BY KANAE HASEGAWA

「撚る屋」の軒に掛けられた軒灯
COURTESY OF YORUYA
岡山の物産店や美術館を訪れる観光客で往来の激しいエリアを通り抜けると、町家が立ち並ぶ”奥座敷”と呼ばれる落ち着いた東町エリアに入る。ここに、明治期に呉服店「十六屋」の屋号で倉敷の経済文化を支えてきた難波家の商店とその別邸を受け継いだ宿「撚る屋」が開業した。

客室は30㎡から76㎡まで、5タイプ13室。写真はジュニアスイート
COURTESY OF YORUYA
「撚る屋」は、元呉服店の敷地内に建つ店舗と難波家の別荘だった既存の建物を改修し、新たに2つの棟を建てて、13室の客室と料理店、バーから成る。空間のデザインを担当したのはSIMPLICITY。その土地の歴史や伝統に敬意を払いながら、歴史的な要素を現代に馴染ませていくデザインが特徴だ。この宿では、時代ごとに増築され、江戸、明治、大正期が積層した倉敷の町並みに馴染むように、新築の客室棟には江戸時代の倉を思わせる漆喰壁、そして明治期の倉敷に多く見られた赤レンガ壁から着想したデザインを取り入れている。異なる棟の間には路地を通し、宿がさながら倉敷の町の延長にあることを感じさせるようになっている。客室のデザインに関しても、梁や高さ4メートルを超える天井、束石など、元の町家建築を象徴する要素で残せるものは活かしつつ、現代の宿として快適さを与えるための新しい素材や建具を慎重に選ぶことで、昔からあったような空間に仕上がっている。

宿の敷地内に交差路のような路地があり、倉敷の町が宿の中に引き込まれたように感じさせる。向かって奥に見えるのがジュニアスイートの客室棟
PHOTOGRAPH BY RENÉE KEMPS
実はもとの呉服店は、持ち主が変わり、1982年から2014年まで30年にわたって「くらしきの宿東町」として旅人をもてなしてきた。その後一旦、宿としての暖簾を下ろし、10年ほど空き家だったところを「撚る屋」として甦らせた。
「かつての宿は地元のみなさんにも愛されていたようで、閉めた後も、名残りを惜しんで再建を望む地元の声が多かったようです」
そう話すのは「撚る屋」で企画開発・ディレクションを担ったナル・デベロップメンツの上沼佑也さん。1995年生まれの若い世代。持ち主であった難波家に残る記録からは、かつての宿は旅人を迎え入れるだけでなく地元の人たちが記念日や歓待に集い、親しまれてきた場所だったことがうかがえる。旅行者だけでなく、地元の人たちが親しんできた宿。だから、ほかの業態として生まれ変わるのではなく、宿として継承することに意を注いだ。

イグサで編んだ暖簾が架かる「撚る屋」の入口
COURTESY OF YORUYA
旅先には美術館やレストラン、ショップなどの多くの場所があるが、「宿は滞在する時間の長い場所です。長く滞在するからこそ、その土地の習わしや風土に気づくことができる。宿を通してこの地域の風土を伝えたい」と「撚る屋」を運営するナル・デベロップメンツの岡雄大さんはその思いを語る。「アマンリゾーツを創業したエイドリアン・ゼッカさんの信条である土地の声を聞くこと。それを僕たちも常に意識しています。宿が地域とつながり、地域の人たちと相互扶助の関係をつくること」と続ける。それは、かつての呉服屋も、宿もそうであったように、地域共同体の一部となることを意味する。

客室ジュニアスイートの壁とエントランス。各客室のエントランスには、岡山の多島や、倉敷の市花である藤や倉敷の由来になっている倉の建物など、地域のシンボルが彫られた表札が架かる
PHOTOGRAPH BY KANAE HASEGAWA
地域の風土を伝えるために、宿の名前にも気を配った。倉敷は民藝の思想が今も残る土地。「民藝や工芸といわれるものづくりに向き合う人たちが近隣で生活をし、仕事をする土地でもある。手仕事がこの町を作っているんです。だから宿の名前には”手”へんの漢字を取り入れたいと考えていました」と上沼さん。
一方で、倉敷はかつて海だったところを江戸時代の干拓によって整備した土地。土壌が海水による塩分を含むため、塩に強い綿花の栽培が進み、一時は日本一の綿織物の産地となったと言われている。
「今では見えづらいですが、そうした倉敷の歴史、この宿の呉服店としての成り立ちを表せる漢字を探していたところ、”撚”という字を見つけ、手と織物の糸を撚るの両方の意味を含むピッタリの字だと思い、撚る屋にしました」

客室で使う湯吞やグラスは地元の作家さんに特注したもの。吹きグラスは表面の揺れが光の加減で表情を変え、美しい。実際に使って、気に入れば、宿で購入もできるという
COURTESY OF YORUYA
宿には近隣で活動するクラフト作家の仕事がふんだんに取り入れられている。宿のエントランスに掛けられた暖簾は岡山の伝統産業のひとつイグサを用いた生活用品を作る須浪隆貴さんによるもの。客室で使用されている湯吞は撚る屋の近所で作陶する三宅康太さん、ガラスのコップはヤマノネ硝子さんなど、すべて宿用に制作してもらったもの。かつての宿であれば遠方ではなく、周りにいる職人に手を貸してもらうことが自然だったように地域の作り手とともに作った宿だ。

一週間寝かせて供される刺身。実は呉服店の難波家には非常に似た文様の器が伝わる。新見さんはそれを意識して骨董店で見つけたのだろうか
PHOTOGRAPH BY KANAE HASEGAWA
そして、旅先の楽しみである食事の時間を取り仕切るのは和食の道25年以上の新見文男さん。古くから北前船の寄港地として物資が往来し、日本各地の産物がもたらされた倉敷らしく、岡山産にこだわることなく、各地のおいしいものが器に乗る。一月末の献立には長崎産からすみのからすみ餅や、蟹の真丈にカツオ節と昆布のみで引いた出汁の吸い物が登場した。徳島産の真鯛は三日間寝かせ、脂ののる氷見産の天然ブリは一週間寝かせて刺身で提供する。「獲れたてが新鮮で重宝されるかもしれませんが、魚によっては熟成させた方が旨味がのっておいしいものもある。鯛やブリがそうです。ブリは脂の最も多い腹部分を使っていますが、一週間寝かせるうちに脂が抜けて、すっきりとした味わいになります」と新見さん。もちろん鮮度が大切な生ものゆえに寝かせる時の温度管理など技が必要。「温度、そして塩梅、そして風に当てること」
とは言え、料理は宿で食べなくてもいい。「撚る屋」の隣りには人気のイタリア料理店も、長年女性がひとりで切り盛りするお好み焼き店もある。岡さんの目線の先にあるのは倉敷でエコシステムを築くこと。「宿の滞在で完結するのではなく、地域を回遊してほしいんです。観光客で賑やかになる前の早朝の倉敷、そして土産店が店を閉じた後の静かな倉敷の町を歩けば、現代ではない在りし日の倉敷の姿を発見できる」と言う。ゆくゆくは大原美術館や倉敷の他の文化財と連携して、オーディオガイドで町をナビゲーションするアプリの計画もあるようだ。「撚る屋」を含めて町全体が美術館になる倉敷を訪れてみてはどうでしょう。
「撚る屋」
公式サイトはこちら
▼あわせて読みたいおすすめ記事