BY HILARY MOSS, PHOTOGRAPHS BY LARRY FINK, TRANSLATED BY AKANE MOCHIZUKI(RANDEZVOUS)
写真家のラリー・フィンクは、アンディ・ウォーホルのことをあまり評価していない。「ウォーホルの芸術は、現象としては面白いものだが、それほど意味のあるものじゃない」と彼は言う。「それでも、ウォーホルがあらゆるものを商業化しようとしたことは確かに興味深い。つまり、彼は“やり手”だった、しかも合理的な残酷性を持った“やり手”であったことは間違いない」と、ブルックリンなまりでフィンクはまくし立てる。
「たしかに、ウォーホルも歳をとってからは少しは寛大になり、彼の財団は社会のためになるような活動をしている。アンディ・ウォーホルに対する私の気持ちをまとめると、アンディが私のお気に入りではないというだけで、決して彼のすべてを否定しているわけではない、っていう感じかな」
最近、およそ60年にもおよぶ長い写真家としてのキャリアの中で撮影した写真をフィンクが再整理していると、1966年の春にウォーホル、イーディ・セジウィック、イングリッド・スーパースター、ジェラルド・マランガ、ルー・リード、ジョン・ケイルを被写体とした、これまで未発表だった写真を発見した。“イースト・サイド・レビュー”という、すぐ廃刊になってしまった文学雑誌のファッション・ページのために予定されていたものだ。これらの写真の多くは、“the Factory” (ウォーホルの実験的制作スタジオ) に集まっていた連中を、ローワー・イースト・サイドというあまりなじみのない風景の中において撮影したものだった。
ふざけ回っている小学生たち、地元の精肉業者と一緒にバチ・ボール(イタリア発祥のボーリングのような遊び)をする人――。これらの忘れ去られていた写真で1冊の写真集が作られることになったが、ウォーホルという人物を中心としたこの企画は、フィンクにとってはあまり心惹かれるものではなかったようだ。
「『ニューヨークの当時の状況を考えてみても、アンディの評価はもう少し低くした方がいいんじゃないか。少なくとも平等な視線で評価しようよ』と私は言ったんだ」とフィンクは釈明する。