世の中には普遍的な伝統というものがある。たとえば「カゴ」という工芸品は、この21世紀にどう適応し、再考され、作り変えられているのだろうか

BY DEBORAH NEEDLEMAN, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA(RENDEZVOUS)

画像: アンマリー・オサリバン(annemarieosullivan.co.uk)。イースト・サセックスにあるスタジオで、自分の手がけたカゴや乾燥した枝、道具に囲まれて PHOTOGRAPH BY SOPHIA SPRING

アンマリー・オサリバン(annemarieosullivan.co.uk)。イースト・サセックスにあるスタジオで、自分の手がけたカゴや乾燥した枝、道具に囲まれて
PHOTOGRAPH BY SOPHIA SPRING

 天然素材を加工した工芸品のなかでも、カゴは最も古く、地理的にも広範囲にわたって作られてきた。加えて、機械化に適さないことが明らかな唯一の工芸品だ(現在も、カゴは人の手仕事によって生み出されている)。 昔から、工芸品といえば陶器がスポットライトを浴びてきた。ひとつには、カゴが傷みやすいせいもあるが、あまり尊重されなかったためでもある。作っている本人たちでさえ、カゴを工芸品として重んじる気持ちは薄かった。しかし人類の歴史を通じて、カゴは文字通り、われわれの“重荷”を背負う役割を果たしてきた。人間の身の回りにあった植物で編まれたこの容器は、人間にとって付属物のようなものであり、カゴのおかげで、人はより大きく大容量のものを持ち運べるようになった。工芸品としては低い地位にあったものの、カゴは人類の歴史と進歩にとっては必須の存在であり、それなしでは、世界を変えた「農業」という分野の発達も実を結ばずに終わっていたかもしれない。カゴのおかげで、余剰食糧を保存したり、物々交換や販売のために食料を輸送することも可能になったのだから。

 世界中で作られているカゴは、それぞれ独特な形、素材、技法、用途などがあり、その多様さには限りがない。言葉や文字だけではなく、こうした工芸品を通して歴史を語ることもできるだろう。工芸品とはすなわち、必要に迫られ、持ち合わせの素材を使って巧みに作り出されたものだ。柔軟なパーツをもつ植物か、あるいは水に浸すことで柔軟になるものであれば、どんな植物からでもカゴは作ることができる。例えば、根やツタ、松の葉、草、茎、そして木でさえも素材になりうる。熱帯地方のヤシのように幅のある素材は、三つ編みのように編まれる。また、サバンナの草のように細い素材は、紐作りの陶器のように螺旋状に編み上げられるし、低地に育つ柳などの堅い素材はタペストリーのように織り上げられる。

貿易や移住、そして戦争によって、これらの技法やスタイルは世界各地に拡散し、その様式はしばしば混ざり合っていった。ブルキナファソで使われていた美しい螺旋状の編み方は、何らかのルートで南フランスのドルドーニュにまで渡り、庭仕事用のカゴに用いられるようになった。サウスカロライナ州の黒人奴隷の子孫であるガラ人は、西アフリカから移り住んだ祖先から伝わるコイル巻きの技術を使って、スイートグラス(イネ科の多年草)のカゴを作ってきた。

 しかしながら、イギリスほどカゴ細工のバリエーションが豊富な場所は、世界中を見ても多くはない。イギリスのカゴのほとんどは柳で作られている。柳は柔軟で軽く、丈夫で、放っておけば自然に繁殖する能力があるので栽培しやすいという特徴をすべてあわせ持った、夢のような素材だ(木を切り倒しても再び芽を出し、枝を土に刺しておくと根が生えてくる)。イヌイットは「雪」を表すのに50くらいの言葉をもっているというが、イギリス人は「カゴ」を指す言葉を200近くももっている。ニシン漁に関するだけでも、捕獲用、仕分け用、氷の保管用のカゴがあり、ニシンの価格を決めるために政府が細かく仕様を決めた「クォーター・クラン」と呼ばれるカゴまで含めれば、計7種類ものカゴがある。農業用であれ、あるいは工業用、家庭用であれ、カゴはそれぞれの用途向けにあつらえられ、そのすべてのニーズを満たしてきた。20世紀前半になってしばらくのあいだは、イギリスにはまだまだ枝編みのベビーカーや郵便配達用のカートが存在していたし、精肉屋の配達用カゴ(パン屋のカゴとはまったく異なるもの)や伝書鳩用のキャリー、弾薬投下用のカゴ、さらには種まき用やレンガ運搬用のカゴもあった。

 私たちは、カゴ細工というものを田舎の営みだと思いがちである。イギリスが急激に都市化を遂げる1800年代までは、確かにおおかたはそうだった。だが、産業化はカゴ細工の終焉を示すどころか、むしろピークの到来を告げることになった。工場や町で使うために、カゴは必須だったからだ。カゴ作りの職業化と専門化が進み、カゴ編みの職人たちは初めて、栽培農家や素材を加工する係、販売員や修理工とは区別され、作業場で肩を並べて働くようになった。

こうして新しい「ジャーニーマン」(徒弟制度を修了した後、いくつものファクトリーで働く者)となったカゴ編み職人たちは、5〜7年間ほどの見習い期間を過ごす中で、多くの種類のカゴの作り方に習熟していった(バリエーションも含めれば、その数は千種類以上にのぼることもあった)。 しかし、第一次世界大戦が始まると、貧困国から安いカゴが輸入され、同時に木製の箱も簡単に入手できるようになった。そしてプラスチック容器が普及した1960年代には、イギリスのカゴ産業は崩壊してしまった。

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.