音がなくても、音楽はそこにある。メロディはうねり、リズムは刻まれ、躍動する。音楽の根源とは何か――。エル・システマの「東京ホワイトハンドコーラス」を通じて、作家・光野桃が探る

BY MOMO MITSUNO, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI

 ホワイトハンドコーラスは、子どもたちが歌詞の意味やイメージを理解していく過程のなかで、どんな手の表現にするかをそれぞれが熟考しながら創りあげていくところに特徴がある。わたしたちはふだん、あいまいなイメージしかなくても適当に言葉を発してしまうが、手歌は、その意味やイメージが明確になっていないと指一本も動かすことができない。そのため、ひとつひとつの歌詞をどのように感じ、表現するか、全員が納得するまで話し合う。

 ここではどの子どもも、その発言に全力で耳を傾けてもらえる。壁がない。いい子である必要もない。素のままの自分を思いきりぶつけることができる場なのだ。そして同時に、舞台人としての心得も学ぶことができる。「お客さんはね、みんながこの月を、どんなふうに感じて、思っているのか、知りたいから観に来るの。2,000人のお客さまに、どんなお月さまを見せるか、みんな自分でよく考えてみて」とコロンさん。そして、舞台は一回きりの勝負であり、二度と同じものはできない、一回で消え去るものだからこそ価値がある、と丁寧に話していく。詩の哲学的な言葉や英語の歌詞も、コロンさんはごく自然に教え、子どもたちも言葉のリズムや速度、意味をきちんと受け止める。

画像: 休憩時間。先生を囲んで手で、瞳で、笑顔でたくさんおしゃべり

休憩時間。先生を囲んで手で、瞳で、笑顔でたくさんおしゃべり

 YouTubeやDVDで観た本国ベネズエラのユース・オーケストラの稽古にも、そんな場面がいくつもあった。初歩から交響曲を練習してしまう子どものヴァイオリンクラス。今や世界的指揮者となったエル・システマ出身のグスターボ・ドゥダメルのマスタークラスでは、彼が身ぶり手ぶりを交えて歌いながら、男女の愛にたとえて曲調を解説すると、子どもたちの目がキラキラと輝き出す。

 子どもを子ども扱いしない。子どもの尊厳が守られている。かといって大人扱いということでもない。丁寧に忍耐強く、大きな包容力のなかで子どもの個性を尊重し、その可能性を伸ばそうという指導者たちの強い意志が見える。

 稽古の最後に、見学している保護者やわたしたちに向かって全員が立ち、この日に練習した3曲を披露してくれた。
 小3の美紗生ちゃんは手から顔まで全身を使って表現する。その色彩の豊かさは、まるで花のなかで踊るプリンセスみたいだ。弟で健聴の優甫君は大人びた表情で正確に手を動かし、花音ちゃんは指先までやわらかく神経が行き届いている。大きい子たちは安定の揃いぶり。雄貴君と一緒に歌うお母さんは、一瞬、ひとりの女性として、ハッとするほどきれいな表情を見せる。そんなとき、雄貴君も楽しそうに手を動かしている。

画像: たまごから生まれ出たばかりの鳥の喜びの表現を考えているところ。美紗生ちゃん(右からふたりめ)は公演のあと記者たちに感想を聞かれて「言葉が違っても、障がいのあるなしも関係なく、一緒に何かをつくったり、仲よくなれるということがわかりました。私はそれを自分でもみんなに伝えていきたい」と手話で元気いっぱいに語った

たまごから生まれ出たばかりの鳥の喜びの表現を考えているところ。美紗生ちゃん(右からふたりめ)は公演のあと記者たちに感想を聞かれて「言葉が違っても、障がいのあるなしも関係なく、一緒に何かをつくったり、仲よくなれるということがわかりました。私はそれを自分でもみんなに伝えていきたい」と手話で元気いっぱいに語った

 

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