ライフスタイルショップという言葉や概念がない時代から直感的にそれを実現してきたカフェ雑貨店「くるみの木」。40年前に奈良の街角に生まれた店は、なぜ人々の心を惹きつけるのか。オーナーの石村由起子に、その思いを聞いた

BY YOSHINAO YAMADA, PHOTOGRAPHS BY MANAMI TAKAHASHI, EDITED BY JUN ISHIDA

 1983年、夫を最寄り駅まで送り届けた石村由起子は線路沿いに咲く見事な紫陽花に目を奪われる。これがすべての始まりとなった。庭に挿し木ができないかと考えた彼女は、後日あらためて敷地内の建物を訪ねる。当時、そこに入居していた事務所職員に事情を話すと快く紫陽花の花を分けてくれた。

 建物も愛らしいことに気づいた石村は、思いつくままに「ここに窓を作って、ドアをつけ、テーブルを置いて、お茶やケーキが楽しめたら素敵でしょうね」と、建物をカフェに変えればどれだけ素敵になるかを話し始めた。当初は面食らっていた様子の職員も次第に共鳴し、1カ月後に退去するので大家に引き合わせようという。予想外の展開に驚きつつ勢いにのった石村は、今後人に貸す予定はないと断る大家も口説き落とす。彼女は夫に電話をかけ、詳細は説明せぬまま早く帰ってきてほしいと伝える。出迎えた夫に事情を話すと怒りを通り越して呆れているのがわかった。

 そんな夫を連れて大家のもとに戻ると、再び心変わりし「こんな場所で店は長続きしない」と断られてしまう。意気消沈する彼女を援護したのは、意外にもずっと黙っていた夫だった。そして、夫の「彼女はやり抜く」という言葉をきっかけに建物を借りることが決まる。こうして紫陽花を譲り受けるだけのつもりの一日が、人生の大きな転機となった。突然の出来事ではあったが、話していくうちに夢とイメージは広がっていった。それまで買い集めてきた器、巡ったギャラリーや民芸店などから、店という具体的なイメージはなくともやりたいことは山のようにあった。今年の七夕、こうして始まったカフェ「くるみの木」は開業40周年を迎える。

画像: 石村由起子 1983年に奈良県奈良市法蓮町にカフェと雑貨の店「くるみの木」を開業。空間コーディネーターとしてプロデュース業でも活躍しており、香川県高松市の「まちのシューレ963」、奈良市の観光案内所、食堂とグローサリー、喫茶室からなる複合施設「鹿の舟」、滋賀県長浜市の「湖(うみ)のスコーレ」などを手がけている

石村由起子
1983年に奈良県奈良市法蓮町にカフェと雑貨の店「くるみの木」を開業。空間コーディネーターとしてプロデュース業でも活躍しており、香川県高松市の「まちのシューレ963」、奈良市の観光案内所、食堂とグローサリー、喫茶室からなる複合施設「鹿の舟」、滋賀県長浜市の「湖(うみ)のスコーレ」などを手がけている

 奈良市内のタクシードライバーで「くるみの木」を知らないものはいない。近鉄奈良駅から車で10分ほどの場所だが、コロナ禍以前は開店2時間前に行列ができる毎日が続いた。開業時、奈良はもちろん、東京でも現在のようなカフェスタイルの店は浸透しておらず、雑貨を扱う飲食店もなかった。ライフスタイルショップと呼ばれる店の先駆けである「くるみの木」にファンは多く、県外から訪れる人も多数いる。「夢を実現させるため、ジェットコースターのように突き進んだ」時間だったと、石村は40年を振り返る。

原石を磨いて美しさを見いだしたい

「今も夫から、わざわざ苦労するとわかっていることを背負い込むのかと呆れられます。けれど昔から人がよろこんでくれること、新しいことを届けたいと思うと、いてもたってもいられない。なにか一つのことを決めたら、やりとげるまで頑張ってしまう性格です。初めからきれいなものは、私の手に余るのかもしれません。原石を磨き、みなが気づいていないきれいなものを見つけるのが楽しい」

画像: オープンして間もない頃に三谷龍二に制作してもらった「くるみの木」の看板。数年前に椅子の半身をつけ直した

オープンして間もない頃に三谷龍二に制作してもらった「くるみの木」の看板。数年前に椅子の半身をつけ直した

画像: 線路沿いにある「くるみの木」。周りの木々は取材時には冬枯れしていたが、春には緑に覆われる。ここでなる果実を漬け、枝木を店内に飾る。植物は石村の生活に欠かせない要素だ

線路沿いにある「くるみの木」。周りの木々は取材時には冬枯れしていたが、春には緑に覆われる。ここでなる果実を漬け、枝木を店内に飾る。植物は石村の生活に欠かせない要素だ

