「一番好きな料理はイタリアン。お菓子は、あんこよりも断然クリーム派。趣味は「旅」でも、国内旅行は仕事で訪れる撮影ロケ地くらいの経験値。日本の伝統文化や和の作法に触れないまま、マチュアな年齢となってしまった私ですが、この度、奈良の煎茶道美風流に入門させていただくことになりました。」そんなファッション・ディレクター、菅野麻子さんが驚きと喜びに満ちた、日本文化「いろはにほへと」の学び路を綴る。連載第五回目は、お家元が「BIFU STYLE」と称する、年の瀬の茶事のお話です

BY ASAKO KANNO

 待ちわびていた2022年末のビッグイベントがやってきました。
弟子たちが集う、お家元主宰の「正餐の茶事」です。
この茶事は、入門さてせいただく前にインスタで拝見し、その鮮烈な光景に、ひとり憧れを抱いていた会でした。今年は、そこに自分も身をおかせていただけるというのですから、心踊らずにはいられません。

画像: 茶道具とともにセットされた、テーブルコーディネートが華やか。右奥に見える10枚の色紙をつなげたボードは、参加者みなで水墨画を描くために用意されたもの

茶道具とともにセットされた、テーブルコーディネートが華やか。右奥に見える10枚の色紙をつなげたボードは、参加者みなで水墨画を描くために用意されたもの

 何に惹かれていたかといえば、他には類をみないプログラムの素晴らしさです。まず、かつてオーナーシェフをされていたお家元が、その腕をふるってくださるフルコース料理。さらに、その昔はミュージシャンであった歌声に、耳を傾けることも叶うのです。お家元の人生の美学が凝縮した茶事は2日に分けられ、ひと晩10組限定。みなから、別名“ディナーショー”と称されているのも、うなずけますよね。

画像: 冬の森の中に迷い込んだかのようなしつらえが、とてもロマンティック。このセットでハイジュエリーの撮影してみたい、などなど、見ているだけでいろいろな妄想&インスピレーションが湧いてきます

冬の森の中に迷い込んだかのようなしつらえが、とてもロマンティック。このセットでハイジュエリーの撮影してみたい、などなど、見ているだけでいろいろな妄想&インスピレーションが湧いてきます

 会場に入ると、奈良の煎茶美風流本部が、お家元の手で華やかな晩餐会のしつらえに彩られています。このしつらえが本当に素晴らしく、長いテーブルのセンター部分には“冬の森”が再現されています。木々の枝には綿花の雪がつもり、冬枯れの木立の影には干支のうさぎや、愛嬌たっぷりのカエルのオブジェが身を潜めています。さらに目を凝らすと、エキゾチックな民族像や、お経をあげるお坊さんの姿も。この“格式高いファンタジー”は、個人的にはナンシー・エコーム・バーカートが描いた『グリム 白雪姫と七人の小人たち』のワンシーンを思い出してしまいます。お家元の意図とは全く違うと思いますが(!)、幼少期の憧れの絵本の世界が、大人になった今、日本版白雪姫として現実に現れたかのような、夢あふれる世界。胸が高鳴ります。

画像: 立ち昇る煙とお香のなか、お茶の注がれる音に耳を澄ます清閑なひととき

立ち昇る煙とお香のなか、お茶の注がれる音に耳を澄ます清閑なひととき

 みながテーブルにつくと、まずは、お家元がお茶を淹れてくださいます。茶葉は、お家元が運営する自然茶農園「瑞徳舎」で、自らお茶を摘み、製茶をした2022年一番の出来のものだそう。発酵した茶葉は、まるで花のように芳香で、奥行きの深いお味です。飲む人が、それぞれに体験した楽しい記憶がよみがえるような。

画像: 参加者が、色紙に松の葉をひとりずつ描き入れます。濃い葉、薄い葉、それぞれの個性が出て、松の表情も多様性に富んだものになりそうです。色紙は、現在では寄せ書きやサインを書く紙という印象が強いですが、本来は、詩歌や絵画を揮毫(毛筆で絵や文字をかくこと)するために使ったものだとか

参加者が、色紙に松の葉をひとりずつ描き入れます。濃い葉、薄い葉、それぞれの個性が出て、松の表情も多様性に富んだものになりそうです。色紙は、現在では寄せ書きやサインを書く紙という印象が強いですが、本来は、詩歌や絵画を揮毫(毛筆で絵や文字をかくこと)するために使ったものだとか

