BY YUKA OKADA
海外のカントリーサイドでの休暇を思うとき、常に憧れは募る一方で、はたしてどの国のどの宿を選んだらいいものか。確かな太鼓判がない限り、世界的に円安が膠着した今となっては一歩を踏み出すのは、ますます容易ではないかもしれない。
そんななか、ロンドンから車で南西へ向かうこと、約2時間半。途中の車窓からはストーンヘンジを眺め、近郊には古代ローマ人が築いた温泉地バースと、いずれも世界遺産を擁するサマセット州に、2019年夏、「The Newt in Somerset(ザ・ニュート・イン・サマセット)」というホテルが誕生。世の中はすぐにコロナ禍に突入するも、翌年には『Condé Nast Traveler』のHOT LISTに選ばれ、2020年以降は毎年同サイトのREADER’S CHOICE AWARDSを獲得。2023年には同じくGOLD LISTに名を連ね、初実施となった「THE WORLD’S 50 BEST HOTELS 2023」では37位にランクイン。ホテルに一家言がある各国ジャーナリストの間でも、一躍、注目のホテルとなった。
ならば、このThe Newtは、他のカントリーサイドにあるホテルと何が違うのか。
実際に到着してみてまず面食らうのは、見渡す限りどこまでも、はなから計測を放棄せざるを得ない800エーカー超え、東京ドーム約87個分にも相当する広大な敷地だ。
その敷地内には、1687年から1690年にかけて建てられ“ハドスペン”という当時の地名が冠された、今はイギリスで法的に保護される指定建造物(グレードⅡ)にも認定されている本館「ハドスペン・ハウス」、旧厩舎・穀倉・馬車置き場だった「ステーブル・ヤード」、酪農場の旧母屋・牛小屋や工場・穀物所蔵個だった「ファーム・ヤード」、キッチンが付いた一軒家の「ゲート・ロッジ」と4つのエリアがあり、間取りが異なる40の客室が、リノベーションを経て点在。インテリアは木を基調としたカントリーテイストへの敬意をのこしつつ、家具にジャスパー・モリソン、パトリシア・ウルキオラ、moooiやGUBIなどがキュレーションされ、一見してモダンなセンスで再構築されている。
インテリアや家具を手がけたのが、南アフリカ版『ELLE DECO』の編集長だったカレン・ルースと聞けば納得だが、彼女こそがThe Newtのオーナー。その世界観はイギリス郊外のマナーハウスを舞台にしたロバート・アルトマン監督の映画『ゴスフォード・パーク』にも影響を受けているとも。そしてカレンの夫で、同じく南アフリカのナスパースという老舗メディアグループの会長でもある大富豪クース・ベッカーが、このホテルの挑戦を支えている。
彼らは2010年にケープタウン郊外に位置する世界的ワインの産地に、18世紀に建てられた農園を「Babylonstoren(バビロンストーレン)」という名のホテルとして開業し、すでに成功に導いており、The Newtはその姉妹ホテルになる。バースを舞台にしたイギリスの古典文学を読んでサマセットに憧れがあったカレンと、ロンドンからそれほど遠くない農業地帯の拠点を探していたクースが、ハドスペン・ハウスを一目で気に入り、1785年以来、約2世紀にわたって建物のみならず広大な一帯を進化させてきたホブハウス家から、2013年に購入した。
「The Newt」という名は、敷地内に生息し絶滅の危機に瀕している約2,000匹のイモリをホブハウス家が長年保全してきたことに敬意を込めて、名付けられたという。
そんなThe Newtにあってユニークな見せ場は、数世紀にわたって著名な専門家たちが管理を行ないオリジナルの品種も数多く生み出してきた、“園芸の聖地”として知られるガーデンだ。散策する過程で、バロック様式〜ビクトリアン様式〜池泉式庭園と、イギリスの庭園や園芸の物語を辿れるようにもなっていて、花の色や香りなどがテーマの観賞用の庭園もある。The Newt以降はレストランで使われる野菜や果物、ハーブが育つ、各種菜園も加わった。
一方で放射線状の塀に囲まれた「パラポラ」という名のウォールガーデンでは、The Newtのガーデン・アーキテクトでBabylonstorenの庭園も手がけたイタリア系フランス人のパトリス・タラベラによる、イギリス以外のグローバルなガーデンやそのテクニックも垣間見ることができる。一見シンプルなデザインにもかかわらず、よく見ると様々な 高さの生垣、植栽、壁が混ざり合って、美しい曲線の迷路のような空間を生み出した。ここにはサイダーが名産であるサマセットにちなんで、イギリス最大のコレクションとなる300以上の品種を集めた460本のリンゴの木も植栽された。
The Newtの園芸部門のヘリテージ・マネージャーには現在、在英10年以上になる日本人の石田麻衣子さんが抜擢されている。イギリスで歴史的庭園とランドスケープ保全に関する修士号を取得し、複数のパブリックガーデンでキッチンガーデナーとして伝統的な野菜のリサーチや栽培を手がけてきた。
石田さんは切花の栽培にはじまり、ホテル各所のセンスあふれるフラワーアレンジメント、ドライフラワーやハーバリウム、スワッグ作りをはじめとする人気のワークショップ、加えて敷地内のアクティビティのひとつで世界のガーデニングの歴史をインタラクティブに辿る体験型ミュージアム「ストーリー・オブ・ガーデニング」の一部キュレーションに至るまで、The Newtのコンテンツを牽引しながら、マルチに活動。2023年の夏には敷地内に自ら提案した日本庭園もオープンさせたばかりで、イギリスと欧州日本庭園協会の執行役員も務めている。
