アメリカン・フットボールのプロ選手から画家に転じたバーンズは、その生涯を通してアート界から無視され、つまはじきにされてきた。しかし、どう扱われようとも、彼はアイコンとして光り輝く存在になったのだ

BY ADAM BRADLEY, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: アーニー・バーンズの絵画《The Sugar Shack(シュガー・シャック)》(1976年)が、2022年にクリスティーズのオークションで予想以上の値で売れると、アート界から一躍注目されるようになった。 ERNIE BARNES, “THE SUGAR SHACK,” 1976, IMAGE COURTESY OF THE ERNIE BARNES ESTATE, ORTUZAR PROJECTS AND ANDREW KREPS GALLERY © ERNIE BARNES

アーニー・バーンズの絵画《The Sugar Shack(シュガー・シャック)》(1976年)が、2022年にクリスティーズのオークションで予想以上の値で売れると、アート界から一躍注目されるようになった。

ERNIE BARNES, “THE SUGAR SHACK,” 1976, IMAGE COURTESY OF THE ERNIE BARNES ESTATE, ORTUZAR PROJECTS AND ANDREW KREPS GALLERY © ERNIE BARNES

 1976年にアーニー・バーンズがダンスクラブで踊る人々の姿を描いた傑作絵画《The Sugar Shack(シュガー・シャック)》。この作品は、同年の春に発売されたマーヴィン・ゲイのアルバム『アイ・ウォント・ユー』のカバー写真に使われ、さらに、伝統的なTVコメディドラマ『グッド・タイムズ』(1974〜79年放送)のクレジットにも登場した。1970年代当時、もし人々がこの絵画の複製プリント版を買いたければ、ウエスト・ハリウッドにあるバーンズのスタジオに20ドルの小切手を郵送するだけでよかった。バーンズが描いた《シュガー・シャック》の原画は2 枚存在するが──バーンズは少年だった頃、有名なダンスホールにこっそり忍び込み、男女のカップルがクライド・マクファターやデューク・エリントンの生演奏のリズムに合わせて身体を揺らして踊る姿に魅せられた。

 のちに、彼はその光景を作品として描いた──二つの原画のうち、後に描かれた1 枚が2022年にクリスティーズのオークションにかけられ、1,530万ドル(約22億6,000万円)の値で売却された。この絵画を買ったのは、テキサス州ヒューストンを拠点とするエネルギー関連のヘッジファンドのオーナーで、ポーカー世界大会に出場するギャンブラーでもある54歳のビル・パーキンスだ。彼はほかの22人と競売に参加し、この作品を競り落とした。しかし、このとてつもなく大きな売値の格差だけに注目しすぎると、この絵画がもつ普遍的な力を見落としてしまう。この作品の安価な複製プリント版を寝室や理髪店の壁に飾ってきた無数の人々は、パーキンスも含め(そしてもちろん、この絵を手に入れるために、オークションの最中に元値の最高76倍にまで値をつり上げた裕福なアート蒐集家たちも)、バーンズの作品が醸し出す郷愁と温かい励ましを求めずにいられないという欲望を共有しているのだ。

 2009年に70歳で死去したバーンズは矛盾に満ちたレガシーを残した。彼は民衆の──なかでも特に黒人たちの──アーティストであり、誰もが美しい作品を所有できるように、自分の作品の複製を安価で販売した。同時に彼は、富裕層と有名人のためのアーティストでもあった。彼は自分の原画の多くを、元NBA選手のカリーム・アブドゥル・ジャバーやグラント・ヒルなどのアスリート、ダイアナ・ロスやビル・ウィザース、ハリー・ベラフォンテなどのミュージシャン、さらにシルベスター・スタローンなどの映画スターたちに売った。彼は70年代における最も目立ったアーティストのひとりで、数百万人の視聴者が彼の作品を毎週テレビで目にしていた。

 だが、彼の作品は主要な美術館で所蔵されることはなかった。バーンズの作品の中で最も認識されていた《シュガー・シャック》に、前代未聞の高値がついたことによって、そのすべてが変わったと──と同時に、何も変わらなかったとも言える。黒人のアメリカ人たちの間ではすでに圧倒的な評判を得ていたアーティストの存在に、より幅広い層の(そして多くの白人の)鑑賞者たちが改めて気づいたのだ。その作品が長年人々に愛されてきたバーンズは、死後12年以上たってから、やっと重要な画家だと認識され、あらゆる面でそれが証明された。グローバル市場で彼の作品の価値が高騰し(バーンズの作品を長年蒐集してきたコレクターたちにも手が出せないほどの高値になった)、さらに美術館から展示したいという要請が来るようになり、特に直近では来年ニューヨークのギャラリー、オーチュザー・プロジェクトで大規模な展示が予定されている。そんな変化を受けて、バーンズの多様性に満ちたキャリアがようやく深く考察されるようになってきた。 

