コネチカット州北西部に位置する、1920年代に整備された名高い敷地。英国のランドスケープデザイナーであるダン・ピアソンはそこに、手つかずの自然と造園を共存させたユニークな生態系をつくり上げた

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY NGOC MINH NGO, TRANSLATED BY JUNKO KANDA

画像: スーザン・シーハンとジョン・オーカラハンがコネチカット州ノーフォークに所有するネオジョージアン様式の邸宅「ロビンヒル」。その背後に広がる草地は、生物多様性と北米在来種の保全を目的として丁寧に手入れされている

スーザン・シーハンとジョン・オーカラハンがコネチカット州ノーフォークに所有するネオジョージアン様式の邸宅「ロビンヒル」。その背後に広がる草地は、生物多様性と北米在来種の保全を目的として丁寧に手入れされている

 スーザン・シーハンとジョン・オーカラハンは、コネチカット州ノーフォークにある築93年のロビンヒル──約8万1,000平方メートルという広大な敷地に建てられたネオジョージアン様式のレンガ造りの邸宅──を購入した当時、造園については何の知識もなかった。しかし購入から10年たった今、第2次世界大戦後の版画作品を扱う傑出したギャラリーをマンハッタンで経営しているシーハンと、カーペット販売業を営むオーカラハンは、果てしなく思えるほど広大な庭の美しさについて一家言を持っている。一見したところ敷地はほぼ自然のままのように思われるが、伸び広がる草地も枝葉が生い茂る木々も、ランスロット・“ケイパビリティ”・ブラウンやガートルード・ジーキルといった著名な造園家が手掛けた卓越したランドスケープと同じように、考え抜かれたものである。

 敷地北端の高みにある約930平方メートルの邸宅──天井の高い1階にはいくつもの部屋が並び、使用人の翼棟はゲストを泊められるように改築されている──は、フィッツジェラルドの小説の舞台にもなりそうだ。この屋敷は、ジョージ・リスター・カーライルとその妻レイラによって建てられた。ピッツバーグの鉄鋼王の娘であったレイラ・ラフリン・カーライルは、1922年に出版されたジョン・ゴールズワージーによる連作小説『フォーサイト家物語』に登場する館にちなんで、ここを「ロビンヒル」と命名した。

 ラフリン・カーライルの遠縁の一族は今でも、敷地に沿って並んでいる19世紀に建てられた何軒かのコテージを所有している(レイラ・ラフリン・カーライルの甥であるジェイムズ・ラフリンは、1936年にここで出版社ニューディレクションズを設立し、1997年に死去するまで、道路をはさんでロビンヒルの向かい側にある農場家屋で暮らしていた)。

画像: いくつもの大きな岩をアクセントとする草地の奥には、シロマツ、サービスベリー、サトウカエデが見られる

いくつもの大きな岩をアクセントとする草地の奥には、シロマツ、サービスベリー、サトウカエデが見られる

 1980年代の初め、著名な米国人インテリアデザイナーであるジョン・サラディノがロビンヒルを購入して約20年間を過ごし、その間に自身のトレードマークであるニュートラルな色合いの新古典主義様式の家具や抽象絵画で室内の装飾を施したほか、ラフリン・カーライルによる大胆な発想の日本風庭園を左右対称に重きを置く欧州式庭園へと造り変え、パーゴラや、階段状の整地、地元の石を用いた壁を取り入れた。

 しかし、シーハンとオーカラハンが邸宅を購入した頃には、直近の所有者であった医師が敷地の維持管理を怠っていたため、ランドスケープの根本的な見直しが必要となっていた。シーハンは、屋内にどのように手を入れるべきかについては考えがあった。彼女は、邸宅のクラシカルなテイストを重んじて塗装に伝統的な色調を用い、アジアや英国のアンティーク陶芸品、欧州の伝統的な花柄や幾何学模様のファブリックで内装を整えた。しかし、屋外をどうするかについては途方に暮れた。

 シーハンは、喧騒を離れてオーカラハンと共に週末を過ごすロビンヒルについて、「私たちはこの家を一目で気に入って購入し、冬の間に引っ越してきました。そして外を眺め、どんな所に来てしまったのか見当もつかないことを身に染みて感じました。テラスにたたずんで思ったのは、外には手に負えない世界が広がっているということでした」と語る。

