1830年代の自宅アパートメントの装飾を必要最低限までそぎ落とすことで、余計な手を加えないことの威力を証明した、ブルックリンハイツのインテリア・スタイリストの世界観をクローズアップ

BY TOM DELAVAN, PHOTOGRAPHS BY BLAINE DAVIS, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 ブルックリンハイツを拠点に活動するインテリア・スタイリスト、コリン・キング(33歳)はこう語っている。「ここで暮らして一年になるのに、新型コロナウイルスのパンデミックに直面するまで、昼の光の中で自分の部屋を見たことがありませんでした」。2020年3月にニューヨーク州に外出禁止令が発出されるまで、キングはクライアントとの打ち合わせや、デンマークの家具ブランド「HAY(ヘイ)」やアメリカの塗料ブランド「ベンジャミンムーア」などの依頼を受けてデザインのストーリーや広告を作るために、ロンドンやコペンハーゲン、マドリード、マラケシュなど世界中を飛び回る日々を送っていた。ところが、正面にブラウンストーンを使用した1830年代のエレベーターのないアパートの約46㎡の2階の一室に閉じ込められて初めて、自分自身の空間をどうしたいのかと考える時間を持てるようになったのだ。

画像: ブルックリンにあるコリン・キングのアパートメントのメインルーム。1960年代のピエール・ジャンヌレのカンガルーチェア(手前左)、カッシーナで購入したヘリット・リートフェルトの《ユトレヒト》アームチェア(手前右)の横にはシャルロット・ペリアンの《ベルジェ》スツール。左奥の1970年代のトラバーチン大理石のテーブルの上に置かれた、1本の枝を挿したタデウス・ウルフの花瓶、ヘンリー・ムーアの石膏彫刻のマケット(模型)

ブルックリンにあるコリン・キングのアパートメントのメインルーム。1960年代のピエール・ジャンヌレのカンガルーチェア(手前左)、カッシーナで購入したヘリット・リートフェルトの《ユトレヒト》アームチェア(手前右)の横にはシャルロット・ペリアンの《ベルジェ》スツール。左奥の1970年代のトラバーチン大理石のテーブルの上に置かれた、1本の枝を挿したタデウス・ウルフの花瓶、ヘンリー・ムーアの石膏彫刻のマケット(模型)

 ブルックリンハイツの近隣地域の歴史保存に積極的に取り組んでいる大家は、借主に現代的設備を提供することを目的とした、当時の興味深い要素を台なしにする魂のこもらない改装を施すようなことを避けてきた。そのため、キングの部屋には細い桟の入った6つの窓枠からなる上下2枚のダブルハング窓、実際に使える大理石の暖炉、オーク材の床、豪華なケーシング(ドアや窓の枠)、約3.7mの天井と壁の境目のモールディング(装飾材)といった、当時のディテールの多くが残されているものの、その輪郭は2世紀近く経過した塗装の劣化でぼやけている。とはいえ、広々としたこのワンベッドルームのアパートメントに入り、ピンクとブラックのタイルを張った何の変哲もないバスルームの隣にある1980年代のギャレーキッチンを通って、リビングが見えた途端、目が釘づけになる。そこには古典的な調和のとれたスペースが広がり、並木道が見渡せる高さ約2.7mの閉じられた一対の窓からたっぷり光が差し込んでいるのだ。

 自分の仕事上の作品ではありふれた空間にエレガンスを吹き込もうとしているキングだが、インスタグラム(@colinking)に投稿した写真はオフホワイト、ダークグレー、ブラウンの色彩で描かれた詩的な静物画のようで、そこには彼の追求する最も純粋なスタイルが表現されている。弓なりにしなった1本の枝(嵐のあとに道端に落ちているものをよく拾ってくる)の下に置かれたいくつかの陶器や、作品の中の控えめなディテールであるベッドルームのドアの後ろの忘れられた片隅など、ほかの人にとっては何の変哲もないものが、キングの目を通すとどことなく哀愁が感じられるのだ。

 キングがアパートメントの改装を始めたとき、部屋にはソファ(イタリア人デザイナー、マリオ・ベリーニが1970年代初めに発表したフワフワだが先端の尖ったクラシックな《レ・バンボレ》)、食事をする場所(同じく1970年代のクリーム色のトラバーチン大理石の丸いテーブル)、座り心地のよい椅子(シャルロット・ペリアン、ル・コルビュジエ、ピエール・ジャンヌレによる1960年代の使い込まれた黒いレザー張りの寝椅子「LC4シェーズロング」)しかなかった。リビングの白い壁は全体的にすっかり黄ばんでおり、どこもかしこも殺風景な感じだった。ダイニングテーブルに着くとき以外、コーヒーは低いマットレスやカウチのそばの床の上に置くしかなかった。デザインブックやコンテンポラリーアートのコレクションは壁に寄せたり、床の上に積み上げたりした。クライアントのために探してくるような陶器の花瓶や観葉植物、テーブルランプ、オブジェ、ミラーなどは皆無と言ってよかった。

