クラシック音楽と美酒。指揮者・野津如弘が、交錯する時間芸術の楽しみを自在に綴る。第1回は、「椿姫」をめぐるヴェルディとデュマ、それぞれのうたかたの愛の物語

TEXT BY YUKIHIRO NOTSU, ILLUSTRAION BY YOKO MATSUMOTO

画像1: 指揮者・野津如弘の
音楽と美酒のつれづれノート
Vol.1 「乾杯の唄」とシャンパーニュ

(アルフレード)
「楽しい盃で酒を飲みほそう
喜びの花と飾る盃で
そしてはかない時を
快楽にゆだねよう
やさしきおののきのうちに盃をほそう、
愛をよびさますおののきのうちに」
(名作オペラ ブックス2 ヴェルディ 椿姫/音楽之友社)

 イタリアの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)が作曲したオペラ《椿姫》(La Traviata)。幕が開けると、華やかなサロンで繰り広げられる夜会の場面があらわれる。客たちが楽しげに談笑するなか、サロンの主である高級娼婦ヴィオレッタに惹かれる青年アルフレードが、一同に勧められて乾杯の音頭をとる。そこで歌われるのが、かの有名な「乾杯の歌」である。

 アルフレードの呼びかけにヴィオレッタは次のように応える。

「皆さんといっしょに
楽しい時をわかつことができますわ。
この世で喜びでないものは
みんなくだらないものです
楽しみましょう、はかなく、すばやいのが
愛のよろこびです。
それは咲いてはしぼむ花、
二度と楽しむことはできません(後略)」
(名作オペラ ブックス2 ヴェルディ 椿姫/音楽之友社)

 躍動するワルツの調べに乗せて歌われ、ふたりの出会いそして恋が芽生える高揚感が見事に表現されている。音楽は次第に熱を帯びてきて、一同も唱和し、クライマックスと共に盃が干される。しかし、楽しい時間は一瞬だと歌うふたりの言葉には、その後のオペラのドラマティックな展開が暗示されている。刹那的な愛の喜びもはかないが、音(楽)も生まれた瞬間には消えていく。まるで乾杯のシャンパーニュの泡のように。

画像2: 指揮者・野津如弘の
音楽と美酒のつれづれノート
Vol.1 「乾杯の唄」とシャンパーニュ

 椿の花は日持ちせず、咲いたままポトリと落ちてしまう。そんな椿の花を愛したというひとりの女性を主人公に書かれたのが、オペラ《椿姫》の原作となったアレクサンドル・デュマ=フィス(1824-1895)の小説『椿を持つ女』(1848)だ。モデルは実在した高級娼婦マリー・デュプレシ(1824-1847)。いつも白い椿を身につけていたという彼女は、貧しい生まれで、美貌と才気を武器にドゥミ・モンドの華となった。裕福な商人や貴族たちをパトロンとした彼女は、毎晩のように劇場やオペラ座(ル・ペルティエ)へ通い、舞踏会や夜会に出向いた。しかし、肺病に侵され、まるで椿の花のようにあっけなく世を去ってしまう。23歳という若さだった。

 著者のデュマ=フィスはヴァリエテ座の公演で1844年に彼女と知り合い、程なく恋人同士となる。彼女の浮気に嫉妬し、また贅沢な暮らしで借金を背負った彼は、彼女の元を去り、父とともにスペインと北アフリカの旅へと出る。帰国したのは彼女の死後で、実体験に脚色を加えて書かれたのがこの小説。借金返済の目論みもあり、すぐに戯曲へと改作されたものの検閲で揉めたために上演まで3年かかった。「乾杯の歌」や「愛と酒を讃えるシャンソン」など数々の音楽を加えることで対処し、ようやく1852年にヴォードヴィル座で初演された。

 ヴェルディは、はたしてこの戯曲の上演に立ち会ったのかどうか、諸説ある。初演の頃、彼は二番目の妻となるジュゼッピーナ・ストレッポーニ(1815-1897)とともにパリに滞在しており、その可能性はある。ジュゼッピーナはスカラ座のプリマドンナを務めた歌手であり、奔放な異性関係でも知られ、未婚だが子どももいた。ヴェルディの故郷ブッセート村で同棲していたふたりの関係は村人から白眼視され、ヴェルディは自らの境遇と似たところのあるこの作品に思い入れを深くし、オペラ化したというエピソードもある。