 二人は春を待ちながら、邸宅に七つ備わっている暖炉のうちの一つのそばに座って、英国人ランドスケープデザイナーであるダン・ピアソンが2009年に上梓した著書『Spirit: Garden Inspiration』のページをめくっていた。二人はピアソンの名前すら聞いたことがなかったが、オクラホマ州出身のデザイナー兼アーティストである友人のジョン=ポール・フィリップが近隣に所有する山小屋を、ピアソンがインスパイアされた場所の一つとしてその書籍の中で取り上げていることを知り、見てみることにした。

 ピアソンは、フィリップの殺風景なほどに質素なログハウス──ノースカロライナ州のブルーリッジ山脈に19世紀初期から中期に建てられたもの──が、パラグライダーで飛行していたある鳥類学者の目に留まり、1970年代に丁寧に解体されてコネチカット州まで運ばれた経緯を説明していた。2006年にその山小屋を含む約2万平方メートルの敷地を購入したフィリップは毎冬、鳥をはじめとする野生の動植物の数を増やすために、その地に元から自生していた低木などの樹木を間伐し、一帯を天然の自然観測所へと変えているのだ。

画像: 森の空き地に切り花用の花壇が設けられており、室内のフラワーアレンジメントに利用できる季節ごとの多年生植物が育っている

森の空き地に切り花用の花壇が設けられており、室内のフラワーアレンジメントに利用できる季節ごとの多年生植物が育っている

 シーハンは、ロビンヒルの造園を助けてもらうための人物が見つかったと思った。優れたテイストを持っていながら控えめで、おそらく仕事を求めている人物に違いない、と。「私が想像していたダンは、ジョン=ポールのように薪ストーブの傍らでスケッチをしているような孤独な人物でした」とシーハンは振り返る。仕事でロンドンに出張した際、彼女はピアソンに面会の約束を取り付け、ウォータールーのスタジオを訪ねた。

 シーハンは、スタジオに足を踏み入れて初めて自分が勘違いしていたことに気づいた。ピアソンのパートナーであるヒュー・モーガンの統括の下で10人以上の従業員が働いているのみならず、壁には、ハワイ、サンフランシスコ、ギリシャ、ロンドン、上海といった世界各地の広大な敷地のスケッチが掛かっていた。目立たぬように所有者の名前が記載されているスケッチもあり、中にはアップルの最高デザイン責任者だったジョナサン・アイブ、ドイツのファッションフォトグラファーであるユルゲン・テラーの名前もあった。58歳のピアソンは、造園の世界においてゼウスのような存在であるとシーハンは知ることとなった。

 自然を手なずけることよりも輝かせることを大切にする設計で知られるピアソンは、6歳の時からガーデニングに親しみ、17歳からウィズレー王立園芸協会植物園で経験を重ね、1987年に独立を果たした。1997年のダイアナ妃死去の後には、同妃が十代の数年を過ごしたオルソープ邸の庭園改修を手掛けた。近年では、ヴィタ・サックヴィル=ウェストが1935年に造ったシシングハースト・カースル・ガーデンの中にある、地中海性植物の木立をイメージした庭園「デロス」を再設計している。また、十勝毎日新聞社の現顧問である林光繁の要請を受け、地元北海道のランドスケープアーキテクトである高野文彰とタッグを組み、「十勝千年の森」の造園に携わった。この約4平方キロメートルのエコロジカルな公共庭園の整備には20年以上の歳月を要した。

画像: 粗削りクルミ木材のシンプルなフェンスが切り花用花壇との境界線を形成しており、花壇へは草を刈って作った道が通じている

粗削りクルミ木材のシンプルなフェンスが切り花用花壇との境界線を形成しており、花壇へは草を刈って作った道が通じている

 ピアソンは、ランドスケープデザイナーとして名声を博しているにもかかわらず、謙虚で穏やかな物腰でも知られている。彼は「スーザンに会ってすぐ、自然の力を信じる彼女のアプローチと目の輝きに惹かれました。彼女なら私に何かを教えてくれると思ったのです」と語る。庭園は自分自身の発見につながる道であるべきで、誰しも自分が自然にどのように向き合うのかを決める必要がある、というのがピアソンの信条である。そのため彼はシーハンに、絵や写真といった画像を集めるよう勧めた。必ずしも庭園の画像でなくても、インスピレーションを与えてくれるものなら何でもよかった。彼女がどういう植物が好きなのかではなく、戸外の風景を見つめた時に何を感じたいのかを知るのが目的だった。

