BY MARI SHIMIZU
歌舞伎座で上演中の「三谷かぶき『月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと)風雲児たち』」は松本幸四郎さん主演の新作歌舞伎だ。だが、幸四郎さんには、この作品をとりたてて歌舞伎にしようという意識はないのだという。
「三谷さんとすごい芝居をつくりたいという思いだけです」
幸四郎さんが三谷幸喜作・演出の「PARCO歌舞伎『決闘! 高田馬場』」で主人公を演じたのは2006年。それは幸四郎さんの熱烈なオファーにより実現した舞台で、その折に約束を交わした次回作がようやく実現したというわけだ。そもそも幸四郎さんは三谷作品のどこに惚れ込んだのだろうか。
「テンポのいい会話とユーモアのセンス、それから人間味ある登場人物たちに魅力を感じます。超人的なヒーローとは正反対の、自分自身に置き換えて共感できる人たちの物語になっているところです。逆に言えば、歌舞伎ではそういう作品が珍しいということなのかもしれません」
現在、演じている大黒屋光太夫もまさにそんなキャラクターだ。江戸時代に実在した光太夫は、船で伊勢から江戸に向かう途中に暴風雨に見舞われアリューシャン列島に漂着。その後、ロシアの地を転々としながら10年の時を経て日本に帰国した人物で、この舞台は歴史漫画『風雲児たち』(みなもと太郎作)を原作としている。
物語は、光太夫を船頭(ふながしら)とする商船神昌丸が、嵐で帆を失い大海原を漂流しているところから始まる。乗組員17人は年齢も性格もばらばらで、漂流生活で健康を損なっている者もいる。時にぶつかりながらもわずかな食糧を分けあい、ひたすら陸地を探し求めた結果、一行は八か月後にようやく見知らぬ土地に上陸する。
そこはロシア。極寒に耐えながら、言葉の通じない異文化の土地での暮らしが始まった。海上からここに至るまでに、仲間はひとりまたひとりと命を落としている。帰国の許可が得られる場所を求めて、光太夫はさらに奥地へ進むことを決意する。
「原作を読まれた三谷さんはこれを歌舞伎で観たい!と思われたそうで、乗組員個々の人格、人生が描き込まれた物語は、群像劇として非常に魅力的です。光太夫の成長に焦点を当てたところに三谷さんのオリジナリティーがあります」
三幕構成の物語のうち、登場したばかりの光太夫は何とも頼りない性格。ところが、洋上で仲間を失いながら困難に立ち向かっていくうちに、次第にリーダーシップを発揮していくのである。ようやく上陸した地で見つけたかすかな希望が絶たれる場面。幸四郎さんが放つせりふに稽古場が静まり返った。それはまさに等身大の人間の心の叫びだ。
「大切なのは(観客と)何を共有し、どうすれば共感してもらえるかを考えていくこと。忘れてならないのは、歌舞伎は演劇であるということです。ただそこにたまたま歴史があるだけで。新作だからといって特別なことはありません。今まで通りのことをやり、演劇としていかに見せるかです」