クララ・シューマンとマダム・ルロワ。先駆の女性作曲家と女性醸造家に通ずるのは、独自の信念をしなやかに貫き、大切なものを慈しみ、豊かに育む愛の力。クラシック音楽と美酒を愛する指揮者・野津如弘が、大きな愛の物語をひもとく

TEXT BY YUKIHIRO NOTSU, ILLUSTRAION BY YOKO MATSUMOTO

クララ・シューマン、その愛のレジリエンス

画像: クララ・シューマン、その愛のレジリエンス

《ミルテの花》(1840)という歌曲集がある。ロベルト・シューマン(1810-56)が妻となるクララ・ヴィーク(1819-96)へ捧げた26曲にも及ぶ連作歌曲で、結婚式の前日に彼女に贈られた。ミルテとは初夏に可憐な白い花を咲かせる銀梅花のこと。ヨーロッパでは古来より花嫁のブーケに用いられてきた。第1曲の『献呈』はリュッケルトの詩にのせて、溢れんばかりの喜びが歌われている。

 天才ピアニストとしてヨーロッパ中にその名を知られたクララは、幼い頃から父フリードリヒの厳格なレッスンで育てられ、その腕前はゲーテやショパン、リストからも絶賛されるほどだった。そんなクララがロベルトに最初に出会ったのは、1828年の3月、まだ彼女が8歳の頃だ。ロベルトはほどなくしてフリードリヒの弟子となり、まだ小さいクララの遊び相手となった。そんな二人に恋愛感情が芽生えたのはいつ頃か特定するのは難しいが、1833年には、クララが《ロマンス変奏曲》をロベルトに献呈し、ロベルトはお返しに《クララ・ヴィークの主題による即興曲》を作曲している。

 1836年、二人の交際を知ったフリードリヒは激怒。クララはロベルトとの接触を禁じられてしまう。しかし、そんな中、彼女は各地の演奏会でロベルトの作品を取り上げるなどして、音楽を通して彼との絆を保ち続けた。二人の愛は音楽で育まれたのだ。1839年に、二人でフリードリヒを相手取り結婚を認めるように裁判所に訴え、勝ち取った結婚だった。

 当時はまだ女性音楽家という職業が認められていなかった時代である。少々遡るがモーツァルトの姉ナンネルも弟に負けないほどの才能を持ったクラヴィーア奏者だったが、結婚と共に引退しているし、クララと同時代を生きたメンデルスゾーンの姉ファニーも才能溢れるピアニスト・作曲家・指揮者だったが、職業音楽家になることを父や弟に反対されている。

 しかし、クララは違った。結婚後、ロベルトは彼女に主婦として家を守ってほしいと願ったものの、彼女はその反対を押し切って演奏活動を続けたのだ。もちろんロベルト一人の収入では子沢山の一家の家計を支えられなかったということもあるが、彼女は8人の子どもをもうけながら、演奏旅行でヨーロッパ各地を駆け巡るという大活躍を成し遂げた。

 こうして女性職業音楽家の先駆者となったクララだが、その先進性は女性という点だけにはとどまらない。主に自作を披露するそれまでの音楽家(ピアニスト=作曲家)とは異なり、彼女は自作も弾いたが、バッハやベートーヴェンといった先人たちの作品、メンデルスゾーンやショパン、そしてもちろん最愛のロベルトの曲など同時代人の作品も熱心に取り上げ、そのスタイルは現代に至るコンサート・ピアニストの原型となったのだった。

 結婚生活も13年目を迎えた1853年、クララは愛する夫ロベルトの誕生日に一つの作品を捧げている。《ロベルト・シューマンの主題による変奏曲》がそれである。主題はロベルトが1834年から49年にかけて書いた《色とりどりの小品》より『五つの音楽帳』第1曲から採られている。実はこの主題、元をたどるとロベルトが1835年に書いたピアノソナタ第3番で用いた主題で、さらに遡ると、それはなんと彼がクララの《ワルツ形式によるカプリス集》第7曲から引用したもの。すなわちクララが若い頃に作曲したものなのである。二人の長年の愛の記憶が交錯し、複雑に絡み合って生まれた作品といえるだろう。

 悲しいことにロベルトの精神状態はこの後、急激に悪化し、翌年彼はライン川に身を投げて自殺を図り、精神病院に収容され、そのまま回復せずに1856年に亡くなってしまう。クララはロベルトの死後、ピアニストとして活動を続けながら一家を支え、子どもを育てあげた。晩年はフランクフルト音楽院の教授も務め、ショパンやロベルト・シューマンの楽譜の校訂を行うなど、19世紀という時代を自立した女性として力強く生きたのである。

