BY MASANOBU MATSUMOTO
ピエール・ボナールは19世紀末から20世紀前半にかけて活動したフランスの画家だ。初期には「ナビ派」と呼ばれる前衛グループに所属。ポール・ゴーギャンを崇拝したこの集団は、ルネッサンス以降の自然主義的で写実的な絵画を脱却し、絵画はもちろん、ポスターなどのグラフィックや舞台美術なども手がけながら、装飾的な新しい造形表現を模索した。
ボナールは、この頃までにヨーロッパで一世を風靡していた「ジャポニスム」に傾倒。「日本かぶれのナビ」とのニックネームがつけられたほどで、屏風に通じる四曲一隻のパネル作品や、《見返り美人図》のようなポージングの女性の絵を残している。この時期の彼の作品に見られる、遠近法を無視した千鳥格子や水玉模様の平面的な描写、奥行きのない背景とモチーフの重なり合いも、浮世絵の図法にヒントを得たものだ。
この「ナビ派」は、印象派の系譜に連なるムーブメントのひとつ、またのちの20世紀の前衛美術の先駆けとして、近年、フランスを中心に再評価されている。そうした動向もあって、“ナビ派のボナール”の人気は根強い。しかし、国立新美術館で開催中の「オルセー美術館特別企画 ピエール・ボナール展」は、良い意味でそれを裏切った。「ナビ派」時代はあくまで作家の出発点とし、それ以降の作品、遺作までをまんべんなく集め、いまだに謎多きボナールの画業の全体像をていねいに紐解いている。
実際に、 20世紀に入って「ナビ派」が自然消滅すると、ボナールはキュビスムやシュルリアリスム、ダダイスムのような前衛アートの隆盛を横目に、絵画に関する個人的な興味、関心を作品に注いでいった。コダックのカメラにハマり、“瞬間”を描くことや新しいフレーミングを模索。モチーフを目の前に見ながら絵を描くのではなく、時にスケッチや写真を使いながら、記憶を頼りに作画することにも挑んだ。そういったボナールの創作人生において、何より革新的で注目すべきなのは、展覧会のコピーにもなっている、晩年の「視神経の冒険」と呼ばれるものだろう。
この言葉は、ボナールが手帳に残した「絵画、すなわち視神経の冒険の転写」というメモから取られており、1984年、フランスの美術批評家ジャン・クレールは、この「視神経の冒険」をタイトルにボナールの回顧展のためのエッセイを残した。それによれば、ボナールはこのフレーズを合言葉に「見る」という知覚のプロセスと絵画の関係の解明に挑んだという。