BY TAKAKO KABASAWA
「伊豆リトリート 熱川粋光 by 温故知新」
ノスタルジーとモダンな感性が溶け合う宿

眼下に望む相模湾の水辺線には、伊豆諸島の島々のシルエットが水墨画のように浮かび上がる
伊豆を訪れるのは何年ぶりのことだろう。新幹線の熱海駅から特急「踊り子」に乗り換えて南下すること約50分。山間のトンネルを抜けるたびに、海の気配が色濃く感じられる。ここ熱川は、海辺に湧き出る湯が川のごとく流れてきたことが地名の由来。駅を降りて目を引くのは情緒たっぷりの木製の温泉櫓だ。街を巡ると約13本もの櫓が現役で稼働し、躍動的な湯煙を放っている。
今宵の宿は、相模湾を望む断崖に立つ「伊豆リトリート 熱川粋光 by 温故知新」。1990年代に絶景の宿として誕生した「伊豆・熱川温泉 粋光」を“ノスタルジック・ラグジュアリー”をテーマにリブランディング。2025年11月に新たな幕を開けた。

駅前の温泉櫓。送迎は1990年代のクラシックカー「ガリューⅠ」

ロビーラウンジに面したテラスには、空を映し出す水盤を設計。満月の頃は“日本百名月”に選出されるムーンロードも見られる

ラウンジの壁際にはLPレコードのキャビネットが据えられ、リクエストした曲をかけてもらうこともできる
改装された客室は、これまで24室だった部屋割りをゆったりとした16室へと再構築。部屋ごとに異なるデザインワークが施されているが、一貫したテーマは“昭和ノスタルジー”である。壁にデザインされたペナントの装飾やアナログのルームキー、かごめ編みの籐のキャビネットなど、モダナイズされた“昭和”の面影にセンスが光る。
また、全4室あるスイートルームもユニークなコンセプトに彩られている。たとえば、大浴場だったスペースをリビングに仕立てた「元大浴場スイート」。洗い場の鏡や床のテイストをそのまま残し、湯船だったゾーンにはソファーセットやダイニングテーブルを据えた。一方、「カラオケスイート」は、客室内に昭和のスナックをイメージした完全防音のカラオケルームが備えられている。伊豆急行が創業した1960年代の観光ポスターやミラーボールが、昭和ムードをひとしおに演出。

その名の通り、大浴場の面影をいかした「元大浴場スイート」

ミラーボールや赤いソファーなど、スナック調の演出が絶妙

「カラオケスイート」のベッドルーム。昭和の観光地のお土産に欠かせないペナントも今様のデザインで配して
気になる温泉は、全室オーシャンビュー。その全てが源泉掛け流しである。古くから湯治場として愛されてきた熱川の湯は、日本屈指の高温自噴である。同館では、自家源泉を2本所有しているため、毎分200ℓもの豊富な湯量を誇る。泉質は、メタケイ酸を多く含み、肌のターンオーバーを促す効果も期待されるナトリウム-塩化物・硫酸塩泉。室町時代に江戸城を築城したことで知られる太田道灌が、川底から湧いた湯で傷を癒す猿を発見したことから、別名“奇跡の湯”と称されている。

「元大浴場スイート」の露天風呂は、前身となる宿の設計をそのままいかした“リアル”な昭和スタイル。露天風呂に隣接してサウナも設置

ダイナミックなタイラギ貝の殻を器に、地タコやそら豆豆腐が旬の優しい香りを運んで

季節ごとにメニュー構成が変わるディナーコースには、伊豆の山海の幸が息づく
蓄積された心身の滞りを“奇跡の湯”で流すと、胃袋から夕餉を催促するサインが聞こえてくる。2階のダイニング「汐と杯」を訪れると、トワイライトタイムに染まる海が迎えてくれた。タイラギ貝と地タコの一皿にはじまり、真鯛の塩麹真砂和えや鮑の黄金揚げを盛り合わせた向付け、旬のお造りや近海産鮑のしゃぶしゃぶへと続く。口直しに運ばれたのは、白ワインのエスプーマを添えた梅酒のシャーベット。静岡牛のクライマックスを迎えるまで、寄せては返す感動が続く。
翌朝は、穏やかな海を眺めながら重ね箱スタイルの朝食をいただく。椎茸や木耳、牛蒡から里芋まで、伊豆産尽くしの小鉢が彩豊かに箱に収まり、一つ一つに心を寄せながら味わうことで、ゆっくりと優しく体が目覚めてゆく。部屋に戻り出発までのひととき、夢見心地の滞在から現実へと思考をスライドしながらメール確認を行う。メールの最後に綴る“ご自愛ください”という常套句を打ち、はっとした。この宿がもたらしてくれたのは、“自分を愛する時間”だったのではないかと──。

半個室のダイニング。朝は海を眺めるカウンタータイプがおすすめ

食後は地元で自家焙煎を行うコーヒー店のフルーティな一杯をロビーラウンジで味わって。豆はお土産としても販売
伊豆リトリート 熱川粋光 by 温故知新
住所:静岡県加茂郡東伊豆町奈良本1271-2
電話:0557-23-2345
公式サイトはこちら

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。
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