BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY ANTHONY COTSIFAS, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA
カルロ・アルベルト・ベレッタ、そしてヤコポ・ヴェントゥリーニ。ともに世界的ファッションブランドのエグゼクティブとして長年の実績を積んできたふたりは、20年来の恋人同士でもある。今から6年前、ミラノで引っ越し先を探したときに思い浮かべていたのは、歴史の趣と多少の愛らしさが漂う家だった。この街は第二次世界大戦中に連合軍の空襲で大きな被害を受け、戦後数十年間で再建や修復が進んだが、完全に復元されたわけではない。そのため、彼らの希望に合う部屋を探すのは簡単ではなかった。
ミラノの凱旋門アルコ・デッラ・パーチェのそばにある、1920年に建てられた4階建てビルで出会った物件は、現在トッズのゼネラル・ブランドマネジャーを務めるベレッタと、ヴァレンティノのCEOを務めるヴェントゥリーニにとって、最初は希望に合う住居とはとても思えなかった。建物のつくりは優れているが──イタリアにベルエポックの影響が来ていた19世紀から20世紀初頭にかけての建築様式で、中央にらせん階段があり、つややかなグレーだった漆喰壁がめぐらされ、重々しい錬鉄の手すりがしつらえてある──内装ときたら、ミラノ近代化の最悪な部分をかたっぱしから寄せ集めたかのよう。吊り天井の部屋を石膏ボードで迷路のように区分けして、床一面にみっちり業務用カーペットを敷いている。営業事務所として使われていたので、10人ほどがデスクであくせく仕事をしていた。「想像してもらうしかないね」と、ヴェントゥリーニは語る。
だが、石膏ボードを小さく抜いて、カーペットの一部もはがし、裏の様子を確認してみたところ、殺風景な事務所というのはうわべだけで、そもそもは一戸建ての豪邸内にある約300㎡の応接室だったことがわかった。最初の所有者の子孫が1990年代にほかの階を切り売りしてしまったのだが、応接室だったフロアで家長の女性がその後も優雅な暮らしを続けた。ベレッタの説明によると、女性が2000年代はじめに亡くなったあと、文化遺産の保護を行う政府機関が、そのフロアを文化財として認証した。のちに相続人が事務所に改装したが、その際も重要な歴史的価値のある部分はすべて慎重にカバーして保護する義務があったのだ。
仮設資材の裏にあったのは、渦巻きのモチーフを使うイタリアのリバティ様式から近代風に入れ替わりつつあった頃の壮麗な構造。ヴェントゥリーニとベレッタの多面的な美意識を発揮する背景として、まさに完璧な住まいだった。最近の流行では、新しい住宅に家宝のように見える装飾品やアンティーク家具などを買い揃え、貴族が受け継いで暮らしてきたという雰囲気に仕立てることもあるようだが、ふたりにとってそれは流行ではない。本当にそうした環境で育ってきたからだ。ヴェントゥリーニ(53歳)とベレッタ(57歳)は、いずれもミラノで数世代続いてきた一族の出で、ルーツをどこまでさかのぼれるのか本人たちにも把握できない。ミラノのひときわ瀟洒(しょうしゃ)なブレラ地区の有名なアンティークディーラー、マウリツィオ・エピファニとも旧知の仲で、このエピファニがふたりの新居のために古い装飾品を見つけ、稀少な20世紀のイタリア家具や照明器具などを手配した。「イタリアらしさで全体をまとめておきたいから」とヴェントゥリーニは言う。
イタリアのコンテンポラリー・デザインならミニマリズム、といわれることも多いが、ふたりはその言葉に魅力を感じていない。それどころか、今や彼らの住まいとなった部屋の中には装飾品があふれかえり、華麗なるロココやオリエンタリズムから、洗練されたアールデコやモダニズムに至るまで、あらゆる様式の品々が計算された配置で並べられ、雰囲気のある照明で照らされている。巣穴のような温かみと、珍しい品を集めた博物館のような密集感は、ヴェントゥリーニがミラノの「隠れた」性質と呼ぶもの、この街をよそから来た者には理解しにくい場所にしている本質としっくりかみあっている。「ビジネスのための冷たい街にも思えるが、一歩踏み込んでみれば、箱が開く」とヴェントゥリーニは語る。
