反骨精神に満ちたリック・オウエンスは、モード界で最も敬われ、愛されているデザイナーだ。だが既成概念を破壊するクリエーションがメインストリームに押し上げられた今、彼はどこへ向かうのか。最新コレクション、そして今後のクリエーションのメインテーマとなるものは?

BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPH BY OLA RINDAL, STYLED BY DOGUKAN NESANIR, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: トップス(参考色)¥38,500・スカート(参考色)¥683,100/リック・オウエンス イーストランド MODELS: CELESTE FIZPATRICK AT ELITE PARIS AND JIASHAN LIU AT MODELS 1. CASTING: ROXANE DIA. HAIR: RUDI LEWIS AT LGA MANAGEMENT. MAKEUP: KARIN WESTERLUND AT STREETERS. PHOTO ASSISTANT: TOKIO OKADA. DIGITAL TECH: JULIUS BOHLIN. STYLIST’S ASSISTANTS: JANNIS JELTO WITZEL, YAKIV KOTLIK

トップス(参考色)¥38,500・スカート(参考色)¥683,100/リック・オウエンス

イーストランド

MODELS: CELESTE FIZPATRICK AT ELITE PARIS AND JIASHAN LIU AT MODELS 1. CASTING: ROXANE DIA. HAIR: RUDI LEWIS AT LGA MANAGEMENT. MAKEUP: KARIN WESTERLUND AT STREETERS. PHOTO ASSISTANT: TOKIO OKADA. DIGITAL TECH: JULIUS BOHLIN. STYLIST’S ASSISTANTS: JANNIS JELTO WITZEL, YAKIV KOTLIK

 オウエンスは物心ついたときから、矛盾したふたつの事象や感情に引きつけられていた。「息が詰まるほど抑圧的な」コミュニティで育ったが、彼は早くから自分のセクシュアリティを受け入れていた。高校時代はレズビアンの同級生と一緒に、メイン州に住む吸血鬼の裕福な家族や魔女(この奇妙な登場人物たちは、クィアを象徴している)が登場するTVドラマ『ダーク・シャドウ』(1966~71年)をよく観ていた(Tシャツ、ジーンズ、スニーカーをメインに展開するディフュージョンライン「ダークシャドウ(Drkshdw)」の名前はこのドラマに由来している)。15歳のときには、デヴィッド・ボウイに自分の未来を重ね合わせた。きっかけはアルバム『ダイアモンドの犬』(1974年)のジャケットに描かれた、半人半犬の怪物キマイラに化けたマレットヘアのボウイの絵。オウエンスはゾッとすると同時に強烈に惹かれ、「彼のように、不快感と同時に好奇心を煽るような何かを表現して、人々の心をつかめたら最高だと思った」。16歳のときには、映画『ロッキー・ホラー・ショー』(1975年)を観て度肝を抜かれた。「女装趣味のトランシルバニア人、筋肉ムキムキのナイスガイ、せむし男たちが音楽に合わせてノリノリで踊っていて、あ、これこそ自分が行ってみたいパーティだって胸が躍った」(それから数十年がすぎ、あるとき自身のショー会場いっぱいに詰めかけた観客を見て、ふと「あのパーティを実現できた」と感じたそうだ)。

 1981年、オウエンスは「オーティス・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン」で絵画を学ぶため、ロサンゼルスへ引っ越した(だが結局彼はこの大学を中退し、「ロサンゼルス・トレード・テクニカル・カレッジ」でパターンと立体裁断を学ぶことになる)。この頃から彼の父親は、同性愛者の支援団体に「ゲイという不道徳な存在について、いったいどう考えているのか説明してほしい」といった内容の手紙を送りつけるようになった。「父はこうした手紙を、わざわざきれいなパーチメント紙にタイプして何度も僕にまで送りつけてきた」。父親の死後、オウエンスはこれらの手紙を一冊の本にまとめて出版するつもりでいたが、引っ越しの際にすべて紛失してしまった(オウエンスはこの父親の書簡について、「誤ったほうを向いてはいたが、親の愛というものが何より痛切に伝わってくる記録」だと言う)。「これで父の努力はすべて水の泡となってしまった。まあそもそも最初から無駄な努力だったんだけれど」(だが父親ジョンは定期的に彼のショーを観に来て、打ち上げのディナーではドラァグクィーンたちとも会話をしていたそうだ。ただ何度か「リチャード、ヘテロセクシャルの知り合いはいないのかい」と問われたことはあったらしい)。

