BY SHOUKO FUJISAKI, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO
日本を代表するジャズピアニスト大西順子。人気も、掛け値なしの実力もある。そう評価されながら、自らはプロの演奏家としての資質に幾度も疑問を抱き、シーンから長く姿を消してきた。そんな大西がデビュー25年目の昨年11月、2枚のアルバムを同時発表して本格的な復帰を果たした。
リリースされたのは、オリジナル曲が中心のトリオ作品『GLAMOROUS LIFE』と、バラード曲を集めた『VERY SPECIAL』。2枚同時というのも驚きだったが、とりわけバラードアルバムに驚かされた。ジャケットには愛犬・銀次郎(本宮ひろ志の漫画に由来)を抱いた晴れやかな笑顔。これまでの作品にはなかった明るさだ。それに、バラードにはずっと慎重な姿勢だったのでは――?
ここに至るまでの、彼女の心境の変化を聞いた。
1990年代初め、米国バークリー音楽大学で学んだ新鋭が続々と帰国し、日本のジャズシーンをにぎわせていた。都内の小さなライブハウスで初めて大西の演奏を聞いたときの驚きを覚えている。底光りのするような、重心の低い骨太なグルーヴ。古いレコードに宿るビバップ全盛期の黒人ミュージシャンたちが醸し出す〝黒いジャズ〟の魔力がそこにあった。女性が弾くジャズといえば、もちろん例外はあるものの、左手がちょっと頼りなくて線が細いものとタカをくくっていたが、彼女の演奏は次元が違った。
音大卒業後にベティ・カーターやジョー・ヘンダーソンとのツアーやミンガス・ビッグ・バンドで腕を磨き、ニューヨークで地歩を築きつつあるピアニストであったことを、後で知った。「多感な年頃のときに、50年代、60年代のジャズシーンを作っていた人たちと仕事をし、揉まれたことがわたしの宝物」と大西は言う。
けして大柄ではない身体をどうジャズに生かすか、試行錯誤も重ねた。
「左手は集中的に練習しました。昔のスタイルのジャズには必ずしもベースが入らないので、低音やリズムもピアノが兼ねる。ただ、左を鍛えると結果として右も強くなる。そのバランスが難しいところです。もともとピアノは男の人の楽器だと思う。オスカー・ピーターソンのように『ド』からオクターブ上の『ソ』まで届くような体格の人に有利にできていて、彼らがジャズ演奏のファッションを作り上げてきた。私が鍵盤を全部使うには重心移動も必要。個体差に応じた座り方や肩の使い方は、自分で見つけていくしかないんです」
若さと美貌も備わった大西のデビューアルバム『WOW』は93年にブルーノートの姉妹レーベルから発売され、大評判を呼んだ。ニューヨークの名門クラブや大型ジャズフェスにバンドリーダーとして出演し、新譜も次々と発表、はた目には順風満帆だったが「仕事がどんどん来て、若干タレント化されて……。わかりやすく髪を振り乱して熱演すると、たしかに盛り上がる。でも、もっと細かく細かく、積み重なってきたジャズの歴史を改めてミクロで勉強しなければ行き詰まると思いました」
2000年、大西は黙って表舞台から姿を消した。