BY MICHIKO OTANI, PHOTOGRAPHS BY YUSUKE ABE
まだ発表されていない、真新しい交響曲の楽譜が目の前にある。タイトルは「いま時間が傾いて」。作曲者は坂本龍一。本来なら、3月下旬に東京と福島で開催する演奏会で初演の予定だった。
演奏するのは、岩手、宮城、福島の東北3県出身の小学4年生から大学生までの若き音楽家たち。坂本自身が音楽監督を務める「東北ユースオーケストラ」に向けて書かれた曲である。
2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた東北3県、そこで暮らす子どもたちで編成されたオーケストラ。’13年、坂本がミュージック・ディレクターを務めた国際的音楽祭『Lucerne Festival ARKNOVA 松島 2013』ではじめて演奏を披露し、’16年からは毎年3月に定期演奏会を東京と東北各地で開催している。もっとも若い団員は10歳で、最年長は大学4年生。これだけ年齢層の広い編成は、国内外を通じても稀有な例に違いない。
昨年12月、定期演奏会に向けての練習が行われる福島市のホールを訪ねた。目の当たりにすると、そのユニークさがよくわかる。普段着の子どもたちは、楽器を携えていなければ親戚の集いのようにくつろいで見える。あちこちで明るい談笑の声が弾け、その輪の中に、坂本も自然に溶け込んでいる。
「学校のオーケストラや、地域での演奏活動に加わっている子どもたちもたくさんいますが、彼らに言わせると、こんなに上下関係のない集まりは珍しいそうですよ。編成当初から小学生と大学生が“タメ口”を利いて、休み時間には一緒にごはんを食べていたりする。普段は子どもなりに大人や先輩に気を遣っている彼らが、ここに来ると自由闊達。とてもいいことだと思いますね」
午前中は、英国を拠点に活躍する作曲家・藤倉 大によるワークショップ。「昔の音を出してみよう」「新しい音を」「ブルーな音を」と課題を投げかけると、子どもたちがそれに応えて音を生み出す。闊達なやりとりは、音楽を楽しむ者同士のコミュニケーションそのもの。もともと被災した東北3県の学校への楽器再生支援から始まった東北ユースオーケストラだから、クリエーションに触れる機会を提供するのもひとつの側面であるのだろう。
昼食を挟んで午後になり、定期演奏会と、その前に行われる熊本での演奏会に向けた練習が始まった。定位置につく団員たち。坂本もピアノの前に座る。指揮者・栁澤寿男がタクトを振ると、「Merry Christmas Mr. Lawrence」がゆったりと流れ出した。
音楽ホールの客席ではなく、団員たちと同じ場に立って聴くのは、海流の中に足を浸しているような気分だ。清らかで、心地いい波動が足もとから体全体に伝わる。そして、ふと思い出す。演奏する彼らの故郷を、住まいや学び舎を、かつて冷たい流れが襲ったことを。「音楽は時間芸術。以前から時間についてよく考えている」と坂本。
震災当時はまだ幼かった団員たちにとっても、被災の記憶はいまだ鮮烈だ。宮城県気仙沼市出身で、小学3年生のときに被災したパーカッションの三浦瑞穂は、自宅の隣から海側すべての建物が、津波に流された。「知っている建物が泥水と一緒に流れていくのを見て、これは夢なんじゃないかと思って……。そのときのことを思い出すと、今でも手足に震えが出ます」
原発事故の被害で、生まれ育った自宅を離れた団員もいる。セカンドヴァイオリンを担当する高校2年の三浦千奈は、福島市から母方の実家のある熊本へ母子避難。4年間を過ごしたその場所も、’16年に地震にみまわれた。母の暁子は、それゆえ、この練習のあとに行われる熊本公演を楽しみにしていると語った。「最初の演奏会では『こんな立派なホールで、坂本監督や吉永小百合さん(女優・定期演奏会にたびたび詩の朗読で参加)と同じステージに立っているなんて!』と感動しました。今度も楽しんでくれればいいなと思います」
「Kizuna world」では、坂本がタクトを振り、指導を行った。震災をモチーフに坂本が書いたメロディに、団員たちひとりひとりと息を合わせ、命を吹き込んでいく作業が丁寧に続けられる。その様子を見守る東北ユースオーケストラ事務局の田中宏和は、「音楽でよかったなと皆が言いますね」と語った。
「団員はひとりひとりさまざまな体験をしていますが、それを言葉で述べるのではなく、音のもつ芸術性で知ってもらえたらいいと思いますね。3.11があった、そこから生まれたオーケストラなんだということだけを大事にしていけたらと。偶然の出来事から何を生み出すかが生きている面白さだと思うし、それを失うのは、自由を失うことと同じなので」
練習を終えた坂本に、手応えを問う。すると、「子どもならではの馬鹿力っていうのが、あるんですよね」と笑顔を見せた。「本番直前には毎回、合宿をするんですが、そのときには『これ、本番に止まっちゃうんじゃないか』と思うくらいヒヤヒヤする。それでも、本番になったらすごく立派に演奏するので、驚いたりホッとしたり……。ほとんど毎回、そうなんですよ」