 シーハンは再びピアソンのもとを訪れた時、250ページにも及ぶらせん綴じの資料を持参した。そこには、バーネット・ニューマンの黒い絵画もあれば、16世紀のベナンのブロンズ像もあった。また、陶器のびんや、18世紀のニューイングランドの墓石も含まれていた。「そうした画像を集めることで、自分が何を求めていたのかを知ることができました。それは、人間は自然を思ったほどコントロールできないのだと常に認識することでした」とシーハンは語る。

 定番を好むクライアントたち──ピアソンが顧客として選ばないタイプの人々──は、秩序と完璧を求める。それはすなわち、境界が明確な花壇、四角に刈り込んだツゲの生け垣、心を落ち着かせるシンメトリーである。一方、ミニマリストのクライアントは全体をグリーンで統一したランドスケープを求めることが多いが、これはピアソンが得意とするスタイルではない。だがピアソンは、シーハンが自分と同じ考え方を持っていることに気づいた。庭園の最大の見どころは、手つかずの自然と造園の境界線である。

「大きな喜びを味わう前に少しの間、当惑を覚えることを受け入れてもらう必要があります」と語るピアソンの造園へのアプローチは、19世紀後期の西洋のスタイルに最も近い。つまり、自然の地形や在来植物を重んじる非構築的な美学である。工業化に伴う堅苦しさへの反発もあって生まれたそのコンセプトは、マリー・アントワネットの時代から欧州にもたらされた外来植物がいかに侵襲的で生物多様性を危機にさらしているかを認識した結果のものでもある。

画像: 古い果樹園では夏の間、草は伸びるに任させる。春までには、スイセン、カタクリ、淡い紫色のクロッカスといった球根植物が咲き誇る

古い果樹園では夏の間、草は伸びるに任させる。春までには、スイセン、カタクリ、淡い紫色のクロッカスといった球根植物が咲き誇る

 常に拡大を続ける森との折り合いを維持することは、コネチカット州で最も寒冷な北西部にあるロビンヒルではことさら困難だった。草木が成長する季節は極めて短く、そのために他の地では見られないほどあふれんばかりに多くの花が同時に咲く。しかも、敷地の約半分は森であり、約24平方キロメートルの自然保護地区に隣接している。「樹木は原動力そのものです。伐採されても虎視眈々と再生を狙っています」とピアソンは言う。

 キイチゴの低木を取り除いた後、礎石の上に建てられた邸宅と庭園とのつながりを改善する必要が出てきた。これは、安全な距離を保って庭園を鑑賞することを前提に敷地が整備されたラフリン・カーライルの時代にはなかった発想である。幸いにも、ラフリン・カーライルとその後のサラディノが設置した、階段状の整地に使われた空積みの石垣、邸宅正面にある丸い小石を敷き詰めた中庭を見下ろす円形の水盤、道具類の収納や管理人の事務所を擁する数棟の小さな離れといった人工構造物の多くは残存していた。

 ただし、いくつかの石垣は眺望を遮っている上、敷地内の散策の妨げにもなっていた。そこでピアソンは、邸宅の数多いエントランスと高台から庭園にアクセスするいくつかの経路を設計した。裏手のフレンチドアから草地へと降りるための、丸みを帯びた花崗岩の階段。水盤のそばの高い擁壁を貫く石の階段。森へとつながる傾斜を下る、石の蹴上と草で覆われた踏面からなる数々の階段。ピアソンは「閉鎖的だった屋敷を解放したいと思ったのです」と話している。

