BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY TETSUYA MIURA
梅の咲き乱れるころ、大分は国東半島へ向かった。この地域には独特の山岳宗教が栄え、一帯の寺院群を「六郷満山」と総称する。今年、2018年はその開山1300年。全国4万社余りの八幡様の総本宮「宇佐神宮」の八幡信仰が、仏教文化と神道を習合したと伝えられる。
神と仏が息づく土地で「萱島酒造」は1873(明治6)年に創業した。代表銘柄は「西の関」。西日本を代表する酒=横綱でありたいと名付けられた。いまはほとんどが地元で消費されているが、ベトナムを中心に海外へも展開。日本で初めて大吟醸酒を販売したことでも知られている。
なだらかな丘が連なり、田畑が広がる国東半島東端の国東町。杉玉の下がる立派な門構えが歴史を物語る。1914(大正3)年に造られた蔵の中は、こざっぱりとして清々しい空気が流れていた。訪ねたときはちょうど、釜場で酒米を蒸し上げる作業が行われていた。
洗った米を水に浸け、秒単位で吸水時間を調整。甑(こしき=蒸し器)で、ピーク時には1釜750〜800kg、1日3〜4トンもの米を蒸し上げる。蒸した米は麹室に運ばれる。黄麹菌を植えれば麹に、酵母と水、麹を加えれば酒母になる。もうもうと湯気の立つ甑の回りで、様子を見る杜氏や蔵人たちの緊張感が伝わってくる。
「酒造りで大切にしていることが、二つあります。まずは教科書どおりにやること。もうひとつは掃除。毎日、蔵人たちは米粒ひとつ残さないように酒蔵を掃除します」と言うのは5代目当主・萱島進。酒造りにおいては、よけいな情報に惑わされず、ひねくりまわさないこと。いままで培ってきた酒造りを愚直に続けること。これが蔵の味を守るということだと言う。