スタジオ・コーの建築家ふたりは、ヴィクトワール広場にある18世紀のアパルトマンを全面改装して、過去と未来が融合する場所に作り替えた

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY ALEXIS ARMANET, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 クライアントが求めていたのは、日々の喧騒から逃れて心から安らげる“静かな建築”。それは18世紀のパリのアパルトマンでは得られないものだった。ある晩秋の午後、蜜ろうのキャンドルがやわらかな光を投げかける部屋で、彼は低いソファにもたれながら自分の希望を語った。求めているのは、迷路のように入り組んだパリの街並み、自身のギリシャ系のルーツ、アジア風のモダニズム、それらが調和した空間。その調和こそが彼のビジネスにインスピレーションを与え、独特の美意識を作りあげているのだ。

画像: 主寝室に置かれたヴィンチェンツォ・デ・コティスがデザインした革張りの銅製ベッドとトラバーチン製のサイドテーブル

主寝室に置かれたヴィンチェンツォ・デ・コティスがデザインした革張りの銅製ベッドとトラバーチン製のサイドテーブル

 約149m²のアパルトマンの天井は4m近くあり、日中は日あたりが良好。正面の3mほどの窓からヴィクトワール広場が一望できる。奥の主寝室は、角度のついた壁に囲まれた奇妙だが魅力的な形で、ミラノを拠点に活動する建築家ヴィンチェンツォ・デ・コティスがデザインした革張りの銅製ベッドがポツンと置かれているだけ。その開き窓からは、通りを隔てた向こうにノートルダム・デ・ヴィクトワール・バジリカ聖堂が見える。「部屋に差し込む光は生き生きとした輝きを放っています。特に朝の光の美しさには心が洗われます」と、クライアントは語る。天気がよい日は窓をすべて開け放し、新鮮な朝の空気や目覚めたばかりの街のざわめきを部屋に招き入れる。「ここの暮らしは非常に健康的で、すごく穏やかな気持ちになれます」

 彼が妻と成人した子ども3人と共有するこのアパルトマンは一見すると、時代や場所とは無関係に存在しているように思える。エレガントな模様を刻んだ背の高いドア枠や窓枠のケーシングを除き、オフホワイトの漆喰壁にはモールディングや装飾がいっさい施されていない。だが、近寄ってじっくり見ると、ハンドメイドの鍛鉄(たんてつ)製品からヴェルサイユ宮殿で使われた“ヴェルサイユ張り”を再現した寄木細工の床まで、時代や場所を感じさせる建築的なディテールが見事に表現されていることがわかる。

2年前にモロッコのマラケシューー「Studio KO」のセカンドオフィスもあるーーにオープンしたイヴ・サンローラン美術館のデザインも手がけたフルニエとマルティ。そのふたりが改装したこのアパルトマンは、正面のリビングから続く狭い廊下の先に、2部屋の寝室とコルク張りの化粧室がある。廊下の途中にある直径1.5mほどの太い支柱は、四角く切って壁に埋め込むような見え透いた小細工をせず、ヴィクトワール広場の曲線と呼応するように丸いまま残し、柱の根元に明るい木目模様のオーク材の床板を差し込んだ。キッチンと壁には「ヴェール・デストゥール」(ピレネー山脈の村で産出される、ロックフォールチーズのようなグレーとグリーンが混ざったレアな大理石)が使われ、キッチン用品はカウンターの下に収納されて見えないため、キッチンと壁が一体化して見える。

画像: フランス産大理石「ヴェール・デストゥール」を使用。Studio KOによる特注のラッカー塗装を施したオーク材のキャビネット、“ヴェルサイユ張り”を再現した床、THG Parisのキッチン設備

フランス産大理石「ヴェール・デストゥール」を使用。Studio KOによる特注のラッカー塗装を施したオーク材のキャビネット、“ヴェルサイユ張り”を再現した床、THG Parisのキッチン設備

 毎年3~6カ月をパリで過ごすというクライアントは、クリニャンクールの蚤の市やパリのアンティークショップを回って、ほとんどの家具を自分でーーフルニエとマルティの助けを借りたものも中にはあるがーー見つけてきた。それでも、部屋には必要最小限の家具しか置かれていない。フランスのリールを拠点に活躍したデザインユニット、ギョーム・エ・シャンブロンによる1970年代の縦長クロゼット。その上に置かれた一対のミッドセンチュリーの陶器製ランプにかぶせたオーダーメイドのイグサのシェードが、プロヴァンス地方に広がる牧草地の干し草の束を思わせる。キッチンには60年代のポール・マッコブによる籐編みの引き戸がついた食器棚や、1970年代のピエール・カルダンのテーブルが置かれている。いくつかの作品はクライアントが自身の店舗をデザインしたときに協力してくれた職人が手がけたものだ。リビングの中央に置かれた、炎で加工を施したユニークな形のスチール製テーブルは、ドイツのハノーヴァー在住のデザイナー、ファビオ・フォーゲルの作品である。また、彼がこのアパルトマンのために作ったガラス容器は、溶かしたガラスを耐火繊維の鋳型に流し込んで成形する方法を用いている。

 今のところ、壁にはほとんど何も飾られていないが、クライアントはいずれ絵画を購入するつもりでいる。だが、慌てて壁の空白を埋める必要性はあまり感じていないようだ。彼は遮るもののない広々とした空間に満足しており、その中で目に映るものや聞こえてくる音の美しさに心が動かされる瞬間を楽しみたいと思っている。窓の真下には、ヴィクトワール広場という「時の流れとともに、場所がいかにその姿を変えていくか」を教えてくれる見本がある。それは、いわば歴史とうまくつき合っていくための手引書でもある。

デジャルダンの作った太陽王ルイ14世の彫像はフランス革命の混乱で破壊され(4体の捕虜像は現在ルーヴル美術館が所蔵)、時代の波を乗り越えることはできなかった。代わりに共和国側の勝利を象徴する原木のピラミッドが建てられ、そのピラミッドも1810年にはナポレオン率いるフランス軍の将軍の裸の銅像に建て替えられた。だが5年後にナポレオンが失脚すると、この銅像も取り壊されてしまった。王位に復活したルイ18世は彫刻家フランソワ=ジョゼフ・ボジオにローマ皇帝の騎馬像のような太陽王ルイ14世の新しい彫像を依頼した。1822年に完成した彫像は新しい時代の幕開けを象徴するモニュメントとして、今でもヴィクトワール広場の中央にそびえ立っている。

「人々はこの彫像がずっとそこに立っていたと思っています。もともと存在していたオリジナルだからこそ崇高な価値があるのだと」とマルティは言う。「けれども、この彫像がわれわれに教えているのは、文化は移ろいゆくものである、立っている彫像がいつまでも変わらずその場所に存在しつづけるわけではないのだ、ということです」

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