BY MAGGIE BULLOCK, PHOTOGRAPHS BY SIMON WATSON, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA(RENDEZVOUS)
何年か前、当時イギリス首相だったデーヴィッド・キャメロンの妻サマンサのロンドンの自宅を訪れたとき、そのリビングルームで、ジェナ・ライオンズはデジャヴに襲われた。色鮮やかな布が掛けられたドラマチックな濃灰色のキャビネットがあるその部屋は、ライオンズが以前暮らしていた部屋にそっくりだったのだ。そのライオンズの部屋は、ブルックリン地区パーク・スロープにあった。赤茶色の石の外壁、5階建てのビルの一室で、2008年にインテリア雑誌『Domino』に掲載され、その後、ピンタレストで最も多くの「ピン」を獲得したインテリアのひとつになった。キャメロン夫人は、その部屋がオマージュであることをすぐに認めた。『そうなの! あなたのリビングルームのインテリアをそのままパクったのよ』とキャメロンに告白されたという。「彼女のリビングには黄色いソファもあったし、そのほかなにもかもがあったわ」
オールバックのポニーテールから、分厚いフレームのメガネ、彼女が好む明るめのアシッドカラー(レモン色のブレザーやエレクトリック・オレンジの口紅)に至るまで、ライオンズのファッションスタイルは細部にいたるまでマネされてきた。ライオンズが多くの女性に好まれるのは、彼女の生来の親しみやすさにもよるのだろう。
すごくファンシーというのでもなく、予想外の要素を組み合わせて奇抜なスタイルを作り上げる特技を彼女は持っている。ライオンズはJ.クルーの社長として8年間、クリエイティブ・ディレクターとして10年間過ごした。この間、J.クルーというブランドは、彼女の類いまれな美的センスを、誰にでもマネできるようなスタイルへと変化させた。自分たちもコーラルピンクのコートをダメージデニムとスパンコールのついたヒールと組み合わせていいんだと、顧客に思わせたのである。そんなふうに見事に企業イメージを築き上げた手腕も、女性たちがライオンズに憧れる理由なのかもしれない。
2017年の4月、49歳になったライオンズはJ.クルーを退社した。大学を卒業してすぐメンズウェアのアシスタント・デザイナーとして入社し、その後27年間勤めてきたが、2014年までに同社の利益は大きく落ち込み、J.クルーは実店舗の販売現象という世界的シンボルになってしまっていた。こうしてライオンズは大人になって初めて、目的のない時期を過ごすこととなった。アップステート・ニューヨークのベリーヴィルにある自宅で「プールからソファへ、そこからキッチンへ、そしてまたプールへ」といった生活を3ヶ月間過ごした。その間、次のステップにはあえて踏み出さそうとしなかった。「それまでの緊張をほぐし、自分にとって何が重要なのかを考えるのにひと夏かかったの」とライオンズは言う。「大きな方向転換をするべきなのか、もっと小さい規模の何かをやるべきか、とね」。そうしているあいだも仕事のオファーはいくつかあったが、まだどれも真剣には考えられなかったという。今も直近にはその予定はないそうだ。