プラダとミュウミュウのデザイナー、ミウッチャ・プラダはファッションとアートの関係を刷新し、従来の美の定義を大きく、永遠に変えた。彼女はまた、内に強い信念を秘めたひそやかな反逆者でもある。今まで自らについて多く語ることのなかったミウッチャの幼少期からの軌跡をひもとく

BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPHS BY COLLIER SCHORR,FASHION STYLED BY SUZANNE KOLLER, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

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画像: 2023-’24年秋冬コレクションより、立体的な花モチーフをあしらったポプリンのドレス¥445,500(予定価格)/(プラダ)プラダ クライアントサービス

2023-’24年秋冬コレクションより、立体的な花モチーフをあしらったポプリンのドレス¥445,500(予定価格)/(プラダ)プラダ クライアントサービス

 ミウッチャは今もなお、姉のマリーナや兄のアルベルトと子ども時代を過ごしたミラノのアパルトマンに住んでいる。友人のカルラ・ソッツァーニいわく「美しくエレガント」だったミウッチャの母親ルイーザ・プラダは、1958年に2 代目として父親から継いだ店を、20年近くにわたり切り盛りした。ミウッチャの父親ルイジ・ビアンキは、ゴルフ場用芝刈り機の製造会社を経営していた。幼少期は「よいことも、悪いこともなかった」とミウッチャは退屈そうにつぶやく。だが10代の頃の話になった途端、彼女は背すじをすっと伸ばした。「あの時代は、政治的に大きく揺れ動いていました」
 ミラノ大学に通いながら(同大学で政治学の博士号も取得している)、ミウッチャはヨーロッパで「1968年抗議運動」と呼ばれた若者主導のデモや労働者のストライキに参加した。イタリアはこの頃、テロと暴力の嵐が吹き荒れる「鉛の時代」にも突入した。「当時の私は、自分たちで世界を変えられると本気で信じていました」。学業と並行してミラノの名高い劇場ピッコロ・テアトロで5 年間、パントマイムの役者になるための修業も積んだ。さらに共産党の分派でフェミニズムを推進したイタリア女性連合の若手メンバーとしても活動し、当時マルクス主義を公言していたジャン=リュック・ゴダールやピエル・パオロ・パゾリーニの映画に強い影響を受けていた。だがそんな政治的な風潮の中では、ファッションの仕事はくだらないものだとみなされていた。「肩身の狭い思いをしましたが、それでも好きだったファッションの道に進もうと決めたのです」
 だがそれは義務感からきた選択でもあった。「自分の意志に反して始めて、気づいたらここにたどりついていたという感じです」。プラダの経営を任されるようになって数年後、ミウッチャはある見本市でベルテッリと知り合った。彼はベルトやバッグなど革製品の製造工場を経営していくために、工学の学位取得を諦めたところだった。「競合相手として知り合った私たちは、今もよきライバルとして切磋琢磨しています。だからこそ今も一緒にいられるのでしょう」。ミウッチャの声がやさしく響いた。

 ベルテッリは、ヴィンテージのスポーツカーを収集し、何艘もあるヨットを乗りこなす敏腕実業家だ。ミウッチャとの間にはふたりの子を授かった。長男ロレンツォ・ベルテッリ(35歳)はプラダ・グループのCSR(企業の社会的責任)部門長を務め、次男ジュリオ(33歳)はヨットレーサとして活躍している。ベルテッリについて話をする人たちは、まるで彼が映画の悪役か何かで、自分はその隠れファンであるかのような口ぶりになる。ソッツァーニはこんなふうにコメントした。「ベルテッリは驚くほど魅力的な人。人によって好きになるか、嫌いになるか分かれると思うけれど」。2016年まで8 年間プラダのデザインチームで活躍し、現在マルニのクリエイティブ・ディレクターを務めるフランチェスコ・リッソは、夫妻が起こした"最も派手な喧嘩" を見たことがある。「泥仕合ではなかったけれど、バチバチと火花が飛び散っていましたよ」。ベルテッリの反対をよそに、ミウッチャがひとりで勝手にスニーカーのコラボレーションの企画を進めてしまったこともあるようだ。ふたりはよく口喧嘩をするが、ベルテッリはつねにミウッチャを支え、守っている。誰かがミウッチャに話を持ちかける場合、まずベルテッリの了解を得るというのが通例になっている。
「もし夫に出会わなかったら、この仕事をしていなかったかもしれません」。ミウッチャはベルテッリと複数の工場を建て、「良識のある女性もそうでない女性も含む、多様性に富んだあらゆる人々」のための、世界的なブランドを築いた。ファッションを学んだことのないミウッチャはスケッチをせず、コレクションの制作は、シルエットよりもまずコンセプトを決めて取りかかる。1984年には、クロコダイルでもカーフスキンでもなく、軍隊用のパラシュートに使われていた工業用ナイロン地でできたブラックのバックパックを発表した。ミウッチャの初期の代表作であるこのバックパックは誕生から約40年たった今も人気を誇り、ブラックナイロンのシリーズはこれまでに多彩なモデルを展開してきた。ラグジュアリーなバッグといえばまだ優美でクラシカルなレザーものが主流だった時代に、ミウッチャが提案した機能的でシンプルなこのバッグには「ブルジョア的なものを見ると壊したくなる」という彼女の反骨精神が色濃く現れている(だが例外もあるようだ。リッソは、初めて参加したスタッフ会議で〈ブルジョア的なことや規範やしきたりへの反逆者〉であるはずのミウッチャに「食べたり飲んだりする時間も惜しんで、とにかく仕事だけに没頭しなさい」と諭されたそうだ。「僕のためを思っての忠告だったのはわかっている」とリッソ)。