 1990年、オウエンスは、コットンドレスとニットのチュニックを展開していたラミーのブランドがパタンナーを募集しているという噂を聞きつけた。「そこで働かせてもらえることになったんだけど、彼女のことをちゃんと知るまでに2年もかかったんだ。彼女の英語、フレンチアクセントが強すぎて何を言っているのかわからなくて。まあ今も変わらないけど」と彼は目を細める。その後、ふたりは恋に落ち、ラミーは当時の夫だったビデオアーティスト兼映画監督のリチャード・ニュートンと離婚した。ニュートンとの間に授かったひとり娘、スカーレット・ルージュは今アーティストとして、ジャンルの垣根を越えて活躍している。「僕がゲイってことに両親がようやく慣れた頃、ちょうどミシェルに出会ったんだ」。オウエンスは運命の皮肉さを嘆くかのように、首を左右に振った。

 彼とラミーとの関係性は「パートナーシップ」という言葉の枠には収まりきらない。ふたりは融合したひとつの存在なのだ。かつてのオウエンスは、自分はチャールズ・ジェームス(1930年代からパリで、優美なボールガウンのデザイナーとして名を馳せたイギリス系アメリカ人〔註:同性愛者で、私生活では性的逸脱、情緒不安定などの問題を抱えていた〕)のようになるのだと思い込んでいた。〈単に美しいものをつくりたくなってしまう衝動を抑えている〉という今のオウエンスからは想像しがたいが(彼は「ステレオタイプの美を求めてしまう自分を、心の内で恥じている」とも語っていた)、かつての彼は「ジェームスのように自堕落で暗い影があり、薄汚い部屋で仕事をしていた」。一方、ラミーはつねに前を向いて生きていた。90年代頭に彼女は自身のファッションブランドをクローズし、ロサンゼルスで人気のフレンチ・ビストロを経営しながら、ブランドを立ち上げる準備をしていたオウエンスをサポートした。当時オウエンスが手がけていたのは、コットンやシルクの廃棄残布を使ったTシャツやスカートで、バーニーズ ニューヨークやヘンリ・ベンデルなど相応の店から支援を得たが、ふたりが必要としていたのはもっと確かな後ろ盾だった。

 2001年には、イタリアの商社EBAと契約を結ぶことができた。こうして市場におけるブランドの存在感を高め、その3年後には統括会社「オウエンスコープ」を設立した。その傘下で、メインブランドである「リック・オウエンス」のほか、「ダークシャドウ」「ハンリックオウエンス」(ファー)、「リリーズ」(ジャージ素材のウェア)、「ハンロッド」(ファインジュエリー)などのラインを展開している。「幸い初期の段階で、デザイナーをどう庇護すべきかをよく心得ているパートナー企業に出会えた。あいにく今のデザイナーたちには、自分の世界を少しずつ発展させていけるような余裕なんてもうないだろうね」。確かにここ最近のデザイナーたちは、ブランドにその人らしい痕跡を残す間もなく移籍してしまうことが多い。オウエンスのデザインは万人受けするものではないが(あるSNSに「悪いけど、リック・オウエンスのシューズってピエロの靴みたい」という投稿があった)、彼はこれまでに「アディダス」や「チャンピオン」といった有名ブランドとさまざまなコラボレーションを手がけてきた。「こうすれば、五芒星(註:ブランドのロゴマーク)がついたたくさんのアイテムが、あちこちの店頭に並ぶようになるから」(オウエンスとラミーが主要所有者であるオウエンスコープの昨年の年間売り上げ高は1億4,000万ドル超だった)。