 アーネスト・ユージーン・バーンズ・Jr.は1938年にノースカロライナ州のダーラムで生まれ、人種隔離政策下の「ザ・ボトム」と呼ばれた地域で育った。彼の父は、リゲット・アンド・マイヤーズ・タバコ社の出荷係として勤務し、母はメイドとして働いていた。1995年に出版された自叙伝『From Pads to Palette(パッドからパレットへ)』の中で、バーンズは、子どもの頃、木の枝を使って「ノースカロライナの湿った大地の上」に波のような曲線を描いてスケッチをしていたと回想している。高校生の頃には身長が190.5センチ近くまで伸び、フットボール部の監督の熱心な勧誘についに根負けして、オフェンシブ・ラインマンの選手として活躍した。1956年までには26校の大学からフットボール奨学金の誘いを受けた。

 結局、彼は伝統的に黒人の学生が多いノースカロライナ大学(現在のノースカロライナ・セントラル大学)に進学し、美術を専攻した。バーンズのアートへの挑戦は、学内からは支援を得たが(彼は《シュガー・シャック》の原型となったデビュー絵画作品《Slow Dance(スローダンス)》を、当時同校を卒業したばかりで、プロ・バスケットボールチームのボストン・セルティックスに入団し、ガードの選手として活躍したサム・ジョーンズに90ドルで売った)、それ以降は偏見にさらされることが多く、その結果、彼はアートから遠ざかった。1960年のNFLのドラフトで、プロ・フットボールチームのボルチモア・コルツがバーンズを指名した。彼は6年間のプロ選手キャリアの中で、コルツ以外の4つのチームでも活躍した。選手引退の決断をしたのは、ケガという肉体的な理由のほかに、画家として生きたいという気持ちをこれ以上抑えきれなくなったからだった。

 黒人の具象芸術家が成功する見通しはほとんどなかったうえに、当時のプロ・フットボール選手の報酬は安く、貯金はほとんどなかった。バーンズはオフシーズンの期間には短期の訪問セールスマンの仕事をしたり、さらに地下室建設のための肉体労働者として働いていた。その後、別のチーム、サンディエゴ・チャージャーズのオーナーで大物実業家のバロン・ヒルトンの計らいにより、バーンズはアメリカン・フットボール・リーグのオーナーたちの会合に飛び入りし、プロスポーツ界初のチーム専属の画家として自分を採用してほしいと売り込んだ。オーナーたちの多くは彼を無視し、なかには彼に向かって野次を飛ばす人もいた。

 だが、ニューヨーク・ジェッツのソニー・ワーブリンは、彼を正式にチームの専属画家として採用し、選手と同等の給与を支払うと約束した。1 年後にはバーンズは数多くの作品を描き上げ、ワーブリンの支援により、マンハッタンのミッドタウンにある有名なグランドセントラル・アート・ギャラリーで初の個展を開催した。当時バーンズは28歳だった。フットボールという競技を、まるで古代ローマの剣闘士たちが現代に蘇って繰り広げるスペクタクルかのように描いたバーンズの作品は、デザイン性が高くドラマチックだった。バーンズの絵画を見ると、彼の洗練された美意識が昇華しているのが伝わってくる。それは、しなやかで動きのある手法で人体を表現し、動いている瞬間の肉体を捉えたいという彼の情熱そのものだ。

 バーンズの卓越した運動能力が、たまたま彼のアートに生かされた、という考え方は、説明としてあまりに不十分すぎる。フットボールを体験する中で、彼は「その躍動とエネルギー」をキャンバスの上で捉えたいという衝動を感じたと、2001年の11月にシアトルで開催されたごく内輪の小さな会合で説明している。初期の頃の作品では、彼は「体あたりされ、相手に突進してぶつかり、走り、方向を変え、素早く後ろ向きに動いたときのリアルな感覚をそのまま伝え」ようとした。バーンズは人間の肉体というものを、職人が設計図を描くように外側から内側へというベクトルで学んだのではなく、内側から外側へと理解していた。骨や筋肉や靱帯がいかに調和して動くかを彼は知恵として体得していたのだ。「運動選手であることは、動きを分析して統括するのに役立った」と彼は取材に答えている。「そして動きこそが、自分がキャンバスの上で表現したいものなんだ」

画像: バーンズの《Shootin’ the Breeze(そよ風の中でシュート)》(1974年) ERNIE BARNES, “SHOOTIN’ THE BREEZE,” 1974, COURTESY OF THE ERNIE BARNES ESTATE, ORTUZAR PROJECTS AND ANDREW KREPS GALLERY © ERNIE BARNES