画像: 邸宅正面の芝生にある水盤のそばで、かつての庭園の面影を伝える白いロードデンドロンが素朴なベンチに覆いかぶさっている

邸宅正面の芝生にある水盤のそばで、かつての庭園の面影を伝える白いロードデンドロンが素朴なベンチに覆いかぶさっている

 ピアソンが目指していたのは、すべてのエリアを、交錯する小道のネットワークで結ぶことだった。しかし、このネットワークを機能させるためには、休閑中の区画の復旧が必要だった。さらに骨の折れる作業もあり、その一つが、以前の所有者が平らに刈り取ってしまった草地の再生だった。この5年間、シーハンとオーカラハンに雇われ、2人の助手の力を借りて庭園管理責任者をフルタイムで務めているジェイムズ・マックグラスは、「一般の人は、草地の風景は自然が勝手に生み出してくれるものと考えがちですが、草地の生態系は非常に複雑なのです」と語る。ブロンクス生まれのマックグラスは、ペンシルベニア州のロングウッド・ガーデンズで経験を積んだ後、著名な建築家エドウィン・ラッチェンスが設計した英国イーストサセックスの地所であるグレート・ディクスターをはじめ、エルサレムやオランダやマドリードなどの庭園で実績を重ねた。

 彼はピアソンと緊密に連携し──二人は毎月、電話やメールで連絡を取り合っている──ソリダゴ・ルゴサ(アキノキリンソウ属)などの繁殖力が強い品種の増殖を食い止め、特注の在来植物1,000株以上を毎年植えている。ロビンヒルにピアソンが携わるようになって5年がたった今、ラベンダー色のかぐわしいベルガモットと淡いピンク色の花をつけるジョーパイウィードの間を縫って、草を刈り取って作られた小道が通っている。

 ピアソンは、伝統的な切り花用の花壇──通常は人目につかないように隠され、室内を飾るフラワーアレンジメント用の植物が管理しやすいように整列している──の代わりに、サラディノが設けたパーゴラを解体してくし形のオープンエリアを造り、一般的なミックスドボーダー(註:複数種の鑑賞用草花を植えている区画)で見られるさまざまな多年生植物を植えた。春にはアイリスの茂みが鮮やかな紫色の花を咲かせるほか、7月にはエキナセアの花が虹のような彩りを見せ、晩夏には丈の高いルドベキアの黄色い花が咲くといった具合に、順々に開花を楽しむことができる。

 マックグラスは、原則として枯れた花を摘み取らず、植物の自然な営みを尊重している。それは、「スーザンが点描画の中にたたずんでいると思えるように」するためだという。7月の終わりごろ、紫色や黄色の花をつけたヘンルーダに小鳥のゴシキヒワが止まり、高い茎を揺らして草原に波紋が広がるような動きを生み出す。

画像: 敷地内で集めた石を使って地元の石工が作った石塚は、周辺の森の散策のゴールとなっている

敷地内で集めた石を使って地元の石工が作った石塚は、周辺の森の散策のゴールとなっている

 このような色彩と咲き乱れる植生が人の目を魅了することは確かだが、ロビンヒルにおいてピアソンの個性を最も反映しているのは、邸宅の東側に接している、樹木がうっそうと生い茂る一帯に加えた改修であることは間違いない。ピアソンによると、このように密生した森を受け入れるための秘訣は、完璧な頃合いで人の手を入れることであり、「安全だと感じられる」程度の介入にとどめることだという。数本の木が、残りの木が育つように間伐され、倒れたシロマツで作られたベンチが小道に趣を添えている。その向こう、濃い影を作って茂る木々の間に、高さ約4.5メートルの円錐型の石塚──古代のスコットランドがルーツの伝統的な石積み──が置かれている。

 これは地元の石工スティーブン・バンドシューによるものだ。これから低層の有機堆積層を覆うように繁茂するであろう背の低いイカリソウに囲まれた石塚は、先史時代の神秘的な一里塚のようにたたずんでいる。さらに足を進めると、丸太と石で作られたサークルがあり、そこから草地の向こうまでゆったりと視界が開け、草を刈り取った小道をたどると邸宅へ戻ることができる。森の林冠から丈の高い牧草へと風景が変わり、邸宅の琥珀色の灯りが紗をかけたように霞んで見える、森とも草地とも言いがたい瞬間がピアソンのお気に入りだ。彼はこう語っている。「境界線が曖昧であることが常に重要です。最も面白いことは、そういう場所でこそ起こるものです」

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