 そのあとは、煎茶道の楚となる文人趣味において、欠かすことのできない「水墨画」をみなで遊びます。揮毫(きごう)席というようで、今回は「松」が題材です。10枚の色紙を貼り付けたボードに、参加者全員が順番に松の葉を筆で描き、皆が描き終えたところで、水墨画家でもあるお家元が幹と枝を描き入れ、1本の風格ある松に完成させるのです。10枚の色紙は切り離され、茶事が終わったあとは、みな1枚ずつ頂いて持ち帰ることができるそう。松のどの部分が、たとう紙に入っているかは、開けてみてのお楽しみ。粋なお土産ですよね。

画像: みなで描いた様々な筆のタッチや濃度の松の葉を、お家元が1本の凛とした松の木に仕上げます。禅語に「松樹千年の翠」という言葉があるそうですが、移ろいやすい世の中にあって、不変の緑を保ち続ける松に、私たちは教えられることが多いかもしれないですね

みなで描いた様々な筆のタッチや濃度の松の葉を、お家元が1本の凛とした松の木に仕上げます。禅語に「松樹千年の翠」という言葉があるそうですが、移ろいやすい世の中にあって、不変の緑を保ち続ける松に、私たちは教えられることが多いかもしれないですね

  さて、待望のディナーは、シェフコートをまとったお家元の登場で幕を開けます。4代お家元を襲名する前は、15年ほど洋食の料理人をされていたというのですから、その多才な経歴に驚いてしまいます。お嬢様がいつも美味しい精進料理やお茶菓子を作ってくださるのも、自然と英才教育をうけて育たれたからだろうと腑に落ちます。前菜は、お家元とお嬢様の合作で、精進料理仕立ての繊細なお味。ところどころに、2023年の干支のうさぎが隠れていて眼福な一皿です。

画像: 前菜のひよこ豆としめじのテリーヌ 牛蒡の昆布出汁寄せ 季節の野菜添え

前菜のひよこ豆としめじのテリーヌ
牛蒡の昆布出汁寄せ 季節の野菜添え

 海の幸が凝縮されたコロッケは、丁寧に調理されたベシャメルソースに、貝柱や蟹の食感が絶妙に混ざり合い、少し酸味を残したトマトソースと品のよいハーモニーを奏でる絶品。思わず「おかわり」と言いたくなるような美味しさです。蕪のすり流しのスープは、焦がしきのこの香ばしい香りがアクセント。次なる一皿へ向けて、お口もフラットにしてくれる優しいお味です。

画像: ズワイガニと帆立の貝柱のベシャメルコロッケ

ズワイガニと帆立の貝柱のベシャメルコロッケ

 そして、魚料理は、皮はパリっと、白身はふっくらと仕上げられたスズキのポワレ。そこに、ほどよく酸味のきいた檸檬ソースとのマリアージュが、ふわりと広がってゆく口福。お口直しの信州林檎のシャーベットをいただいたあとには、フルコースの最大の見せ場ともいえる一皿がやってきます。

画像: 魚料理は、スズキのポワレ檸檬のソース。時間を見計らって焼き上げられた、ほかほかのパンも美味しかった!

魚料理は、スズキのポワレ檸檬のソース。時間を見計らって焼き上げられた、ほかほかのパンも美味しかった!

 お品書きに記載されたその名は「BIFUシチュー」。美風とビーフをかけたそのお茶目な名前に気がつかず、隣席の聡明な女性に教えていただいて大笑い。さて、そのお味は?水を一滴も使わず、ワインとトマトピュレと牛乳だけで仕上げたシチューは、丁寧に炒められた香味野菜のソフリットがゆっくりと香り、5時間半煮込んだという牛肉は、ほろほろと口の中で溶けていきます。今ではなかなか食べることもできないであろう、老舗高級洋食店のオーセンティックなビーフシチュー。まさに「BIFUシチュー」と呼ぶにふさわしい逸品でした。そして、食後のデザートに、シルバーベルのコンポートと、お嬢様お手製のカッサータをいただきます。まるで、選び抜いた花をブーケにしたかのようなフルコースに、思わず幸せの笑がこぼれてしまうのでした。