 石村は自らが実践する暮らしをもとに、人々にライフスタイルを提案する。彼女の原点には、教員として多忙な両親に代わって石村を育てた祖母の存在がある。祖母に学んだいくつもの教えのなかでも石村に強く根づくのが、「目がよろこぶと、心もよろこぶ」という考えだ。今も「くるみの木」の窓際に並ぶ植物の種子の姿は、祖母の言葉に基づくもの。小さなものから大きなものへ。物事には順序があり、その順に沿って置くだけで美しくなる。こうした教えは、時代に左右されることがないと石村は言う。店頭に並ぶ焼き菓子も同じく、祖母が手作りしていた郷土菓子をベースにする。素朴な風味の菓子は開業当時から続くロングセラーだ。店内の至るところに置かれる果実酒は庭で採れた果物を漬けたもの。色とりどりの果実をガラス瓶に詰める手法も祖母に学んだ。

「自宅にも店にも、実のなる植物をたくさん植えています。これからの季節は花が楽しめ、実がだんだん成長していく過程も目にうれしい。収穫の時期は朝早くから汗だくになって実を採り、洗って乾かし、お酒に漬けて。あとは熟成を待つだけですから」

 一方で、明るい性格と仕事好きなところは母から受け継いだものだという。運動を愛した両親の影響か、高校生の頃は実業団への入団も考えるほどソフトボールに明け暮れた。ホームランを打つとチームメイトや観客がよろこびの声をあげる。その体験が店を営む今に続いているのかもしれないと笑う。

 カフェとともに「くるみの木」を支えるのが、雑貨の存在だ。石村の手もとに残る最も古い器は、高校時代に購入した白磁の蕎麦猪口。旅館を営む叔母と、東京の乃木神社で開催される骨董市で購入した。叔母の教えは、自分の目でいいと思ったものを買いなさいというひと言のみ。「不思議なもので、今もその言葉を大切にしている私がいます」と、石村は言う。やがて「くるみの木」を運営するなか、松本民芸家具の池田三四郎、倉敷ガラスの小谷真三、木工作家の松崎融らを訪れ、どうやってものが生み出されるかを学んだ。

「手から生まれるものが大好き。私も若くて熱心に通ったからか、何も知らない私にみなさんが丁寧に教えてくれ、ずいぶんかわいがってもらいました」

画像: 「くるみの木」の雑貨店「cage(カージュ)」、服飾を扱う「NoiX La Soeur(ノワ・ラスール)」。石村が選んだ雑貨や作家ものの器が並ぶ

「くるみの木」の雑貨店「cage(カージュ)」、服飾を扱う「NoiX La Soeur(ノワ・ラスール)」。石村が選んだ雑貨や作家ものの器が並ぶ

 こうした雑貨探しにおいて転機となったのが、スキー旅行で訪れた長野県白馬村での出来事だ。スキー場の土産物店で販売されていた木製のブローチに目を奪われ、作家の名を尋ねた。それが、現在は造形作家として名が知られる三谷龍二との出会いだった。その発見と驚きは今も忘れないと話す石村にとって、三谷とともに歩んだ歴史はかけがえのないものだという。店の入り口に設置された看板も三谷によるもので、そこには椅子の半身が取りつけられている。「まだ互いに大変な時期。私もオープンから1年ほどかけて精いっぱいの貯金をして、看板の制作を依頼しました。ものすごく重たい看板を車で運んで、自ら取りつけてくれたんです。やっていることは違うけど、一緒に頑張ろうという気持ちは今も変わりません」

 開業時から看板に取りつけられていた椅子の半身は数年前に朽ちてしまった。ショックを受けた石村が三谷に連絡すると、もう半分を今も残しているから大丈夫だと言ってくれた。まさか半身を残してくれていたとはと、石村はよろこびで涙したという。三十数年を経て、椅子の残り半分は看板に取りつけられ現在に至る。「みなさん遠くにお住まいなので、いつも必死な思いで訪ねました。奈良から電車をいくつも乗り継ぎ、ようやくたどり着く。だから、ずっとおつき合いしている作家とは家族のようになっていきましたね。ご自宅に行くので、家族の食事に交ぜていただいたり。そうやって重ねてきたご縁が何十年も続いてきた。それは私にとっての宝物です。『くるみの木』は、私の考え方から湧き出てくるもの。私は作り手の立場にはないけれど、あの人やこの人とこんなことができたら面白いだろうと考え、今に至ります。作家たちの仕事が次々に広がる姿を間近で見てきましたから」

 彼女が心惹かれる器は「どんな食事を楽しもうか、思いをかき立ててくれるもの」だという。どんな素敵な器でも、用と美が両立していなければ選べない。

画像: 石村がプロデュースする「鹿の舟」。喫茶室「囀(さえずり)」で今春から始まる季節のパスタは、三谷龍二が白漆で仕上げたリム皿を使う。店内で使用されるものはほとんどが石村の私物。食事会などのイベントも多く開催することから、常に皿は12枚+予備の1枚からなる13枚を購入。自宅には作家ものやヴィンテージの器などが大量にあり、今年はそれらを記録した書籍制作のプロジェクトを進めている

