スタジオ・コーの建築家ふたりは、ヴィクトワール広場にある18世紀のアパルトマンを全面改装して、過去と未来が融合する場所に作り替えた

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY ALEXIS ARMANET, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 パリを拠点に活動する建築事務所「Studio KO」(スタジオ・コー)の建築家、オリヴィエ・マルティとカール・フルニエは、オーストラリアのある起業家からパリのセカンドハウスの改装を依頼された。ヴィクトワール広場を取り囲むように建つ壮麗な4階建てアパルトマンの3階。そこには幾重にも折り重なった数奇な歴史の足跡が残されていた。ふたりはヴィクトワール広場がもつ魅力に惹きつけられた。だが、時の流れはアパルトマンの壁や床にとってやさしいものではなかった。全面改装が必要な状態だったが、小売り帝国を築きあげたクライアントはオーダーメイドの斬新な店舗デザインで知られており、建物のもともとの魅力を単に再現するだけでは満足しなかった。

メルボルンで過ごした青年時代からパリで暮らすことを夢見ていたクライアントは、パリの歴史を感じさせる雰囲気を漂わせながらも、自分のミニマリスト趣味も反映させた部屋づくりを主張した。ロココ建築に始まり、建物の破壊と再生が何世紀にもわたって繰り返されたパリの街だが、“歴史的に由緒ある場所は決して進化を止めない”“このうえなく精巧なファサードが時に思いもよらない真実を覆い隠している”ということを物語る場所は、このヴィクトワール広場をおいてほかにないだろう。

画像: パリのヴィクトワール広場が見渡せるリビングに置かれたファビオ・フォーゲルの焼き加工を施したスチール製テーブル、Diurneのオーダーメイドのラグ、リビング・ディバーニのソファ、1950年代のギョーム・エ・シャンブロンのオーク材のテーブルとマルセル・ガスコアンのチェア

パリのヴィクトワール広場が見渡せるリビングに置かれたファビオ・フォーゲルの焼き加工を施したスチール製テーブル、Diurneのオーダーメイドのラグ、リビング・ディバーニのソファ、1950年代のギョーム・エ・シャンブロンのオーク材のテーブルとマルセル・ガスコアンのチェア

 パリ1区と2区にまたがるヴィクトワール広場は17世紀後半に、ルイ14世に仕えるフランソワ・ドービュッソン・ド・ラ・フィヤード元帥によって、太陽王ルイ14世の戦いの勝利を讃えるパリで最初の公共の円形広場として建設された。フィヤード元帥は彫刻家マルタン・デジャルダンにルイ14世の彫像を依頼した。この円形広場を取り囲むように並ぶ、ほぼ同じ作りの壮麗な邸宅の設計を任されたのは、ヴェルサイユ宮殿の敷地内にある大トリアノン宮殿を手がけた建築家ジュール・アルドゥアン=マンサールである。その後、ヴィクトワール広場は幾多の時代をくぐり抜けながら、さまざまに姿を変えていくことになる。

 このルイ14世像が完成したとき、周りの邸宅の中にまだ完成していないものがあった。そこでフィヤード元帥は主君のご機嫌をとろうと、ファサードのだまし絵を描いた巨大なキャンバスで未完成の建物を覆うことにした。言ってみれば、アンシャン・レジーム(訳注:フランス革命以前の社会体制)時代のグリーンスクリーン(訳注:グリーンの布などで背景を変更する映像編集の手法)のようなものだ。1686年のある朝、広場を囲む邸宅ーー本物と絵に描かれた偽物ーーの前で、廷臣であるフィヤード元帥によってルイ14世の彫像の除幕式が執り行われた。金箔の銅像は、ヨーロッパの4つの敗戦国を表す鎖でつながれた4人の捕虜を勝ち誇ったように見下ろしている。数年後には、絵でごまかした未完成のファサードも建築家ジャン=バティスト・プレドーの手で完成した。そのひとつが、「Studio KO」が改装を手がけたアパルトマンのファサードである。「ヴィクトワール広場の物語は『だまし絵がもたらす錯覚』、つまり『物事は見かけどおりとは限らない』と教えてくれるよい教訓になります」とマルティは言う。

「そうしたヴィクトワール広場が語りかけるメッセージに惹きつけられます。見かけどおりではないからこそ、もっと面白いものに変えられる可能性があるからです」

画像: ヴィンテージのオーク材の机とクリスチャン・アストゥグヴィエイユの籐椅子

ヴィンテージのオーク材の机とクリスチャン・アストゥグヴィエイユの籐椅子

 

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