 オウエンスの成功の陰には、つねに発破をかけてくれたラミーの存在があった。「ブランドを設立して間もない頃は、自分で新しい服をつくったらその辺に適当に放っておいたんだ。それでミシェルが興味を示してくれたものだけ、さらにアイデアを膨らませて改良していった。ミシェルはいつだって僕に、もっと深く掘り下げて、もっとむき出しの表現をしなくちゃいけないと気づかせてくれる。だから彼女にはそばにいてほしいんだ」。あるときラミーが「コム デ ギャルソン」の服を頻繁に着るようになったことがある。オウエンスが理由を聞くと「あなたのつくった服を着ても、私が求めているパワーが得られないから」と返されたそうだ。「それから僕は急に、強烈なインパクトがある服をつくるようになったんだ」。ちなみに最近のオウエンスは「滑稽にならないために」自分のイメージをどう打ち出すべきか模索中だが、その答えをめぐっても、つねに奇抜さを求めるラミーとは意見が合わず、軽い口ゲンカになるようだ。

 昨年9月に催された2024年春夏コレクションでは、ダイアナ・ロスの「I StillBelieve」の抑揚に合わせてモデルたちが登場した。美しいドレープが印象的なピンクのガザール地(註:透け感と張りがある絹や毛の平織り地)のドレスに、風をはらんだシルクケープを合わせたルックを筆頭に、このコレクションは1930年代のハリウッドのムードを漂わせていた。あるジャーナリストは、彼のコレクションにしては珍しい「うっとりさせるような素敵な」ドレスが現れたことに驚いて、「暗黒世界のプリンスは光を見いだしたのか」と綴っていた。だがオウエンスは、誰より信頼する批評家であるラミーに、つねにダークサイドに引き戻されていると言う(たとえ彼が、今のメインストリームに逆らうために、甘美さをテーマにすべきだと考えていたとしても、ラミーはそれを受けつけないだろう)。「ミシェルにはいつも同じようなことを言われている。もっと突き詰めるべきとか、あまり洗練させないでとか。でも僕はそういった彼女の言葉を全部信じているんだ」

 ルイジアナ生まれのポール・ソリューは、悪魔めいたドラァグクィーン「クリスティーヌ」を演じることで有名なアーティストだ。何でもこのクリスティーヌとは「ミシェルの妹か飼い猫」なのだそうだ。ソリューは「ミシェルとリックはオープンで、思いやりにあふれ、長続きする関係を築いている」とふたりを賛美している(2017年、オウエンスとラミーはクリスティーヌの『Butt Muscle』というミュージックビデオに出演した。その中でクリスティーヌがオウエンスの口の中に放尿するシーンがあるが、この演出を考えたのはオウエンスだった)。ソリューが言葉を継ぐ。「私たちは生まれてからずっと、社会でどう振る舞うべきか教わりながら成長していく。そんな中で、とことん自分らしい生き方にこだわっている彼らのような人にはめったに出会えない。この狂った世界でどう生きていけばいいのか、ふたりに学ぶべきところは多くあるはず」

 だがここ最近は、メインストリームが、オウエンスの世界に近づいてきている。「世の中というものは、リックのような異色デザイナーとも、必ずどこかのタイミングで呼吸を合わせる。世界とリックの間に、今、最大の共振が起きているんだ」とローズベリー。だが彼のようなデザイナーにとって、広い支持を得ることは少し厄介なことでもある。メインストリームに押し上げられた時点で、反体制的なスタンスを失ってしまうからだ。

