フレンチ リヴィエラと呼ばれる地中海沿岸のリゾート地に、シャネルが、ブランド創設者のヴィラ(別荘)をよみがえらせた

BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPHS BY CLĒMENT VAYSSIERES, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA

画像: 〈ラ パウザ〉の回廊。ガブリエル・シャネルが1929年、フランスの海沿いのリゾート地ロクブリュヌ=カップ=マルタンの丘に、このヴィラを建てた。

〈ラ パウザ〉の回廊。ガブリエル・シャネルが1929年、フランスの海沿いのリゾート地ロクブリュヌ=カップ=マルタンの丘に、このヴィラを建てた。

 コート・ダジュール 。フランス南東の先端、青い海とそびえたつ崖に挟まれ、約400㎞にわたって広がるこの一帯は、1920年代に詩人ガートルード・スタインが「失われた世代」と呼んだアメリカの作家や芸術家たちに人気の保養地だった。アーネスト・ヘミングウェイも、ドロシー・パーカーも、コール・ポーターも、ヴァージニア・ウルフも、みんなここで夏を過ごした。1924年にはF・スコット・フィッツジェラルドが、やはりコート・ダジュールの街サン=ラファエルに家を借り、3作目となる小説『The Great Gatsby』(『グレート・ギャツビー』)の草稿を完成させた。1928年、パリでデザイナーとして活躍していたガブリエル・シャネルがコート・ダジュールに来た時点で、すでにこの地のイメージは定着していた。パリで生まれたイギリスの作家W・サマセット・モームがのちに言った表現を借りれば、「日陰者たちが集う日向」だ。当時45歳のガブリエル、通称ココ・シャネルは、モナコ東側のリゾート地ロクブリュヌ=カップ=マルタンにラベンダーとオリーブの木々が広がる約2万㎡の敷地に目をつけ、そこに建つピンク色のヴィラを購入した。

 元の建物は1911年に建てられたものだ。1914年の『New York Times』紙の記事によれば、所有者だった作家夫婦、チャールズ・ノリスとアリス・ミュリエル・ウィリアムソン は、聖書に登場するマグダラのマリアが休息したという伝説にちなみ、建物に〈ラ パウザ〉(休息)という名前をつけていた。ココ・シャネルはこの建物を取り壊したが、新しい邸宅に同じ名を残すことにした。当時すぐ近くでアイルランド人の家具デザイナー兼建築家アイリーン・グレイが、モダニズム建築の最高傑作と言われる別荘を自身のために建築中だった。ほかにも、ルネッサンス・リバイバル建築、ムーア建築、ベル・エポックなど、この頃に流行したさまざまな建築様式が近隣で取り入れられていた。ところがココ・シャネルは、どちらかと言えば無名だったベルギー人の建築家ロベール・ストレイツを起用し、ミニマリズムに近い邸宅を作らせている。ココ・シャネルはかつて、姉妹2人、そして年の近い叔母アドリエンヌとともに、フランスのコレーズ県にあったキリスト教シトー会のオバジーヌ修道院で10代の大半を過ごしたと言われている。新たに生まれた〈ラ パウザ〉は、この修道院の厳かな美しさを再現した邸宅だった。宝石デザイナーのフルコ・ディ・ヴェルドゥーラが、「あれだけのお金をかけておきながら、そう見せない建物にするとは、なんという天才だろうか」と評している。