ふたりの住まいをめぐるのも、ゆっくり箱を開けていくような感覚だ。部屋のひとつひとつに極端なほどの個性がありながらも、そのすべてを全長18mの廊下がつないで一体感をもたらしている。廊下の壁はもともとの住居にあったもので、モザイクタイルの床も業務用カーペットをはがした下に現れたものだ。その壁と床を、新たに吊るしたガラス製のランタン形照明──イタリアの建築家イグナツィオ・ガルディラの作品だ──が照らす。書斎に入ると、イタリアの合理主義建築家ジュゼッペ・パガーノの手によるヒョウ柄のクッションチェアがある。帰宅した家主たちはそこにコートをかけておく。幅3.5m×高さ4.5mで上部がアーチ形になったウォルナット材の本棚は、19世紀につくられベルギーのアントワープにある薬局で使われていた。緑色の大理石を使った腰高のセンターテーブルには、ヴェントゥリーニのコレクションである原寸大の植物模型が20個以上も並ぶ。ドイツやイタリアで19世紀末頃に、植物研究の目的で、パピエマシェ(註:にかわで固めた紙)、ガラス、ワイヤ、木材などを使ってつくられた模型だ(毛や毛皮や羽根を用いて手ざわりを表現する場合もあった)。ヴェントゥリーニは「不気味なものもある」と言い、ハエジゴク(食虫植物)らしき植物模型を指してみせた。よだれを垂らしているかのような姿をしている。「恐ろしげなものを集めるのが好きなんだ」
連結したふたつのリビングは、それぞれに違った雰囲気がある。片方には深緑のベルベットのソファ1台と、薄緑の四角いアールデコ調のアームチェア2脚があり、中央に小さなテーブルが交互に重なり合って置かれている。パリのカンボン通りに今も残るココ・シャネルのアパルトマンには、黄金の小麦を束ねた形のサイドテーブルが置かれているが、この部屋にあるテーブルのひとつもそれを思わせる形をしている。もう片方のリビングはシノワズリ・テイストの小部屋だ。黒漆に金メッキの飾りを施した18世紀の文箱は、ふたりがトリノで見つけた品で、蓋を開けると内側は鮮やかな赤。文箱を置いたパーソンズ・スタイルのコーヒーテーブルも、表面に深紅のパーチメントを使っている。奥にある脚なしアームレスのソファには、トルコがオスマン帝国だった頃のティータオルを使ったクッションと、18世紀のフランスで生まれた伝統生地トワルドジュイを縫い合わせたクッションが並んでいる。壁には、オウムや蝶などを描いたヴィンテージの絵が何枚も飾られている。
ベランダのスペースが限られているので、そこに面した大きなアーチ形の窓のあるダイニングルームは、まるで植物園のようだ。ケンチャヤシの鉢植えがいくつかあるほか、黒の枝葉で木陰ができるようなデザインで特別につくられた巨大な金属製シャンデリアが、吹き込む風に揺れる。壁に格子状に飾られた多数の額縁に収められているのは、19世紀に手描きされた植物図鑑のページで、ベレッタが先祖から受け継いだものだ。壁際の椅子(同じ椅子がこの家には全部で8脚ある)は、象眼細工を施した1920年代の籐家具で、パレルモのホテルに置かれていたものをひと揃いで手に入れた。暗褐色のモヘアのベルベットを張った幾何学模様の背もたれが、ファセットカットの宝石に似た輪郭を浮かび上がらせ、ロマンティックなインテリアに構成主義的モダニズムを漂わせている。
ベッドルームにも意表をつくコントラストが満載だ。穏やかでニュートラルな色調でまとめるのではなく、ベッド奥の壁に強烈な黒と赤の刺繡布を飾っている。1940年にウズベキスタンで織られた布だ。床にも色の対比が鮮やかなカーペットを敷いている。ドレッサーに置いた枝つき燭台に引っかけてあるのは、ヴェントゥリーニがときどき身に着ける大ぶりのネックレスやペンダント。この部屋でも個人所有の装飾品がミックスされている──19世紀の鉛筆画のポートレイトはベレッタが幼少期から持っていたもので、その1枚を立てかけた18世紀の教会用膝つき台は、ヴェントゥリーニの母親が使っていたもの。そして壁にかけられた白黒の現代写真はふたりが一緒に集めたコレクションだ。「美しさだけを大切にしてるわけじゃない」とベレッタは語る。「それを初めて目にした瞬間、贈られた瞬間、一緒に買おうと決心した瞬間を忘れないためのものでもあるんだよ」。この住まいに血が通っていると感じられるのは、それが理由だ。生命感があり、きっと永遠に心に残って離れないだろう。
PRODUCTION: CHRISTOPHER GARIS
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