バーンズの《Shootin’ the Breeze(そよ風の中でシュート)》(1974年)

ERNIE BARNES, “SHOOTIN’ THE BREEZE,” 1974, COURTESY OF THE ERNIE BARNES ESTATE, ORTUZAR PROJECTS AND ANDREW KREPS GALLERY © ERNIE BARNES

 ニューヨークで1966年に開催されたバーンズの展覧会を契機に、彼がアート界の表舞台に華々しく躍り出る可能性もあったが、結果は逆で、ほとんど誰も関心を寄せなかった。「あれはショックだった」とバーンズは数十年後に語っている。もしアート界が彼を拒絶するなら、彼もまたそんなアート界を受け入れる気はなかった。「別にあの世界の一員になる必要なんかないんだと、自分で気づいたとき」と彼は語った。「ひとりの人間として、はっきり腑に落ちたんだ」

 アート界に所属しないアーティストはいったいどうするのか? バーンズの場合は、かつてセールスマンだった頃と同じように自ら率先して活躍の場をつくった。まず、より多くの観客に興味をもってもらえる題材を選ぶため、日常生活における身体の動きに注目した。自信満々で通りを歩くとき、人はどんなふうに見えるのか、また、一日の終わりに重たい荷物を背負って歩くときや、2 本の縄跳びを使ってふたりで一緒に跳ぶときに、人体はどう動くのか?

 クワミ・ブラスウェイトや、その他の写真家が牽引したブラック・イズ・ビューティフル運動からも刺激を受けつつ、バーンズは『The Beauty of the Ghetto(ゲットー街に宿る美)』というタイトルで展覧会を開けるほどの数の作品を作り続けた。1972年にカリフォルニア科学工業博物館(註:現在の名称はカリフォルニア科学センター)を皮切りに彼の展覧会が開幕し、その後7 年間、全米各地を回って展示が開催された。その次にバーンズが取り組んだのはネットワークづくりだった。1973年にバーンズはテレビ番組プロデューサーで、『ザ・ブラック・ファミリー』(仮題)という新番組を企画していたノーマン・リアと出会った。リアはバーンズに非常に興味を示し、番組の中で彼の絵画を使うだけでなく、ドラマの中の一家の長男、J.J(. この役は俳優のジミー・ウォーカーが演じた)を画家という設定にした。

 このドラマは、その1 年後の1974年の2月8日に、ネットワーク局のCBSで打ち切りになった別の番組の代わりに『グッド・タイムズ』というタイトルで初回が放送された。この中でバーンズの絵画は重要な役割を担った。この番組にはたちまち熱心なファンがつき、2シーズン目に入る頃には、リアが手がけた大ヒット番組『オール・イン・ザ・ファミリー』と並んで、ニールセンの視聴率調査で常に10位以内に入った。1974年から75年にかけて『グッド・タイムズ』が1 年間通しで放送された人気絶頂期には、全米に存在するテレビ受信機の4台に1台が、毎週この番組にチャンネルを合わせていた。

 文化歴史家で現在69歳のウィル・ヘイグッドは、オハイオ州コロンバスにある低所得の黒人用の公共住宅に住んでいた20代初めの頃、この番組を観ていたのを覚えている。ヘイグッドの直近の著書は2021年出版の『Colorization: One Hundred Years of Black Films in a White World(白黒から総天然色へ:白人社会における黒人映画の100年史)』で、彼は『グッド・タイムズ』は当時「ひとつの儀式」だったと語る。特に、自分たちが人間味のある存在として描かれている光景を、テレビ画面を通して観たいと切望する黒人のアメリカ人たちにとっての「儀式」だったと。その儀式の重要な部分を占めていたのが、バーンズのアート作品だった。ヘイグッドは、番組の最後に流れるクレジットを目で追い、劇中に登場した絵画を実際に描いたアーティストの名前を探したのを覚えている。「黒い肉体がくねったり、ひねって躍動する様子が絵に描かれているのを見ると、貧困にまみれた自分の生活が、少しだけ楽になったように感じたんだ」とヘイグッドは言う。そして、「バーンズは70年代に生きていた黒人のアメリカ人の圧倒的大多数にビジュアル・アートを紹介した唯一のアーティストだった。だが、ほとんどの人は彼の名前すら知らなかった」と言うのはコミュニティに根づいた芸術活動を行なっている62歳のアーティスト、リック・ロウだ。「当時の黒人たちにとってのアートとは何かを定義づけた存在が彼なんだ」(──後編につづく)

*カタカナの人名表記に関しては、編集部の判断により日本で広く使われている表記を使用しています。

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