 今年3月、シャネル アート カルチャー&ヘリテージ部門代表​のヤナ・ピール(50歳)は、修復を終えたばかりの〈ラ パウザ〉を訪れた。ピールは、この邸宅に漂う「大胆なラグジュアリーの精神」を強調する 。単色でまとめられた配色、装飾のないまっさらな壁、そして18世紀の燭台や鋼鉄に金箔を施したシャンデリアなど希少なバロック風装飾が、その精神を体現している。三階建て、約1,400㎡の広さがあるが、「パレイシャル(宮殿のような)というより、パラディアン様式というほうが近いと思います」(註:16世紀のイタリアで確立した建築様式。調和や対称性を重視した端整な美しさが特徴)。芝生に正方形の石板を格子状に配した中庭は、シャネルのキルティングレザーのハンドバッグを思わせる造りだ。大広間は、窓が片側に5つずつ(のちに代表的な香水のネーミングに使うことになる数字を、ココ・シャネル自身が指定した)。その広間からつながる重厚な階段を上がって西側には女主人の寝室と、長年のパートナーだったウェストミンスター公爵の寝室。東側には客室3つと、使用人部屋だった部屋がある。設計を手がけた建築家ストレイツは当初、階段をふたつ左右対称で作ることを計画していたが、ココ・シャネルがひとつにするよう求めたという。白い漆喰の壁が曲線を描く階段は、オバジーヌ修道院の雰囲気を再現したものだ。シャネルは現在、この修道院の修復にも協力している。「興味深いですよね」と語るのは、ニューヨークを拠点とする建築家ピーター・マリノ(75歳)だ。30年以上にわたりシャネルのブティック設計を手がけている彼が、5年ほど前、この〈ラ パウザ〉の修復計画をスタートさせた。「やっとお金に困らないようになり、人生で初めて自分の家を建てられるとなったときに、自分が育った原点に回帰したわけですから」

画像: 書斎。17世紀のオーク材のテーブルを再現した家具、19世紀のイタリアのウォールナットデスク、陶芸家オーギュスト・デラヘルシュによる炻器のベースランプ。

書斎。17世紀のオーク材のテーブルを再現した家具、19世紀のイタリアのウォールナットデスク、陶芸家オーギュスト・デラヘルシュによる炻器のベースランプ。

 彼女と同時代の上流階級は豪華な舞踏会を開いていたが、ジャージー生地や女性のパンツスタイルで当時の窮屈な衣服に逆らっていたココ・シャネルは違った。〈ラ パウザ〉は、建築様式が近隣と異なっていただけでなく、そこで開かれる催しも独特だったのだ。正式なディナーの作法を無視して、ビュッフェ形式を好んでいた。ある記事が〈ラ パウザ〉のパーティの自由さを、「服を着るのも着ないのも自分で決めていいほど」と表現したことがある。 ダンスも形式ばらず、踊りたくなったら自然に踊った。また、芸術家たちを長く滞在させることで――サルバドール・ダリは妻のガラとともに、この邸宅に4カ月間も滞在し創作活動を行なった――今日でいう「アーティスト・レジデンシー」(註:「アーティスト・イン・レジデンス」ともいう)の活動を、時代に先駆けて彼女なりに始めていた。
 今年9月に刊行予定の書籍『La Pausa: The Ideal Mediterranean Villa of Gabrielle Chanel』に、1枚の紙の写しが掲載されている。ダリのほか、フランスの詩人ピエール・ルヴェルディ、イタリアの映画監督ルキノ・ヴィスコンティらのサインやスケッチが寄せ書きされた紙だ。彼らはみな1938年4月に〈ラ パウザ〉に客人として滞在していた。ダリが舞台や衣装のデザインを手がけ、レオニード・マシーンの振付で1939年に上演されることとなるバレエ『バッカナール』のために、ココ・シャネルが協力する計画を進めていたのもこの時期だ(彼女は以前にも、ジャン・コクトーによる1922年の舞台『アンティゴネ』や、その二年後にセルゲイ・ディアギレフ が率いる〈バレエ・リュス〉が上演した『ル・トラン・ブルー(青列車)』 の衣装を手がけた)。しかしその後、第二次世界大戦が勃発。大戦が始まってからは、彼女は〈ラ パウザ〉をほとんど訪れていない。

