠くなるような細かいプリーツを形作っていく。すべてが手作業だ (左から)COURTESY OF CHRISTIAN DIOR, ©SOPHIE CARRE](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/b52268c4a06b20422f6510ba6e5c939cdff50e19_large.jpg#lz:orig)
プリーツはキウリが得意とする手法。アイロンで生地に圧力をかけてシワ加工をし、さらに気の遠くなるような細かいプリーツを形作っていく。すべてが手作業だ
(左から)COURTESY OF CHRISTIAN DIOR, ©SOPHIE CARRE
「私にとってディオールのアーカイブは、常に動きのあるラボラトリー。いつ見ても何かを再発見できるところです。またディオールのヘリテージが広義でのカルチャーに与えた影響について熟考すると、自由に過去と現在をつなぎ、そして未来を描くことができるのです。インスピレーションや参照できる要素を探して、時にはメゾンのストーリーを学ぶために、アーカイブは頻繁に見ます。とはいえピンポイントではなく、直感に従って。自由に歴史的ピースの間をさまよい、ディテールやルックをそこここから拾い、研究して自分のデザインに取り込むのです」と、キウリ。折しも彼女がディオールに迎えられた翌年、2017年には『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展が世界巡回をスタートし、2022年にはモンテーニュ通りの本店に隣接した常設のラ ギャラリー ディオールがオープン。ディオールのアーカイブがアカデミックな視点で編集され、またアーティスティックに演出・展示されている。展示ではムッシュの歴代の後継者たちの代表作を網羅し、キウリはいずれの先任者にも敬意を惜しまない。
![画像: パリのラ ギャラリー ディオールに展示された、ムッシュ ディオールからマリア・グラツィア・キウリまで、歴代アーティスティック ディレクターの代表作。https://www.galeriedior.com/en ©KRISTEN PELOU](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/1d5cc24639eb60a895814d244424a1879980e7bb_large.jpg#lz:orig)
パリのラ ギャラリー ディオールに展示された、ムッシュ ディオールからマリア・グラツィア・キウリまで、歴代アーティスティック ディレクターの代表作。https://www.galeriedior.com/en
©KRISTEN PELOU
「イヴ・サンローランの感受性、マルク・ボアンの活力、ジャンフランコ・フェレの先見の明、ジョン・ガリアーノのドラマティックなスタイル、ラフ・シモンズのモダニズム。私はいくつかの異なるレファレンスをミックスし、新たな光をあてたいと思っています」
同時にキウリをインスパイアしてやまないのが、メゾンの創始者の人となり。「自伝も読みました。ムッシュ ディオールの仕事だけでなく人柄も理解したくて。彼が自分自身を語る言葉は私にとって、彼のクリエイションについての理解を深め、その革新性を確かめるための指標です。革命を起こそうとするアティテュードは、私と彼の共通点だと思うのです」
また、クリスチャン・ディオールとマリア・グラツィア・キウリの間の特筆すべき共通点は、もうひとつある。日本への興味と愛だ。1953年にムッシュ ディオールが創ったのが、桜の花がプリントされたアンサンブル“ジャルダン ジャポネ”。キウリが2017年、東京で開かれたオートクチュールのショーに際して特別にデザインした9点のドレスは、これにインスパイアされたものだ。
「一連のしなやかなドレスは、それらが包み込むボディのラインをほのめかします。そしてディオールのクチュールのクラフツマンシップと日本の文化との出合いによって、繊細な花の刺しゅうで飾られたジャケットやフードつきロングケープが生まれました。私は日本の文化、特に伝統的なテキスタイルにとても興味を持っています」
![画像: パリ・ロダン美術館の庭園内に設置されたテント会場。四方の壁を飾るのは、アフリカ系アメリカ人の女性アーティスト、ミカリーン・トーマスの作品。ジョセフィン・ベーカーをはじめ、社会の多様性に貢献した黒人女性たちのポートレートのコラージュに、刺しゅうを施した ©ADRIEN DIRAND](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/fdf15c0ef34d6e2293c7370739e097fc6f886e17_large.jpg#lz:orig)
パリ・ロダン美術館の庭園内に設置されたテント会場。四方の壁を飾るのは、アフリカ系アメリカ人の女性アーティスト、ミカリーン・トーマスの作品。ジョセフィン・ベーカーをはじめ、社会の多様性に貢献した黒人女性たちのポートレートのコラージュに、刺しゅうを施した
©ADRIEN DIRAND
![画像: マリア・グラツィア・キウリ●1964年ローマ生まれ。地元のヨーロッパ・デザイン学院で学んだのち、フェンディ姉妹に師事。ヴァレンティノを経て、2016年よりディオールにてウィメンズ コレクションのアーティスティック ディレクターを務める ©MARIPOL](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/63d2f422d2f61eba1ef92ecdde035729691360b4_large.jpg#lz:orig)
