BY NAOKO ANDO

喜多川歌麿 《吉原の花》 寛政5年(1793)頃 ワズワース・アテネウム美術館
Wadsworth Atheneum Museum of Art, Hartford.The Ella Gallup Sumner and Mary Catlin Sumner Collection Fund
吉原では、3月中のみ桜の木が持ち込まれ、花見を楽しんだという
現在「大吉原展」のウェブサイトを訪れると、まず以下のステートメントが目に入る。
“遊廓は人権侵害・女性虐待にほかならず、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。本展に吉原の制度を容認する意図はありません。広報の表現で配慮が足りず、さまざまな意見を頂きました。
主催者として、それを重く受け止め、広報の在り方を見直しました。展覧会は予定通り、美術作品を通じて、江戸時代の吉原を再考する機会として開催します。“
当初は「江戸アメイヂング」という惹句とともにショッキングピンクの文字が踊り、「江戸吉原はイベント三昧」、「ファッションの最先端」などのコピーや、展示会場内で「花魁道中」などのショーが見られる「お大尽ナイト」と題したイベントの開催など、遊廓で育まれた文化や爛熟した虚構の世界観を、あえていえば無邪気に楽しもう、という姿勢がうかがえる広報活動が展開された。吉原が遊廓であったことについては「江戸幕府に公認された遊廓だった」ということが記されるのみで、チラシや公式ウェブサイトを見る限りにおいて、そこで働かざるを得なかった女性の人権を蹂躙することで成り立っていたシステムであったという認識が欠けていると感じた人が多かったのだろう。開催前からさまざまな声が上がった。
その後、カラーリングがピンクから銀シルバーに変更されたり、コピーに「遊廓では売春行為が行われていたことも事実」という歴史的側面についての記述が加えられたりするなど、方向性に若干手が加えられたが、報道内覧会の質疑応答でも意見や質問が多数寄せられていた。

福田美蘭 《大吉原展》 令和6年(2024) 作家蔵
PHOTOGRAPH BY NAOKO ANDO
展覧会プレビューでは、学術顧問を務めた前法政大学総長の田中優子氏による“「大吉原展」開催にあたって:吉原と女性の人権”と題された文書が配布された。その文書で田中氏は、吉原を正面からテーマとした展覧会は本展が初めてであり、これまで扱われてこなかった理由は、吉原の経済基盤が売春であったことにあると分析。遊廓を考えるにあたっては、日本文化の集積地、発信地としての性格と、それが売春を基盤としていたという事実の両方を同時に理解し、どちらか一方を取り上げることにより、もう一方が覆い隠されてはならないという考えを表明し、本展を、その両方を直視するための展覧会であると位置付けた。
また、質疑応答においては、批判を受けて展示内容にも変更が加えられたかという質問があったが、担当学芸員で東京藝術大学大学美術館教授の古田亮氏により、展示内容には一切の変更はなかったと説明された。
![画像: 高橋由一 重要文化財《花魁》[重要文化財]明治5年(1872) 東京藝術大学 PHOTOGRAPH BY NAOKO ANDO](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783302/rc/2024/04/05/a74ef4596193a90410f10ea03c1b3d7c87e8bc7a_large.jpg#lz:orig)
高橋由一 重要文化財《花魁》[重要文化財]明治5年(1872) 東京藝術大学
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5年間の準備期間を経て、30近い国内外の美術館、資料館、団体から丁寧に作品が集められた展示は4会場に分かれ、細かく章立てされているため、目にしている作品がどのような位置付けでどのような意味合いをもつのかを理解しながら鑑賞することができる。
第1会場は、本展のキービジュアルとなる現代美術家の福田美蘭による、浮世絵をコラージュした絵画作品で幕を開ける。第2会場では、浮世絵のほか、G.F.ビゴーなど、明治時代に来日した外国人による、吉原を描いた挿画や写真も展示される。高橋由一による、花魁の姿を初めて写実的に油彩で描いた作品には、モデルとなった四代小稲(こいな)が「私はこんな顔じゃありません」と泣いて怒ったというエピソードがつく。同「『たけくらべ』の世界」では、鏑木清方による樋口一葉の肖像画なども見ることができる。

吉原の町並みが再現された第3会場の展示風景
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伝 玉菊使用三味線 江戸時代 18世紀 早稲田大学演劇博物館
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第3会場は一転、展示室で吉原の世界が再現され、当時、吉原を訪れた人が感じた高揚感を感じながら、仲之町通りをそぞろ歩く気分が味わえる。遊女の玉菊が実際に使用していたといわれる三味線や、煙草盆などの調度品が、実際にこの世界を生きた人の痕跡をリアルに伝えている。

酒井抱一 《大文字屋市兵衛像》 江戸時代 18〜19世紀 板橋区立美術館
加えて、江戸琳派を代表する絵師、酒井抱一(さかいほういつ)と妓楼(ぎろう)の大文字屋との関係から、当時の妓楼が単なる遊女屋としてだけでなく、一種の文化的なサロンだったということがわかる。俳人でもあった抱一は楼主の肖像画を描いたり、狂歌会を催したりし、37歳で出家したが生涯吉原通いを続け、大文字屋抱えの遊女香川を妻に迎えてともに暮らした。ここには、TSUTAYAの由来となった、浮世絵や洒落本の版元として活躍した蔦屋重三郎も足繁く通ったという。

辻村寿三郎・三浦宏・服部一郎 《江戸風俗人形》 昭和56年(1981) 台東区立下町風俗資料館
撮影:石﨑幸治、写真提供:三浦佳子
第4展会場に展示されているのは、廓(くるわ)の世界を再現した間口268×奥行235.5×高さ81.5cmの総檜造の壮大な模型。人形作家の辻村寿三郎が手がけた23体の人形は体高20cmに満たないサイズながら、金糸銀糸を用いた豪華絢爛な衣装が緻密に再現されている。建物の中を覗くと、文をしたためたり、湯浴みをしたりする遊女の姿も見られる。
最後に、田中氏の文書の結びを紹介したい。
“ところで、この4月からは「女性支援法」が施行されます。これは、売春女性を「更生させる」という従来の考え方から、女性たちを保護するという「福祉」へ、制度の目的を変える法改正です。しかし女性が人権を獲得するには、それだけでは足りません。女性だけが罪を問われることは、一方的すぎます。北欧やフランスでは、「買春行為」をも処罰の対象とする法律が制定されています。日本もまたその成立を目指すべきだと思っています。
私はこの展覧会をきっかけに、そのような今後の女性の人権獲得のための法律制定にも、皆様に大いに関心を持っていただきたいと思っています。“
二度とあってはならない過去の場で育まれ、花開いた文化に触れ、現在に連なる女性の人権ついて、改めて考える機会としたい。

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『大吉原展』
会期:3月26日〜5月19日
会場:東京藝術大学大学美術館
住所:東京都台東区上野公園12-8
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