マダム・ルロワ、その奇跡のワインから聴こえてくるのは、いのちの輝き

画像: マダム・ルロワ、その奇跡のワインから聴こえてくるのは、いのちの輝き

 さて、ワインの名産地ブルゴーニュにも先駆者と呼べる人物がいる。ラルー・ビーズ=ルロワ(1932~)がその人だ。1868年、オークセイ=デュレス村に誕生したメゾン・ルロワは、2代目ジョセフの頃に事業を拡大、さらに3代目のアンリ・ルロワが1942年、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ=コンティの共同経営者となり、娘のラルーが1955年に家業に加わった。現在でこそ活躍が注目されている女性醸造家だが、当時はこの分野もまだまだ男性ばかり。傑出したテイスティング能力を武器にワイン造りに挑んだ彼女は、1988年から自社畑すべてにおいてビオディナミ農法を採用するなど時代を先取りした取り組みを行い、ワインの品質向上に精力を傾けてきた。ブドウの樹がベト病に犯された時も、周囲からは「狂った老婦人」と罵られながらも化学薬品を使わずに乗り切った。

「畑が好き、ブドウの樹を見るのが好き」というラルーのワインをじっくりと味わうと、ドメーヌの26アペラシオン46区画、それぞれのテロワールの声が聴こえてくるようだ。そして、楽譜に忠実だったというクララの演奏。楽譜に忠実な演奏とは、作曲家の声が聴こえてくるような演奏だ。二人の偉大な女性に想いを馳せながらグラスを傾けたい。

画像: 天体の律動に基づき、植物の生命力を引き出すビオディナミ農法をいち早く取り入れたマダム・ルロワことラルー。環境に寄り添いながら、力強い生命力を宿すブドウの栽培に力を注いだその先見性と信念を貫いて実践する姿勢が、奇跡の雫を生み出した。愛をもって、向き合うものの根本にあるいのちの輝きを慈しみ、育むーー。ラルーとクララに共通するのは、愛の力なのかもしれない。生産量を抑えた極上のブドウから醸造されるこの稀少なワインは、優雅で品格のある唯一無二の味わい。ピノノワール100%、生産本数8920本。ドメーヌ ルロワ ヴォーヌ ロマネ プルミエクリュ レ ボー モン2011<750ml>¥1,980,000 COURTESY OF GOODLIVE 株式会社グッドリブ TEL. 03-5205-6137(代表) 公式サイトはこちら

天体の律動に基づき、植物の生命力を引き出すビオディナミ農法をいち早く取り入れたマダム・ルロワことラルー。環境に寄り添いながら、力強い生命力を宿すブドウの栽培に力を注いだその先見性と信念を貫いて実践する姿勢が、奇跡の雫を生み出した。愛をもって、向き合うものの根本にあるいのちの輝きを慈しみ、育むーー。ラルーとクララに共通するのは、愛の力なのかもしれない。生産量を抑えた極上のブドウから醸造されるこの稀少なワインは、優雅で品格のある唯一無二の味わい。ピノノワール100%、生産本数8920本。ドメーヌ ルロワ ヴォーヌ ロマネ プルミエクリュ レ ボー モン2011<750ml>¥1,980,000

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<参考文献>
萩谷由喜子『クララ・シューマン』(2019、ヤマハミュージックエンタテインメント)

画像: 野津如弘(のつ・ゆきひろ)●1977年宮城県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、東京藝術大学楽理科を経てフィンランド国立シベリウス音楽院指揮科修士課程を最高位で修了。フィンランド放送交響楽団ほか国内外の楽団で客演。現在、常葉大学短期大学部で吹奏楽と指揮法を教える。明快で的確な指導に定評があるとともに、ユニークな選曲と豊かな表現が話題に。 公式サイトはこちら

野津如弘(のつ・ゆきひろ)●1977年宮城県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、東京藝術大学楽理科を経てフィンランド国立シベリウス音楽院指揮科修士課程を最高位で修了。フィンランド放送交響楽団ほか国内外の楽団で客演。現在、常葉大学短期大学部で吹奏楽と指揮法を教える。明快で的確な指導に定評があるとともに、ユニークな選曲と豊かな表現が話題に。
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画像: マツモトヨーコ●画家・イラストレーター 京都市立芸術大学大学院版画専攻修了。「好きなものは各駅停車の旅、海外ドラマ、スパイ小説、動物全般。ときどき客船にっぽん丸のアート教室講師を担当。 公式インスタグラムはこちら

マツモトヨーコ●画家・イラストレーター 京都市立芸術大学大学院版画専攻修了。「好きなものは各駅停車の旅、海外ドラマ、スパイ小説、動物全般。ときどき客船にっぽん丸のアート教室講師を担当。
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