通算5回目となる3月の定期演奏会には、スペシャルな企画が用意されていた。2016年の熊本地震、’17年の九州北部豪雨、’18年の西日本豪雨と北海道胆いぶり振東部地震で甚大な被害を受けた地域から合唱への参加を募り、ベートーヴェンの「第九」を東北ユースオーケストラとともに演奏。被災地を音でつなぐ試みだ。
「災害をきっかけに生まれたオーケストラとして、毎年のように起こる大きな災害の被災地の方々と、何かやれることはないだろうかと……。なぜ、今、第九なのか? その意味は、僕が言葉を費やさなくても、さらに幅広い年齢層の人たちと一緒に音楽をやって、浴びるように音を体験することで、きっと彼ら自身が感じ取ってくれると思います」
そして、もうひとつの企画は、坂本龍一作の新曲が初演されること。この日は耳にすることができなかったが、震災から9年の年にあらためて慰霊の祈りを込めて作曲される新曲は「ある種の風景を共有している、東北ユースオーケストラの子どもたちだから演奏できる音色になると思う」と語った。
「その音色が何色なのか……はっきりと見えるわけではないけれど、やっぱり、今のような季節の東北の冬の空の色、というか。少し曇った、グレーのとてもきれいな色調の空のようなものを、僕はイメージしていますが」
それから3カ月後、東京都心のホテルの一室で、再び坂本に会った。
年明けから世界をじわじわと侵食した新型コロナウイルスの被害は、2月、3月と時を経て日本国内に広がり、多くのコンサートやステージが公演中止を余儀なくされた。東北ユースオーケストラの定期演奏会も、東京、福島の両公演が中止。東京の空には、練習の日とは対照的な快晴が広がっていた。
「こうしてガラス窓で遮断されているけれど、昔の人は石を積み上げて城壁を築いて都市を形作ったわけですよね。それは、人間がコントロールできない自然や、他者に対する恐怖からくるもの。でも、どんなに守りを厚くしても、自然の力は圧倒的に強い。津波もそうだし、ウイルスも、平気で壁を飛び越えて、国や人種も関係なく人に襲いかかる」
新曲につけられた「いま時間が傾いて」という謎めいたタイトルは、ドイツの詩人・リルケの『時祷詩集』に収められた詩の一節から採ったという。時間が傾いて私に触れる、私の感覚が震える――詩に綴られた状況は、まさに今、日本で、世界中で、生きている誰もが感じていることのように思える。そしてきっと、あの震災の直後も。
「震災にしろ、今回のような感染症の蔓延にしろ、人間の歴史を見れば、常にそういうことが起こっていますよね。だからこのことは、3.11同様、自然というものを考えるひとつのきっかけになるんじゃないかと、僕は思っています。人間だけは違うんだという錯覚に陥っているかもしれませんが、自分も含めて誰もが自然の一部であるということを」
しかし、リルケの詩は、こんなふうに続く。私は感じる、私にはできると――。未曾有の大震災を乗り越え、志をもった大人たちと子どもたちが東北ユースオーケストラに集ったように、子どもたちもまた、この事態を受け、おのおのが確かに心を動かし始めている。
震災で福島と熊本というふたつのルーツをもった三浦千奈は、LINEグループのメッセージで演奏会の中止を知った。「ほかの被災地の方と一緒に演奏ができる機会だったので、残念です。でも、昨年の12月の熊本公演では、向こうのユースの方と一緒に演奏ができてうれしかった」。得られた縁は大切にしていきたい、と語った彼女は、進学する先に熊本の大学も考え始めているという。
パーカッションを担当していた高校3年生の塘 英純(つつみ えいじゅん)は、この春から東京藝術大学音楽学部作曲科へ進学する。坂本の後輩となる彼は「現代音楽の魅力を伝えられるような曲を書きたい」と語り、来期以降も東北ユースオーケストラへの参加の意思を示した。
東北ユースオーケストラ第5期のキャプテンを務める、ホルンの田嶋詩織。音楽大学に在学中の彼女は、「普通にできていた演奏会に出られなくなった今、自分に何ができるんだろう? と考えさせられています」と、複雑な胸の内を明かした。
「でも、今は練習するしかない。そして、本もたくさん読みたいです。そうして来年、震災から10年目になる節目の年に、今自分たちはここまで来れたよ、という成果を、それぞれが見せられたらいいのかな、と」
時間は単に刻々と過ぎ去ってしまうのか? 常々、坂本はそんな疑問を抱いていたという。しかし、人にとって、とくに若い日々を過ごす人々にとって、時は傾き、また離れることを繰り返しながら、確実に彼らを前へ前へと運んでいるようにも思える。そしてまた音楽も、芸術も、きっと同じままではいられない。
「3.11のあとにも感じましたが、水や食料、医療を得られたあと、非常に抑圧された状況でいる人間にとっては、砂漠のひとしずくの水のように、音楽や文学が潤いをもたらすんだろうと。だから人類は、一度も途切れずにアートを生み出しつづけてきたんでしょう。
震災から10年がすぎて、東北ユースオーケストラがなぜあるのか? とこの先問われたとき、『東北だから』『災害があったから』ということは、もう通用しない。何が通用するかというと、やはり音楽性でしょう。このオーケストラの音、演奏する音楽に存在意義があるものになるよう、毎年のように少しずつ新しい曲に挑戦して、より強く高めていくことが、僕の役割だと思っています」