「日本庭園に関しては、イギリスでガーデンの仕事をしていてその知識を引っ張り出すことはなかったので、デザインの歴史を調べ直しました。同じ植物でも日本とイギリスでは気候が違うぶん、管理法もアレンジしたり、テキストブック通りにいかないのがむしろ楽しい。The Newtには新しい提案を億劫がらず、必要なものはどんどん実行する社風があります」(石田さん)
有料のワークショップも園芸関係が充実していて、ミニチュアガーデン制作、果樹の剪定、ガーデナーと食材を収穫しシェフと一緒に料理を作るプログラムなどが人気だ。
休暇になくてはならない食体験に関しても、各種レストランがエリアごとに点在。本館のハドスペン・ハウスにあるメインダイニング「ザ・ボタニカル・ルーム」は、田舎の食卓で愛されてきた素朴な料理を新鮮な地元の食材でアップグレード。ヘッドシェフのマッド・ヒーリーはイングランド北部のヨークシャー出身で、ロンドンの女性シェフの草分けでもあるアンジェラ・ハートネットのイタリアン「Murano(ムラーノ)」を皮切りにいくつかのレストランを経て、ルーツである田舎に戻った後、より豊富な食材と対話できるサマセットに移り住んだ。
たとえばある日の朝食は、自家製ベーカリーで焼かれた柔らかなサワートーストの上に、サマセット名産のフレッシュなチェダーチーズ、スモークハム、フライドエッグ、そこにディジョンマスタードで味を整えた一皿。ひとつひとつ選ばれた新鮮な食材がシンプルに調和したご馳走だ。
さらにクロケット・コートとテラスを眺める「ハドスペン・バー」、ファームヤードには薪火のオーブン料理がスペシャリテの「ファームヤード・キッチン」、そしてガーデンエリアを一望し休憩所も兼ねたランチ限定の「ガーデン・カフェ」は数時間前にThe Newtの菜園で収穫されたばかりのトマト・豆類・季節の野菜を中心としたヘルシーな料理が並ぶ。滞在時の11月のランチには、前菜に白インゲンとリンゴのスープ、メインにインゲンとカブとケールをシダーとタイムでグリルしたサラダなどがラインナップ。どのレストランでもすべてのメニューにカロリーが記載されている。
他にもテイスティングツアーが人気のサイダー醸造所の屋外には「サイダー・バー」があり、敷地内で栽培されるサイダー用のリンゴとサマセット産のリンゴを使い、水も砂糖も一切加えずに作られるThe Newtオリジナルのサイダーと、姉妹ホテルのBabylonstorenのワインなどもオーダーできる。
食材で言えば、The Newtの最寄り駅となるキャッスル・カリー・ステーション併設の20世紀のミルク工場までをリノベーションし、2024年春からは自家製チーズやヨーグルトを製造し、レストランとショップもオープンするというから、もはやそのスケールにおののくしかない。
ちなみに電動バギーでの移動中は、羊たちに道を遮られる場面もしばしば。羊は地元品種で、牧草を食糧に、糞は堆肥にするなど循環型農業の中で放牧されている。 伝統品種の野生の鹿が生息する公園もあり、特定の時期に殺処分することで頭数を管理。それらは2023年にThe Newt内に新設された食肉処理場で調理・熟成されることで、移動のストレスがなく動物福祉にも配慮されている。
また、敷地内で発掘されたローマン・ブリテン時代の邸宅を「ローマン・ヴィラ」として再現しているのも、The Newtのユニークさの一つ。イギリスがローマ帝国の支配下にあった、西暦351年に建てられたとされ、復元された建物の各部屋には考古学や教育的観点から当時の家具や雑貨も展示。完璧な日本語字幕が付いたVR体験を通してタイムスリップもできる。しかもこのヴィラでの体験ツアーをはじめ、前述のガーデン・ツアーやサイダーテイスティングを含む20ものアクティビティは毎日実施され、スパ・トリートメントとワイン・テイスティング以外は、宿泊ゲストであれば無料という太っ腹ぶりだ。
なお、The Newtからもっとも近い村Bruton(ブルトン)には、2018年に誕生しサマセットを一躍イットなエリアに押し上げたスイスの「ハウザー&ワース」を筆頭に、アートギャラリーも増加中。
ハウザー&ワースへの道すがら、サマセットに住んでいるというフィービー・ファイロの母と姉がオープンしたというヴィンテージ・ホームウェアの店の前を偶然にも通りかかった。
アクティビティ担当スタッフの、「イギリスの田舎といえばコッツウォルズが有名だけれど、今はコロナ以降に移住者が増えたサマセットがキャッチー」というコメントも決して大袈裟ではないようで、The Newtを抜け出してサマセットを俯瞰で観察する時間も持てると、浮かび上がってくるカントリーライフの現在があるはずだ。
すなわちThe Newtのゲストが幸福なのは、元来ホスピタリティのプロではないオーナーが、ありきたりではなく、インテリアだけに留まらない持ち前の感性を味方に、もはや“ホテル”という概念を超えたカントリーサイドならではの“ライフ”を比類のないスケールで感受できることにある。そして、リサーチを重ねてビジョンを打ち出した後は、各分野のプロの力を借り、スタッフの闊達な発想を受け入れてまとめていく元編集者特有のバランス感覚も、ホテルとしてのスピーディな進化に繋がっているのだろう。
そこには、いわゆる田園での休暇と聞いてイメージするすべてをはるかに凌ぐ、圧倒的な体験が待っている。
<ホテル情報>
The Newt in Somerset
一泊料金: ハドスペン・ハウス625ポンド〜、ステーブル・ヤード795ポンド〜、ファーム・ヤード785ポンド〜、ゲート・ロッジ1,025ポンド〜
※2023年12月時点・宿泊料金には12カ月のガーデンのメンバーシップも含む・季節と曜日によって2泊または3泊のミニマムステイの規約あり
公式サイトはこちら