音がなくても、音楽はそこにある。メロディはうねり、リズムは刻まれ、躍動する。音楽の根源とは何か――。エル・システマの「東京ホワイトハンドコーラス」を通じて、作家・光野桃が探る

BY MOMO MITSUNO, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI

 ひとは、きっと音楽を宿して生まれてくるのだろう。その肉体で、感情で、本能で、いやどんな形であろうとも、リズムを刻み、メロディを奏でることができるのだ。

画像: ILLUSTRATION BY MOMOYO HAYAKAWA

ILLUSTRATION BY MOMOYO HAYAKAWA

 子どもたちの動きを観ながら、これは人間の原初の「表現」であり、生きる力そのものの表出なのではないか、と思った。大人も子どもも健常者にも、五感と想像力を抑圧して命を弱らせているすべての現代人に有効なはずだ、と。
 そして、名著『音はなぜ癒すのか』の著者、故ミッチェル・ゲイナー博士の「人類の祖先は音が生命力の本質そのものであると直観的に認識し、その認識を創造神話のなかに織りこんできた」という言葉が思い出された。アメノウズメノミコトの舞も、ホピ族の蜘蛛女の歌も、鶏鳴も、よき音は「命の息」として闇を祓い、洞窟の奥深くに隠れた光を世界に連れ戻すのだ。

 最後に、子どもたちは実際のところどのくらい聴こえているのですか、と質問をした。コロンさんの答えはこうだ。聴覚のレベルは子どもによってさまざまなので、そのことをあまり気にせず、伝えるべきことを伝えることに集中している、ひとりひとりがそれぞれ「どう聴こうとしているか」、それを大切に考えている、と。
 どう聴くか、何を聴くか――それはわたしたちすべてに今、問われていることでもあるだろう。まど・みちおの1篇の詩にその答えのひとつがあるような気がして、ここに記したい。

おんがく

詩 まど・みちお

かみさまだったら
みえるのかしら
みみを ふさいで
おんがくを ながめていたい
目もつぶって 花のかおりへのように
おんがくに かお よせていたい
口にふくんで まっていたい
シャーベットのようにひろがってくるのを
そして ほほずりしていたい
そのむねに だかれて

JASRAC出1712795-701135

 

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