BY JUN ISHIDA
何も起こらない風景を撮る意味
『あらゆるところに同時いる―アフォーダンスの幾何学』の著者である佐々木(正人)さんは、アフォーダンス(生態心理学)の研究者です。アフォーダンスとは何かというと、例えば地下鉄を降りてこの場所に来るまでに、自分の意思で歩いてきた、と思いますよね。それはそうなんですけれど、実際には床のコンクリートの固さや照明の明るさを感じながら歩いていて、ここまでの道が土だったり真っ暗だったりしたら全く違う歩き方をしているわけです。自分で考えて行動しているようでいて、実際は周りの環境に影響を受けて動物は行動しているというのがアフォーダンスの基本概念で、自分の写真に通じるところがあるように思います。
緊急事態宣言下で撮った写真もまた、その状況がもたらした環境の影響を受けています。以前は、都市にたくさんの人がいて、その中に自分がいて、都市という環境に影響を受けている人々や物事を撮っていましたが、自粛期間は人もいないし光も違います。僕自身は、撮影する際に、その場をコントロールするのでも、自分が無になろうとするのでもなく、状況に身を委ねようと思っています。偶然良い光が当たってくれていたり、被写体が何か面白いことをしてくれたら良い写真になるんじゃないかな。自分はあくまで環境のなかにある一つの要素でしかないわけだから、そこで自分、自分と言っても仕方ないですよね(笑)。
自粛期間中は、猛烈に“写欲”が湧きました。普段はそんなにカメラを持ち歩かないのですけれど、写真を撮ることは、自分の中では「要」だったのでしょうね。とはいえ、撮ったのはいつもと同じ街の景色だったり子供だったりするわけです。何が起ころうが起こるまいがただただ風景を撮るというのが自分の仕事だと思います。決定的瞬間ではなく、なんでもないつまらないものを撮り続けるのがいいんだと改めて思いました。
「近所の風景を撮って、何かわかりましたか?」と聞かれたことがありましたが、そこに意味があることは分かったけれど、かといってそれをすぐカギ括弧の「表現」とすることにも気をつけなければいけないと思っています。2年後にはその意味が分かるかもしれないし、あるいは結局意味はなかったということでも良いと思うんですよね。自分が、この状況下で不要なものを撮ったということが一番重要なんです。
コロナ禍がもたらした変化
コロナ禍になって逆に良かったと思うのは、地球の環境はもう元には戻らないと言われていたけれど、約1カ月にわたって人間が活動を止めたら自然が少なからず元に戻るということが実証された点ではないでしょうか? 人間は、自然をコントロールしようとしてきましたが、地球の中で一番害のある存在は人間です。新型コロナの出現により、人間にはコントロールできないものがあることが証明されましたが、まだ人々はコントロールしようとしています。ワクチンが出来ればウイルスを無くすことが出来ると思っている人々がたくさんいますが、ゼロになることはない。イタチごっこであって、自然はコントロールできないと思うのです。
もう一つ良かったと思ったのは、自粛期間中に花屋がずっと開いていたことですね。花を買った人も多かったと思います。すごく忙しくて毎日働いていて、花屋の存在なんて忘れていた人が、もし花を一輪でも買ったとしたら、それだけでも良かったなと思いますね。
僕自身にコロナ禍が何かしらの変化をもたらしたかといえば、あるとは思いますが、今わかりやすい言葉で説明したところで、陳腐な言葉になってしまうから……。自分の中で忘れないようにしたいというか、ちょっとでも長持ちさせたいなあと思いますね。こんな経験、なかなかありませんから。