鮨の華ともいうべきマグロが、今、危機に瀕している。マグロ本来の香りをもった「成魚の太平洋クロマグロ」が消えつつある日本の水産資源の現状を、マッキー牧元が追った

BY MACKY MAKIMOTO

「すきやばし次郎」で、マグロの赤身が握られ、黒板に置かれる。空気を含んだ酢飯が、ふっと沈み込む。鮮烈な赤色と酢飯の白色のコントラストが黒板に映り込む。なんと優美なのだろう。口に運び、マグロを上あごに押しつけるようにして嚙む。その瞬間、爽やかな香りが、一陣の風となって鼻に抜けていった。

 これぞマグロの魅力である。爽やかな赤身の香りと酢飯の香りが出合う、江戸前鮨の醍醐味である。マグロはキメが細かく、しなやかに崩れて、鉄分の滋味が舌を刺す。そして喉に消えかかる刹那に、再び鉄分の香りとほのかな酸味が心地よい余韻を残す。

画像: 黒板につややかに映える、二郎さんが握ったマグロ。左から赤身、中トロ、大トロ PHOTOGRAPH BY MANA MIKI

黒板につややかに映える、二郎さんが握ったマグロ。左から赤身、中トロ、大トロ
PHOTOGRAPH BY MANA MIKI

 一方、脂がきれいに入った中トロは、一瞬にして舌と同化して抱き合う。それほどまでに滑らかで、脂の甘い香りで誘惑してくる。気品とは、この中トロを指すのではないかと思わせるエレガントさに満ちている。最後は大トロである。口に運んだ瞬間は脂などなきかのようにさりげないが、舌の温度で緩み始めると、甘い脂の香りが膨らみ陶然とさせる。しなやかな身はたっぷりと脂を抱えているが、微塵もくどくない。脂の甘い記憶だけを残し、鮮やかに軽やかに消えていく。

 マグロは、江戸前鮨の華である。天ぷら屋の海老と同様、この魚がなくては鮨屋は開けられない。ことに赤身の握りには、比類なきうまさがある。小野二郎氏も「鮨ネタとして、トロはともかく、赤身は代用品がきかない。やっぱり赤身がいちばん、マグロの味がするんですよ」と言う。

 鉄火巻きも、赤身の爽やかな香りがあってこそ、海苔やわさび、酢の香りと共鳴する。鉄火丼も同様に、香りの乏しいマグロでは、腑抜けた味となってしまう。

 若い人や海外の方は脂に魅力があるトロを好むようだが、日本人は赤身の香りやうま味を愛で、育み、鮨という食文化を形成したといっても過言ではなかろう。だが、その偉大な食文化の火が、消えようとしている。近年、太平洋クロマグロが激減しているのである。魚が減れば、質の高い魚も当然ながら減ってしまう。魅力に富んだ香りをもつ成魚のマグロは稀少となり、赤身のおいしさを知る人は少なくなっていく。

画像: 日本を代表する鮨職人、「すきやばし次郎」の小野二郎氏はかねてマグロの質の変化を憂えてきた。「お役人は現場を、実物を知らないからね。味が落ちてお客さんが減りゃあ、職人は落ちていくしかないんです」と、水産政策のありようにも憤りを隠さない PHOTOGRAPH BY MANA MIKI

日本を代表する鮨職人、「すきやばし次郎」の小野二郎氏はかねてマグロの質の変化を憂えてきた。「お役人は現場を、実物を知らないからね。味が落ちてお客さんが減りゃあ、職人は落ちていくしかないんです」と、水産政策のありようにも憤りを隠さない
PHOTOGRAPH BY MANA MIKI

「5年前から、こうなるよと、私は言っていたんです」と、小野二郎氏は指摘する。「二等品や三等品が、ものがなくなって一等品の値段になるよってね。でも今は、二等品が昔の一等品以上の値段になっちゃった」

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