石村がプロデュースする「鹿の舟」。喫茶室「囀(さえずり)」で今春から始まる季節のパスタは、三谷龍二が白漆で仕上げたリム皿を使う。店内で使用されるものはほとんどが石村の私物。食事会などのイベントも多く開催することから、常に皿は12枚+予備の1枚からなる13枚を購入。自宅には作家ものやヴィンテージの器などが大量にあり、今年はそれらを記録した書籍制作のプロジェクトを進めている

使ってこそ美を感じることを大切に

「私にとって生活は声高らかに謳うものではなく、自然と営むもの。そこに物事の優劣はありません。ただ器を使うよろこびが先にあります。料理も器も、どちらもよろこぶものでありたいと常に考えます。使ってこそ美を感じるという点で、私にとって工芸は生活におけるアートといえるんでしょうね」

画像: 「囀」では作家ものの器を扱う。昨今のクラフトブーム以前からつながりの深い作家のものを中心に、使うことを強く意識した器を揃える

「囀」では作家ものの器を扱う。昨今のクラフトブーム以前からつながりの深い作家のものを中心に、使うことを強く意識した器を揃える

 祖母が亡くなったとき、石村が形見分けを望んだのはどれも使い込んだ道具ばかりだった。譲り受けたかごや弁当箱は今、「くるみの木」の店内に飾られている。祖母が暮らしていた家と自宅が似ていると、最近はあらためて感じることも多い。

 友人たちは親しみをこめ、石村をマーサと呼ぶ。アメリカ旅行での食事会で、カリスマ主婦として知られるマーサ・スチュワートのような人物だと紹介されたことがきっかけだ。石村も「こんなおてんばだけど、私はやっぱり主婦なんです」と自らを説明する。

「もうそんな時代ではないけれど、主婦の代名詞と言われる炊事、洗濯、掃除が大好き。急に夫が同僚を家に連れてくると聞いても嫌じゃなく、張りきって準備をしてしまうタイプでした。今も友人が遊びに来ると、私はずっとキッチンに立っています。とにかく私は料理が早い。これも祖母に教わったことですが、何事も下ごしらえと段取りが命だと。翌日のために前日の夜から下ごしらえができる野菜もあれば、料理の直前に包丁を入れるべき野菜もある。私自身は料理教室に行ったこともなく、祖母の教えで今も生きています。だから時間さえあれば、ずっとキッチンに立っていたい」

画像: 「鹿の舟」の奈良町南観光案内所「繭(まゆ)」では定期的にイベントも開催

「鹿の舟」の奈良町南観光案内所「繭(まゆ)」では定期的にイベントも開催

画像: 同食堂とグローサリー「竈(かまど)」は名のとおり、竈で炊いたばかりの米と石村が普段から楽しむ惣菜からなるメニューを用意。地元民からも愛される日常的な食事を楽しめる。https://www.kuruminoki.co.jp

同食堂とグローサリー「竈(かまど)」は名のとおり、竈で炊いたばかりの米と石村が普段から楽しむ惣菜からなるメニューを用意。地元民からも愛される日常的な食事を楽しめる。https://www.kuruminoki.co.jp

 休むことなく走り続け、「くるみの木」は40周年を迎える。卒業生からは名の知られる作家や日本各地で活躍する人材も出てきた。石村には今も若い世代の友人が多く、彼らと意気投合するほどに若々しい。

「私のキャリアはカフェと雑貨の店を営み続けてきたことにあります。けれど不思議といろいろな職業の友人が次々にでき、彼らが自宅に遊びにくる。若い世代と違和感なく盛り上がり、彼らは私の話に耳を傾けてくれます。これまでの経験が彼らの役に立ってくれたら、とてもうれしいですね」

 40年という節目を、石村はこれまでの感謝の年にあてたいと考えている。41周年までの一年をかけ、さまざまな催しをゆっくり行っていこうと考えているという。

「誰もが自分の流儀で暮らしを整えるもの。私はそれを仕事にしていて、何をしても好きなことにつながるという環境です。それでもやはり仕事はやりがいで、暮らしは生きがいという違いがある。暮らしのなかで得られる慈しみや、やさしさは生きていく力になります。それは神様が与えてくれた大切な時。人生はそんなふうにとてもシンプルなものではないでしょうか」

くるみの木 
奈良県奈良市法蓮町567-1  

[カフェ]
電話:0742(23)8286
営業時間:11:00〜17:00 
定休日:水・第三火曜 

[cage]
電話:0742(20)1480 
営業時間:11:00~17:00 
定休日:火・水曜

[NoiX La Soeur]
電話:0742(20)4600
営業時間:11:00~17:00
定休日:火・水曜

公式サイトはこちら

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