マリア・グラツィア・キウリ●1964年ローマ生まれ。地元のヨーロッパ・デザイン学院で学んだのち、フェンディ姉妹に師事。ヴァレンティノを経て、2016年よりディオールにてウィメンズ コレクションのアーティスティック ディレクターを務める
©MARIPOL
メゾンの創始者と先任者たちへのリスペクト、完璧なまでのカッティングや刺しゅうの技術の熟知、女性讃歌、アートへの造詣……キウリのクリエイションをひもとく鍵は多様だ。最新オートクチュール コレクションには、それらの要素が凝縮されている。
ディオールのクラフツマンシップを体感する
![画像: 歴代デザイナーの代表作を見せる展示から、クリスチャン・ディオールのコーナー。背景は写真家・高木由利子の作品。展示されたドレスを実際にモデルが着用し、撮影された ©DAICI ANO](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/a2c5d3f551d635db7d5cf09ea4c9319edff40dd4_large.jpg#lz:orig)
歴代デザイナーの代表作を見せる展示から、クリスチャン・ディオールのコーナー。背景は写真家・高木由利子の作品。展示されたドレスを実際にモデルが着用し、撮影された
©DAICI ANO
ディオールの強みは、そのヘリテージの豊かさにある。フランス北西部・グランヴィルには25年余りも前から、ムッシュ ディオールが育ったヴィラを改装したクリスチャン・ディオール美術館が存在する。そして、アーカイブを一堂に集め、色のグラデーションで展開する“コロラマ”をはじめ、ビジュアルアートの域の演出で見せたのが、2017年にパリ装飾芸術美術館で開かれた『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展だ。同展はその後ロンドン、ニューヨーク、カタールのドーハを巡回し、昨年末に東京にやってきた。なかでも、日本とディオールの70年にわたる関係性にフォーカスした展示は、東京だけのオリジナル。ムッシュからキウリまで脈々と続いてきた日本との深いつながり、そしてディオールのクラフツマンシップの神髄を、じかに目にできる貴重な機会となっている。
![画像: (左)ジョン・ガリアーノによる“スズルカ-サン”コート(2007年春夏オートクチュール) ©DAICI ANO (右)手前の3ルックは、ムッシュディオールによる1953年の“ジャルダン ジャポネ”をキウリが再解釈したドレス(2017年春夏オートクチュール)。上段はガリアーノによる“コージ-サン”(2007年春夏オートクチュール) ©DAICI ANO](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/9095da1f194635a0ca60e53cb5b01d9da447ebb7_large.jpg#lz:orig)
(左)ジョン・ガリアーノによる“スズルカ-サン”コート(2007年春夏オートクチュール)
©DAICI ANO
(右)手前の3ルックは、ムッシュディオールによる1953年の“ジャルダン ジャポネ”をキウリが再解釈したドレス(2017年春夏オートクチュール)。上段はガリアーノによる“コージ-サン”(2007年春夏オートクチュール)
©DAICI ANO
![画像: ご成婚パレードで上皇后美智子さま(当時の皇太子妃)がまとったのが、ディオールのドレス(1959年4月10日) ©KEYSTONE-FRANCE/GAMMA-RAPHO](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/92ce6dc4d6101d61969547931d1ef5e51a81dadb_large.jpg#lz:orig)
ご成婚パレードで上皇后美智子さま(当時の皇太子妃)がまとったのが、ディオールのドレス(1959年4月10日)
©KEYSTONE-FRANCE/GAMMA-RAPHO
![画像: メゾンと日本の関係性を語る部屋。手前左は、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」をテーマにしたガリアーノの作品(2007年春夏オートクチュール) ©DAICI ANO](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2023/03/14/8bd22a5e9af403cfdad21f765d7e443892e3b42a_large.jpg#lz:orig)
メゾンと日本の関係性を語る部屋。手前左は、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」をテーマにしたガリアーノの作品(2007年春夏オートクチュール)
©DAICI ANO
『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』
会期:〜2023年5月28日(日)
会場:東京都現代美術館
住所:東京都江東区三好4-1-1
公式サイトはこちら
(事前に必ずチケットの最新情報をご確認ください)
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