 台本はヴェルディ作品を多く手掛けたフランチェスコ・マリア・ピアーヴェ((1810-1870)による。1853年ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場で初演された。タイトルは検閲のために当初の《Amore e Morte(愛と死)》から《La Traviata(道をふみはずした女)》と変えられた。主要な登場人物は高級娼婦のヴィオレッタ、その恋人アルフレード、アルフレードの父ジェルモン。舞台は1850年頃のパリ、およびその近郊だが、こちらも検閲のためか1700年頃の設定になっている。

 19世紀半ばのパリでは、王侯貴族だけでなく新興のブルジョア階級のサロン文化が花開いていた。フレデリック・ショパン(1809/10-1849)はいうまでもなく、フランツ・リスト(1811-1886)も、サロンに出入りし、演奏した。実は、リストとデュプレシには接点がある。1845年、ブルヴァール劇場のロビーで彼女のほうからリストに近づき、演奏会を聴いて好きになったと告げたという。ほどなくリストは彼女にピアノを教えるようになり、その関係は深まっていった。

 愛が生まれては消え、消えてはまた生まれ、花開く。そんなうたかたの日々を彩る美酒といえば、やはりシャンパーニュだろう。1811年に創業し、1842年辛口スタイルのシャンパーニュを世に広めたペリエ ジュエは、またたく間に王侯貴族の間で人気となった。もしかするとデュプレシのサロンでも飲まれていたかもしれない。1902年エミール・ガレによるアネモネが描かれたボトルデザインが生まれ、1964年にスペシャル・キュヴェ「ベル エポック」が誕生した。アネモネの花言葉は「はかない恋」。ヴィオレッタとアルフレードのはかない恋に思いを馳せて味わってみるのもよいだろう。本人も情熱的な愛に生きたプリマドンナ、マリア・カラスの歌声とともにーー。

画像: 口に含むとエルダーベリー、砂糖漬けにした洋梨、クミン、グリーンペッパーなどの花やフルーツ、スパイスのニュアンスがふわりと広がる。華やかでロマンティック、そして実に繊細なテクスチャーは、まさに愛を祝福するにふさわしい。「ペリエ ジュエ ベル エポック 2015」(750ml)¥35,354 COURTESY OF PERRIER JOUET ベルノ・リカール・ジャパン TEL. 03-5802-2671 perrier-jouet.jp@pernod-ricard.com

口に含むとエルダーベリー、砂糖漬けにした洋梨、クミン、グリーンペッパーなどの花やフルーツ、スパイスのニュアンスがふわりと広がる。華やかでロマンティック、そして実に繊細なテクスチャーは、まさに愛を祝福するにふさわしい。「ペリエ ジュエ ベル エポック 2015」(750ml)¥35,354
COURTESY OF PERRIER JOUET

ベルノ・リカール・ジャパン
TEL. 03-5802-2671
perrier-jouet.jp@pernod-ricard.com

画像: 野津如弘(のつ・ゆきひろ)●1977年宮城県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、東京藝術大学楽理科を経てフィンランド国立シベリウス音楽院指揮科修士課程を最高位で修了。フィンランド放送交響楽団ほか国内外の楽団で客演。現在、常葉大学短期大学部で吹奏楽と指揮法を教える。明快で的確な指導に定評があるとともに、ユニークな選曲と豊かな表現が話題に。 公式サイトはこちら

野津如弘(のつ・ゆきひろ)●1977年宮城県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、東京藝術大学楽理科を経てフィンランド国立シベリウス音楽院指揮科修士課程を最高位で修了。フィンランド放送交響楽団ほか国内外の楽団で客演。現在、常葉大学短期大学部で吹奏楽と指揮法を教える。明快で的確な指導に定評があるとともに、ユニークな選曲と豊かな表現が話題に。
公式サイトはこちら

画像: マツモトヨーコ●画家・イラストレーター 京都市立芸術大学大学院版画専攻修了。「好きなものは各駅停車の旅、海外ドラマ、スパイ小説、動物全般。ときどき客船にっぽん丸のアート教室講師を担当」 公式インスタグラムはこちら

マツモトヨーコ●画家・イラストレーター 京都市立芸術大学大学院版画専攻修了。「好きなものは各駅停車の旅、海外ドラマ、スパイ小説、動物全般。ときどき客船にっぽん丸のアート教室講師を担当」
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