 同日の午後、オウエンスはいつもどおり1時間の仮眠をとった。目覚めてからは、コンクリート打ちっぱなしのフロアと、蛍光灯だけが特徴のがらんとしたショールームの、グレーのソファに腰かけてシェールの音楽を聴いている。キッチンからはローストチキンの匂いがかすかに漂ってくる。もうすぐ招待客がやって来るのだ。彼の白いデスクの上には、ヒトの頭蓋骨と並んで、次のメンズ・コレクションのフィッティングで撮った写真が置かれている。シーズンごとに行われるコレクションに向けて、オウエンスはまず過去のデザインをアップデートする作業から取りかかる。すでにたっぷりボリュームがあるケープにさらに生地を加えたり、背中が露出したウィメンズのドレスは男性に着せたほうがいいかもしれないなどとアイデアを膨らませたりするのだ。オウエンスは私に、試行錯誤中だという風船のように膨らんだインフレータブル・サイハイブーツと、寝袋でできたようなコートを見せてくれた。

「リック・オウエンス」のコレクションはこれまで主に、人物(2019-’20年秋冬メンズ・コレクションはラリー・レガスピ)や、事物(2016年春夏コレクションはギリシャ神話の巨人サイクロプス)、感情(2014年春夏メンズ・コレクションはVicious〔註:悪意、残忍〕)をテーマにしてきた。だが最近になって、彼が冬の一時期を過ごしたエジプトの「ルクソール」(2023-’24年秋冬メンズとウィメンズのコレクション)やべネチアの「リド」島(2024年春夏コレクション)など地名が現れるようになった。「できる限り自伝的なコレクションにしたくて」とオウエンス。「ほかの企業では、コミッティがテーマを選んでいると思う。でも僕は子どものときからずっと、ひとり遊びに慣れたひとりっ子だから」。次のコレクションのテーマは、彼の出身地「ポータービル」だ。彼が準備していたメンズアイテムのなかには、リブニットのバラクラバや、バウハウスの直線的なラインを取り入れた、ふわふわした毛並のフライトスーツなどがあった(鏡張りの壁や室内庭園は実現しなかったが、ショーは1月に予定どおり彼らの家で披露された)。

 フランスに来てから約20年、象徴的にではあるが、今回のショーでオウエンスは故郷に戻った。「ポータービルに愛着はないし、もしあの街にずっと残っていたら、アルコール依存症の歯科医か何かになっていたと思う。人生ってバカバカしいものだよ、痛みと死と病気しかないんだから。でも僕はそれをきちんと受けとめている。この人生が今の自分をつくり、心の炎を燃えたたせてくれたんだから」。がんを患った母親が化学療法を始めるまで、彼は27年間、一度も帰郷したことがなかった。母親のために購入した不動産は売却する予定でいる。父親には内緒にしていたが、母親は実家と同じ街に別の家を持っていたのだ。フリル付きドイリー(註:テーブルに置く小さな敷物)やスワッグをあしらったカーテンで飾ったその家は、父親の銃のコレクションがそこらじゅうに散らばっていた実家とは対照的な雰囲気だった。オウエンスのデザインもまた、人々に自由を与える。母親がこの別宅で味わっていたにちがいない、自由を。「世界は脅威に満ちている。そこで何が起こっているのかを理解しつつ、その中でどうベストを尽くすか、その答えを導き出すことが、このブランドのメインテーマなんだ」