 1988年にはプラダのウィメンズ・プレタポルテラインをスタートさせた。そのファーストショーを飾ったのは、メンズのテーラリングを下敷きにしたブラックやブラウンのジャケットや、50年代風のシルエットを取り入れたホットピンクのドレス。ほとんどのルックは足もとにフラットシューズを合わせていた。これらのシルエットやアイテムと、それ以降のシーズンに登場した膝丈スカートやバケットハット、幾何学プリント、カラーブロッキングといった要素がプラダのブランドコードになっている。ミウッチャと、彼女の右腕としてデザイン・ディレクターを務めていたファビオ・ザンベルナルディ(ミウッチャの仕事を40年以上支えてきたが、今年10月に退任した)のふたりが編み出したデザインは、翌シーズン、他ブランドが追随するトレンドになると言われてきた。だが彼らが影響を及ぼしたのはファッションだけにとどまらない。いつの日からか、ラグジュアリーブランドが文化や教育、慈善活動などの領域でイニシアチブを取るのは当たり前だと認識されるようになったが、もともとそんなアプローチをしていたのはミウッチャだけだった。ヴェッツォーリが説明する。「今はあらゆるブランドが、文化を発信するプラットフォームになっている。たとえば最近、ボッテガ・ヴェネタがランウェイの会場に、イタリア人の建築家でデザイナーの、ガエタノ・ペッシェのチェアをずらりと並べるという演出をした。すると途端にガエタノ・ペッシェが注目を浴びるようになった。サンローランはペドロ・アルモドバル監督の映画を製作したりもしている。でもプラダはこうしたことにすでに30年前から取り組んでいたんだ」
 オランダ人建築家レム・コールハースが率いる建築設計事務所の研究機関AMOは、2004年以来、プラダのすべてのショーの空間デザインを手がけてきた。コールハースによると、毎シーズン、ミウッチャとの会話は「アイデアの起点」となる2 、3 個のキーワードから始まるそうだ。プラダの2024年春夏メンズ・コレクションのショーでは、インダストリアルな鉄格子を敷いた床に、天井からスライムが流れ落ちるという演出がされたが、打ち合わせでミウッチャが出したヒントは「不気味」「肉体と皮膚」「オーガニック・ミニマリズム」という言葉だけだった(今年9 月に行われたウィメンズの2024年春夏コレクションでも、スライムのカーテンが登場した)。また、2007年にプラダ・ソーホー店の壁紙をデザインした台湾系アメリカ人画家ジェームス・ジーンは、このプロジェクトのベースになったのは「ロマンティック」「曲線」「シュール」という3 つの形容詞だったと言う。彼が描
いた幻想的な生物や花のイラストは、2008年春夏コレクションの、アール・ヌーヴォー風のスカート、パンツ、バッグなどにもプリントされた。90年代半ば以降、プラダのほとんどのショーの音楽を手がけてきたフランス人サウンドアーティスト、フレデリック・サンチェスも、コレクションのルックは見ず、もらったテーマやヒントだけをもとにサウンドメイキングをしていると言う。サンチェ
スがプラダと同じくらい長年コラボレートしているマルタン・マルジェラは「より感覚的で具体的」なやり方を好み、同じサウンドトラックを何シーズンか繰り返し使うこともあるそうだ。一方ミウッチャのアプローチは「もっと知的」とのことだ。

 ミウッチャは現代のラグジュアリーファッションをラディカルに変貌させた(彼女はラグジュアリーという言葉を嫌う。だが「嫌う」という言葉は好きなようでよく使う)。パッド入りのヘッドバンドから機能的なジャケットまで、最近見かける多くのデザインのルーツはプラダやミュウミュウにある。ミウッチャはこんなふうに自分のアイデアが、ほかのデザイナーに模倣されてしまう状況を逆手に取り、プラダの2000年春夏コレクションでは大胆にも自分の作品へオマージュを捧げることにした。「ファッションのABC」と銘打ったそのコレクションではイヴ・サンローランへのトリビュートに加え、カーディガンやスクールボーイ風ショートパンツなど、自らのアーカイブをアップデートしたアイテムを披露した。だがミウッチャが世に送り出したのは、カーキ色のクロップトップや〈クワイエットラグジュアリー〉と呼ばれるスタイルだけでなく、もっと本質的な、慣習や常識に逆らう思想や態度だった。ミウッチャの友人であるデザイナー、マーク・ジェイコブスが言う。「ミセス・プラダのスタイルはエキセントリックなファッションよりずっとクールだ。見た目がいいだけの服とは違って彼女の服には中身があるから」

画像: 2007-’08年秋冬コレクションより、モヘアのファーやフェザー、スパンコールをあしらったベスト、クロッケ織のウールスカート、シルクのソックス、トリコロールカラーのサテンのサンダル。

2007-’08年秋冬コレクションより、モヘアのファーやフェザー、スパンコールをあしらったベスト、クロッケ織のウールスカート、シルクのソックス、トリコロールカラーのサテンのサンダル。

画像: 2016-’17年秋冬メンズ・コレクションより、プリントを施したポンジー素材のボーリングシャツ。2016-’17年秋冬コレクションより、アルパカのマイクロアーガイルタイツ

2016-’17年秋冬メンズ・コレクションより、プリントを施したポンジー素材のボーリングシャツ。2016-’17年秋冬コレクションより、アルパカのマイクロアーガイルタイツ

Models: Elio Berenett at Next Management,Saunders at Oui Management, Awar Odhiang at Ford Models, Jonas Glöer at Lumien Creative, Chloe Nguyen at Select Model Management Paris, Estrella Gomez at IMG Models and America Gonzalez at Supreme. Hair by Cim Mahony at LGA. Makeup by Marie Duhart at Bryant Artists. Set design by Rafael Medeiros. Casting by DM Casting

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