画像: 大広間には、ココ・シャネル時代の鋼鉄製シャンデリア、革とウォルナット材に金箔を施した17世紀の椅子、ベネチアの鏡がある。

大広間には、ココ・シャネル時代の鋼鉄製シャンデリア、革とウォルナット材に金箔を施した17世紀の椅子、ベネチアの鏡がある。

 スイスに10年ほど滞在し、1953年にパリに戻ったとき、邸宅を家具もすべて含めて売却した。「あれはもう、私の過去の一部です。戻りたいとは思いません」。買い取ったのはハンガリー出身の出版人兼文芸エージェントのエメリー・リーブスとその妻でアメリカ人のウェンディ・リーブスだ。ウェンディはのちに慈善活動家になり、邸宅を2007年にダラス美術館に遺贈。さらにダラス美術館からシャネルへと譲られた。それが今から10年前で、このたびの修復に至ったのである。 リーブス夫妻はココ・シャネルの家具をほぼそのまま残しており、構造的変更は加えなかったのだが、修復を手がけた建築家マリノは初めてこの邸宅を訪れた際、「テキサスの金持ち家族に住み心地のよい家」のようだと感じたという(ヤナ・ピールはもっとあけすけに、「バスルームの床がピンクのカーペットだったんですよ」と語っている)。
 修復では、空調設備や配管・電気配線の一新など、いくつか現代の基準にあわせた改修を入れたものの、基本的には〈ラ パウザ〉を1935年当時の輝かしい姿に戻すことを目指した(「修復というのは、書斎を1936年風にして、居間を1942年風にして、というわけにはいかないんです」とマリノは言う。彼にとってしっくりくるのは1935年に揃えることだった。内装は「戦争中に大きく変わってしまった」ため、「それを反映したくはありませんでした」)。まず、一階の書斎と居間の壁を覆うオーク材のパネルは、そのほとんどを修復・再利用した。メインのバスルームでは床から天井までの鏡を設置し直し、視界が無限に続くかのような効果を生み出している。当時の写真も多く残っているが、主に白黒写真なので、一部の色使いはマリノとシャネルのアーカイブチームで推測するしかなかった。「彼女のベッドのヘッドボードがどれくらいの金色だったのか、いくらかあやふやでした」とマリノ。レヴェス夫妻が使わなかったココ・シャネル時代の家具(ベッドルームの調度品など)は地下室に保管され、その後に売却されていたので、シャネル遺産管理部門がオークションやアンティーク店などから多くを買い戻した。戻らなかったものはマリノが忠実に再現を試みた。

画像: ココ・シャネルの寝室。金箔を施した錬鉄のベネチア製ベットは彼女が使っていたもの。彫刻家アルベルト・ジャコメッティのブロンズのランプ、イランの都市ケルマーンで作られたアンティークの絨毯。

ココ・シャネルの寝室。金箔を施した錬鉄のベネチア製ベットは彼女が使っていたもの。彫刻家アルベルト・ジャコメッティのブロンズのランプ、イランの都市ケルマーンで作られたアンティークの絨毯。

 現在の〈ラ パウザ〉に満ちる静謐さは、ココ・シャネルが語ったエレガンスの定義を思い起こさせる。「ファッションはドレスだけに存在するものではありません」と彼女は言った。「ファッションは空気の中にあり、風に運ばれるものです。感じとり、呼吸することができるもの。空にも、道路にも、どこにでもあるのです」。
 そして今、〈ラ パウザ〉にエレガンスが戻ってきた。「過去の断片から未来を作りたいのです」と語るピールは、芸術が育まれアイデアが共有される場所としても、この邸宅に再び息吹を与えたいと考えている。今年11月には、「自分の力で切り拓いてきたきた女性」というテーマで、作家たちが集う一週間のリトリートの開催を予定している。それまでは、この〈ラ パウザ〉を世界にあらためて披露していく方法について、まだいろいろと思案中だ。新たに置かれたスタインウェイのピアノを示しながら、かつてココ・シャネルが開いたような芸術家たち主導の祝宴のような、夢のパーティの案を説明してみせた。床に敷いたラグをどけて、またここで人々がダンスをする日が来るのも、きっとそう遠くないとピールは期待している。

画像: <ラ パウザ>から、イタリアとの国境沿いの街マントンを望む

<ラ パウザ>から、イタリアとの国境沿いの街マントンを望む

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