 オウエンスはさっと立ち上がり「さあ食事の時間にしよう」と声を放った。1階のダイニングルームへ降りると、モントリオールを拠点にモード界と音楽界で活躍するデュオ、ハンナ・ローズ・ダルトンとスティーブン・ラージ・バスカランがいた。そのデュオ名は「フィーカル・マター(Fecal Matter)」。ツルツルに剃った頭と顔を真っ白に塗り、黒いマスカラで模様を描いたその姿は、歌舞伎のまねごとをする悪魔の崇拝者のようだ。ふたりはラミーと一緒に、日本での思い出話に花を咲かせていた。オウエンスの作品を長年にわたって撮影してきた写真家ダニエル・レヴィットの写真集『MoreRick Owens』の出版を記念して、彼らは東京でイベントを催したのだ。パーティの当日は、「フィーカル・マター」がDJを担当し、ラミーはなんと白馬に乗って現れた。「僕らなりのスタイルで、スタジオ54を再現したんだ。ミシェルは僕たちのビアンカ・ジャガーだからね」とオウエンス(註:ミック・ジャガーの元妻ビアンカは白馬に乗ってスタジオ54の誕生日パーティに現れたことで知られている)。ラミーとオウエンスが飼っている無毛猫スフィンクスのピクシーは忍び足で歩きながら、黒の合板製ダイニングテーブルの上に並んだ食べ物を狙っている。テーブルの後方の壁の絵はラミーの娘の作品で、墓地を背景に、ミノタウロスのような怪物と踊るトップレスの女性が描かれている。ほかには、アンゼルム・キーファーによる生気のないスーツの彫刻《ametaphor for loss(註:喪失のメタファー)》、カロル・ラマ作の膣の水彩画、マーク・レッキーによる頭が子宮の形をした犬の像などが並んでいる。「この作品が嫌いなリックには、『僕をイライラさせるためにわざとこんなものを飾っているのか』って言われている」。ラミーはそうこぼして肩をすくめた。

 テーブルをはさんで向かいに座っているオウエンスは晴れやかな表情をしている。ラミーはバスカランに向かって、ドレッシングルームが5階にあることをぼやき(ボクシングに入れ込んでいる彼女は体力があるし、そもそもエレベーターを壊して階段に変えたいと言ったのは彼女自身だった)、オウエンスはダルトンにメキシコ旅行の話をしている。彼が、ピンクの壁で有名な、メキシコ人建築家ルイス・バラガンの邸宅「カーサ・バラガン」を見に行ったと言っているのを聞いて、ラミーは自分も行ったことがあると話に割り込んできた。そしてまた別の話を始めた。「パーソナルトレーナーから『階段を上り下りしていれば健康でいられる』って言われている。私に必要なのは有酸素運動というわけ」。彼女は短くなったタバコから、新しいタバコに火を移した。オウエンスは毎日ホテルのジムに通い、ごくスタンダードなトレーニングをしているそうだ。「今やっているのは身体のメンテナンス。毎日する歯磨きのようなものだよ。もう以前ほど自分を追い込んでいないんだ」。するとラミーが「私は追い込んでいるけど」と言って力こぶを見せた。オウエンスは微笑んで、彼女の額にそっとキスをした。

 この日はサンクスギビングの前日。辺りが暗闇に包まれてきた頃、バスカランとダルトンが飼い猫の写真を見せてくれた。オウエンスたちの猫ピクシーと同じ無毛猫だが、もっと淫らな名前がつけられている。インスタグラムで、拘束衣姿のダルトンの画像をスクロールしていくと、この同じダイニングルームの、黒いクリスマスツリーの前に並んだバスカランとダルトンの写真が出てきた。2022年に撮ったというその写真には、こんなキャプションが添えられていた。「今年は本当の家族と一緒に過ごせないけれど、愛情深く心の広いミシェルとリックが、今日、私たちに明るく温かなクリスマスの日をプレゼントしてくれた。血のつながりはなくても絆を結んだ家族やコミュニティが、私たちのような、多くの人たちを支えてくれている」。あいにくこのポストには「キモ!」「イエスを侮辱するな」といった大量のネガティブなコメントが残されていた。それを見て、オウエンスの言葉がふと頭をよぎった。彼は自分の父親や、辛辣な、あるいは愛ある批評家たちについて言及しながら「偏見や批判好きな保守主義は決してなくならないだろう」と言った。だが今の彼があるのはこうしたさまざまな人たちのおかげなのだ。「この世はおぞましい、でも同時に輝いてもいる。僕の役目はそのバランスを保っていくことなんだ」

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