BY JUNKO ASAKA
モエ・エ・シャンドン――シャンパンの代名詞と言っても過言ではない、この名高いメゾンを代表するのが「モエ アンペリアル」だ。なんと1秒に1本、世界のどこかで栓が抜かれているという、まさに世界で最も愛されているシャンパンである。しかし、なぜこれが“Impérial”(“皇帝”の意)と名付けられたのかを知る人は、そう多くないかもしれない。
モエ・エ・シャンドンのシャンパンメーカーとしての歴史は古く、創業は1743年。初代当主のクロード・モエは、パリをはじめヨーロッパ全土に発泡ワイン「シャンパン」を広めた立役者だ。その華やかな味わいを愛し、戦場でもモエ・エ・シャンドンのシャンパンを欠かさなかったという後のフランス皇帝、ナポレオン・ボナパルトは、1807年にモエ・エ・シャンドンのセラーを訪問。このとき記念の樽を贈り、また後年にはレジオン・ドヌール勲章を授与するなど、三代目当主のジャン・レミー・モエと厚い親交を結んだという。
やがて1869年、皇帝ナポレオン一世の生誕100年を記念して誕生したのが「モエ アンペリアル」だ。甘口が主流であったかつてシャンパンから、すっきりとした辛口のシャンパンへ。シャンパンの歴史を変えた大転換期を象徴するモエのノンヴィンテージ ブリュット ブレンドは、ナポレオンにまつわる輝かしいレガシーに敬意を込めて“アンペリアル”の名を冠されたのである。
2019年は、その「モエ アンペリアル」の誕生からちょうど150年目となる。このアニバーサリーイヤーを祝うため、去る5月末に特別なセレブレーション イベントが開催された。祝祭の場は、モエ・エ・シャンドンのブドウ畑が広がるフランス、シャンパーニュ地方の村エペルネ。各国のインフルエンサーや世界的セレブリティら総勢150名ほどが、パリから特別仕立てのオリエント・エクスプレスで一路、エペルネへと向かった。
レトロ・シックなオリエント・エクスプレスの窓外には、美しいブドウ畑がどこまでも続く。モエ・エ・シャンドンの所有するブドウ畑はシャンパーニュ地方最大で、かつ最も高い格付けのグラン・クリュ(特急畑)がその50%を占める。エペルネはその自社畑が多く存在する、モエ・エ・シャンドンのルーツともいうべき土地だ。見渡す限り背丈の低いブドウの木が並ぶその丘の上に、モエ家の人々が大切なゲストを迎える邸宅「シャトー・ド・サラン」がそびえ建っていた。
1801年に三代目当主のジャン・レミー・モエがこの地に狩猟のための小屋を設けたのが始まりで、4代目によって建てられたマナーハウスは同家の迎賓館として多くの賓客を迎えてきた。そして1920年に18世紀の館を模して建てられた建物が、「モエ アンペリアル」150年のアニバーサリーのため5年に及ぶ改築を経てよみがえり、この日、世界から集まったゲストたちに特別に披露されたのである。
シャンパン・ゴールドを基調とした1階のサロンや、階上の11の客用寝室など、室内の装飾を担当したのはインテリアデザイナーのイヴ・ド・マルセイユ。いにしえの貴人たちを想起させるプルーストの『失われた時を求めて』がイメージソースだという。その言葉どおり、クリスチャン・ディオールの部屋やマリリン・モンローの部屋、ナポレオンをイメージした「アンペリアル・スイート」や皇妃ジョゼフィーヌの部屋など、それぞれの人物をテーマにした豪華な装飾が施された室内は、そのままモエ・エ・シャンドンが大切にする“サヴォア・フェール”(丹念な手仕事による匠の技)を思わせる。
シャトー・ド・サランの前庭で行われた薄暮のカクテルパーティには、ナタリー・ポートマンやユマ・サーマン、ケイト・モス、そして2012年からメゾンのブランド・アンバサダーを務めるテニスプレイヤーのロジャー・フェデラーらが顔を揃えた。日本からは音楽プロデューサーで「AMBUSH®」のクリエイティブディレクターであるVERBALも登場。“祝福と称賛”のシンボルである「モエ アンペリアル」が、いかに世界のトップ・セレブリティに愛されているかを感じさせた。