 キングはくすんだグレーの完璧な色合いを出すためにベッドルームの壁と天井を三度も塗り直してから(ほかの部屋は現在、暖色系でも寒色系でもないオフホワイト)、家具のレイアウトに取りかかった。カッシーナで注文した1930年代に製作されたオランダのデザイナー、ヘリット・リートフェルトによる、がっしりしたフォルムの白い《ユトレヒト》アームチェア、ベン・ブルームスティーンとアーロン・アウジュラがイーストビレッジで立ち上げたグリーンリバー・プロジェクトによるベルベット張りのウォルナットのスツール、ニューヨークを拠点に活動する陶芸家、ダニー・キャプランのカスタムメイドのテーブルランプ、友人のチェルシーのギャラリスト、ドブリンカ・ザルツマンから借用したピエール・ジャンヌレによるミッドセンチュリーのヴィンテージの籘椅子などだ。

リビングの暖炉のマントルピースの上には、古いミラーの横にイギリスのモダニズムの陶芸家、ルーシー・リーが20世紀前半にろくろで成形した花瓶が置かれている。納期をせかされることが多い仕事でのスタイリングとは違って、自宅アパートメントの内装はもっとゆっくりと慎重に進められた。「空間の声に耳を傾ける時間を持ちました」とキングは言う。その結果、飾り気のないがらんとした部屋ができあがった。だが、そこには1970年代のイタリアンデザイン、初期のアメリカ建築、フランスのモダニズムといった異なる糸が重なるように織り込まれ、遊び心のある折衷主義に挑戦する傾向のある一握りの若いデザイナーしか表現できない絶妙なニュアンスが漂っている。

画像: 《レ・バンボレ》ソファの上には《アステップ ヴィヴィ シンクワンタ》ペンダントライト。中央はカール・オーボックのサイドテーブル。右奥は1970年代のイサム・ノグチのランプ。マントルピースの上にはディーター・クルンビゲルによるアッサンブラージュ、1950年代のジャクリーヌ・ルラの金魚鉢

《レ・バンボレ》ソファの上には《アステップ ヴィヴィ シンクワンタ》ペンダントライト。中央はカール・オーボックのサイドテーブル。右奥は1970年代のイサム・ノグチのランプ。マントルピースの上にはディーター・クルンビゲルによるアッサンブラージュ、1950年代のジャクリーヌ・ルラの金魚鉢

画像: 「ローマン&ウィリアムス ギルド」のリネンのベッドカバーをかけたキングのベッド。その上の壁に掛かっているのはリチャード・ブロウの1950年代のピエトラ・デュラ(フローレンスモザイク)。ベッド左にある1970年代のヌペ族のスツールの上には、アッキーレ・カスティリオーニがデザインした《ランパディーナ》ランプが

「ローマン&ウィリアムス ギルド」のリネンのベッドカバーをかけたキングのベッド。その上の壁に掛かっているのはリチャード・ブロウの1950年代のピエトラ・デュラ(フローレンスモザイク)。ベッド左にある1970年代のヌペ族のスツールの上には、アッキーレ・カスティリオーニがデザインした《ランパディーナ》ランプが

 キングのアパートメントには彼が長年培ってきたミニマリズムの美学が貫かれているが、これまでまったく回り道をしなかったというわけではない。キングは双子の兄弟とともに、オハイオ州の田舎の農場で育った。いつも家の仕事を手伝わねばならないので、ブラブラ遊んでいるわけにはいかなかった。学校から1時間かかる場所に暮らしていたため、めったに友達と会うこともなかった。10代になると、自分の歌声を「強く意識する」ようになったという。「歌うたびに、自分を表現しているような気がしました」。ところが、13歳でダンスに出会ったキングは、18歳でニューヨークに移ってもジャズダンスとバレエのレッスンを続けた。ほどなくして、ダンサーとして成功することの厳しい現実に直面して失望した。22歳のとき、ふとした思いつきからロサンゼルスへ移ったが、同じような失望を味わった。「『背が高すぎる。痩せすぎている。少し男らしさに欠ける』と何度も言われました。人はある時点で悟らざるをえません」。そこで、キングはしばらく不動産管理人をしてから、フィットネスのインストラクターとして働き始めた。やがてメルローズ・アベニューに店舗を構えるデザイン会社「コンソート」でデジタルコンテンツ・プロデューサーの職を得た。そこで売り場から商品を撤去したり、ビネット(小型の立体模型)をスタイリングして撮影し、ソーシャルメディアで宣伝したりする仕事を任された。キングはやっとダンスと同じくらい情熱を傾けられる仕事を見つけたのだ。

 2017年にニューヨークに戻ったキングは、仲間の多くと同じように、いくつかの仕事をかけもちしながら何とか暮らしていた。午前中はパーソナルトレーナー、午後はホームブランド「ワン・キングス・レーン」のソーシャルメディアのアカウントを管理、夜はインテリア・スタイリストとしての地位を確立するために、ストーリーを探し出して雑誌に売り込んだ。ところが、数カ月もたたないうちに、スタイリングの予約でいっぱいになり、キングは生まれて初めてひとつの仕事に専念できるようになった。

 腰を落ち着けたものの、キングのアパートメントはまだ進化を続けている。今はベッドの上に掛ける大型の油絵、リビングに置くジョー・ドゥルソがデザインしたヴィンテージのサイドテーブル、ブラックオリーブの木(キングにとって初めての観葉植物)を探しているところだ。非常に多くの美しい住まいが手の込んだ改装と高価な家具や装飾の結果であるのに対し、キングのアパートメントは余計な手を加えないことの威力を証明している。それは空間本来の美しさを引き出すことであり、そのためには忍耐を必要とするのである。

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