BY MARI SHIMIZU
その「歴史」によって育まれた「今まで通り」が、あまりにさりげなくそして深い。この作品にも、演者のちょっとした所作やせりふの間合い、たたずまいそのものに、歌舞伎を感じる刹那がある。稽古場では、三味線や鳴り物などの邦楽器による音楽、歌舞伎独自の効果音であるツケなどが、演者と奏者の手短かな会話で即座に決まっていく。蓄積されたノウハウの応用で、台本上の物語はみるみる三次元に立ち上がっていくのだ。当たり前の話だが、古典となった作品も最初はこうした道程を経ているのである。
「いつの時代もいろいろなエンターテインメントが誕生し、技術を含めその影響を受けた歌舞伎が生まれています。そしていいものは洗練され古典の傑作となる。そういうことです」

『月光露針路日本』大黒屋光太夫=松本幸四郎
PHOTOGRAPH BY KATSU NAGAISHI
幸四郎さんはこれまでにも、埋もれていた作品の復活や数々の新作歌舞伎に取り組んできた。製作の現場において「どれだけ稽古場で苦しむことができるか」を信条に、より良い方法をギリギリまで追求する姿勢は常に同じだが、方向性においては変わった部分があるという。「20代のころは、それまで誰もやっていない新しいことをやろうという思いが強くありました。その時にしかできないことを考えていたのですが、今は新たに生まれるその作品を一生やり続ける覚悟がなければ!と思うようになりました」
それは古典になり得る、傑作をつくるということ。新しい、誰もやっていないことを思いついたつもりでも、歌舞伎の歴史を紐解いていくとすでに誰かがやっていた……。そんな経験を経ての路線変更だった。
近年で目立つのは、演劇という枠に収まらないチャレンジだ。最新の映像技術を融合させた『鯉つかみ』を、ラスベガスのベラージオの噴水で上演したのは2015年。大喝采を浴びたその内容は、まさに光と水の歌舞伎エンターテイメントと呼ぶにふさわしいものだった。
「自分にとってあの公演は歌舞伎にはこういう表現の仕方があるのだということを、世界中の方に知ってもらいたいという願いの現れなんです。日本にミュージカルやオペラがあるように、海外にも演出のひとつとして歌舞伎というジャンルがあってもいい。というより存在してほしいんです。なぜなら歌舞伎にはそれだけの力があると思うから」
国境を越えた思いは、さらにスポーツ界にも波及する。2017年には『氷艶 hyoen2017ー 破沙羅 ー』で、荒川静香、高橋大輔といった一流スケーターたちと幸四郎さんを始めとする歌舞伎俳優が競演した。
「アイススケートショーに歌舞伎演出という選択肢があったらいい、そう思ったんです。さぁーと滑っていた人がパッと止まって見得をしたらカッコイイじゃないですか」
至ってシンプル、その衝動的な発想こそがすべての源なのだ。
「こんなことがあったらおもしろいだろうな、自分が見たいな、と思ったものをつくる。ただそれだけのことです」

『月光露針路日本』
(左から)
小市=市川男女蔵、九右衛門=坂東彌十郎、大黒屋光太夫=松本幸四郎、新蔵=片岡愛之助、磯吉=市川染五郎、庄蔵=市川猿之助
PHOTOGRAPHS: © SHOCHIKU
その信念をひたすら貫き続けて来た幸四郎さんに、改めて『月光露針路日本』で演じている光太夫に共感する部分を尋ねてみた。「常に立ち止まらず前を向いて進み、日本に帰るんだという思いで10年ブレずに生き続けた強さです。自分についてこいというタイプの人間ではない光太夫が、どう成長し、どう変わっていったのか、そこを大事に演じていきたいと思います」
技術だけにとどまらない、幸四郎さんがこれまでの歩みのなかで得た蓄積が舞台上の人物に投影されている。