画像: 大和牛を使った、絶品「BIFUシチュー」。にんじんのグラッセ、揚げたじゃがいも、ロマネスコ、エビ芋を添えて

大和牛を使った、絶品「BIFUシチュー」。にんじんのグラッセ、揚げたじゃがいも、ロマネスコ、エビ芋を添えて

 感動のディナーのあとは、愚か家ちゃ助さんによる落語が始まります。愚か家ちゃ助さんは、なんと、この連載の「は」回でも登場くださった、健一自然農園代表・伊川健一さんです。伊川さんは、お家元のお弟子さんであり、また自然茶師・茶農家さんでもあります。多忙なお仕事のなか、煎茶道に加え、落語まで学ばれているというのですから驚いてしまいます。実は、私にとって人生初、生で聞く落語でもありました。古き時代から民衆が楽しんだ日本の伝統文化に触れさせていただきながら、みなで笑い合うっていいなと、しみじみ思うのでした。

画像: 落語を披露してくださる、愚か家ちゃ助さんこと、伊川さん。お家元はじめ、みなさま本当にいろいろな才能をお持ちです

落語を披露してくださる、愚か家ちゃ助さんこと、伊川さん。お家元はじめ、みなさま本当にいろいろな才能をお持ちです

 そして、クライマックスは、お家元による待望のライブです。先代お家元が買い求めたという、見事な屏風が折りたたまれると、そこはギターと電子ピアノが置かれた別世界が広がっています。そして、お家元が楽器を体の一部のように操り、歌声が響きわたると…。高音まで艶やかにのびる、澄んだ綺麗な声。う、うまい…うますぎる…。勉強会で、陶淵明や田能村竹田の詩を読んでいる時とは全く違う、お家元B面の歌声に聴きほれながら、あまりの多才さを目の当たりにして、動揺すらしてしまいます。某レコード会社からのデビューが暗礁に乗り上げ、いろいろあってミュージシャンの道は諦めたとおっしゃっていましたが、いつでも自分の好きな世界に身を置き、極めてきた方だからこそ視野が広く、また人の心の機微をも感じ取ってくださるのだとわかります。「音楽も料理も、今やっていることとそんなに違うと思っていないんですよ」とおっしゃるお家元の、人生の集大成に触れさせていただいたかのような正餐会。それは、「形式的なことには縛られない、主客ともに礼を尽くした楽しい正餐の茶事」とのことですが、すべてにおいて上質でセンスがよく、しかも多忙ななか、何役もの役割を一人でまとめあげてしまう才能に、改めて敬服してしまいます。「料理は違えど、昔の文人等の交流はこんな感じだったのかもしれない」ともおっしゃっていましたが、入門前に憧れていた、自由な精神が宿る煎茶文化をそのまま体感させていただけたことを、とても嬉しく思う夜でした。

画像: お家元のライブ風景。ピアノもギターも、歌も、さすが(元?)プロ!の聞き惚れる歌声。みなからの「アンコール」に応えて、もう1曲ご披露くださいました PHOTOGRAPHS BY ASAKO KANNO

お家元のライブ風景。ピアノもギターも、歌も、さすが(元?)プロ!の聞き惚れる歌声。みなからの「アンコール」に応えて、もう1曲ご披露くださいました

PHOTOGRAPHS BY ASAKO KANNO

 さて、夢のような日本版『白雪姫』の物語もジ・エンド。東京に戻るやいなや慌ただしい、いつもの現実が待っていました。それでも、ふとディナーテーブル上の森のなかで遊んでいた、あのうさぎや小人たちが脳裏に浮かぶと、ふわり温かい気持ちがよみがえります。文人たちは、現実世界からひとときの逃避を図り、精神的に自由になれる世界を詩文や絵画、そして煎茶の世界に見出したとか。私は詩文も絵画も描けない、煎茶道初心者ですが、うさぎと小人たちが連れ出してくれる記憶のポケットに入り込むと、それそとなく文人の感じた逃避の悦びを体感するようで、なんだか嬉しくなるのでした。

菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代のほとんどをイタリアとイギリスで過ごす。帰国後、数誌のファッション誌でディレクターを務めたのち、独立し、現在はモード誌、カタログなどで活躍。「イタリアを第2の故郷のように思っていましたが、その後インドに夢中になり、南インドに家を借りるまでに。インドも第3の故郷となりました。今は奈良への通い路が大変楽しく、第4の故郷となりそうです」

菅野麻子の奈良の通い路_和稽古ことはじめ 一覧へ

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.