BY CHIKAYO TASHIRO
2024年5月29日から8月11日までソウルで上演されていた韓国ミュージカル『英雄』の15周年記念公演。『英雄』は、韓国の独立運動家、安重根が伊藤博文を暗殺した1909年を背景に、安重根の最後の一年に焦点を当て、彼の、愛国に身を投じた志士としての姿と、運命の前に苦悩する人間的な姿を表現した作品だ。2009年の初演以来、上演ごとに多くの観客に愛されてきた韓国を代表するミュージカルの一つ。
この作品は、韓国ミュージカル大賞をはじめとする数多くの賞を受賞し、創作舞台のチケット年間ランキングの1位を達成したこともあるほど、作品性、興行性ともに高く評価されている。その韓国を代表する大作には、終盤に日本人看守の千葉十七という実在の人物が登場する。今回その役を演じているのが、劇団四季出身で『レ・ミゼラブル』などの活躍でも知られる日本人俳優の野島直人だ。
野島の韓国ミュージカルとの縁が始まったのは『パルレ』という作品から。韓国で製作され、2012年に日本でライセンス公演された『パルレ』への出演をきっかけに、ソウルでの2000回記念公演にゲスト出演することになった。そこから韓国語を独学で学び、その時の演技が好評を受け、その後も2014.15.18.19年と『パルレ』に継続出演を務めることに。日本でも大作『レ・ミゼラブル』でマリウス役やアンジョルラス役を担っていた。そんな経歴もあって、韓国を代表するミュージカル『英雄』を映画化する企画に声がかかったという。
「知り合いのスタッフの方から、僕の雰囲気と役柄が合うと思うので是非オーディション受けてみませんか?と。それまでこのミュージカルはなんとなく日本人が悪く描かれているんじゃないかと思っていたのですが、youtubeでヤン・ジュンモさんが歌っている曲のリンクが送られてきて。ジュンモさんとはその時すでに『レ・ミゼラブル』でご一緒していたので、ジュンモ兄さんと親しい役ならやりたいなと思ったんです」
ただ、この映画の制作時の国際情勢を鑑みて、劇中で野島が歌う場面があったにもかかわらずカットせざるを得なくなったのだそう。
「それを聞いた主演のチョン・ソンファさんが監督に直談判して『これはなくしちゃいけないからメイキングで撮ろう』って言ってくれてメイキングとして僕の歌の部分がyoutubeに上がったんです。そんなエピソードもありましたが、芝居は残っていても歌が映画で完全にカットされてしまったのが残念でした。でもその時、ミュージカルに出れば歌えるじゃないかと思い、次はミュージカルのオーディションを受けようと頭を切り替えたんです。この作品は自分がやる意味もあるんじゃないかと思って」
そうやって挑戦することになったミュージカル『英雄』の舞台だが、日本人としていろんな感情が渦巻いたという。
「グローバルな時代の今だからこそ、やはり日本人がやる意味があると思いました。いずれは誰かやらなきゃいけないと。ただ軍国主義時代の話なので、日本人として心揺らいだり悩んだりするセリフや歌がいっぱいあって。でもその気持ちが割り切れたのは、韓国の俳優たちがすごく一生懸命その時代のことを勉強して僕に聞いてくるんです。敬礼の仕方ひとつにしろ、日本人としてこの部分はどう思うのかとかすごい熱心に勉強してきて、彼らがこんなに一生懸命なのに、日本人の僕がそこで揺らいでいるのは違うなと思って。それをちゃんと受け入れて一緒にやっていくことで何か生まれるんじゃないかって割り切ったら、カンパニーの中で、一緒に手伝ってほしいと頼まれごとをされ始めました。例えば、劇中のいくつかのセリフを僕が作りました。場面のニュアンスに合いながら俳優たちが発音しやすい言い方に変えたりもしました。もともと、ほかの作品の知り合いの俳優からも『日本人のセリフを兄さんちょっと録音して送ってくれる?』とか、『日本語のセリフがどうも変な気がするから見てくれないか?』とか頼まれていたんですけどね」
ほかにも韓国の現場に野島が入ったことで現場に与えた影響もあったそう。
「僕、本番中も舞台の袖でずっと流れを見ているんです。最後のシーンにいきなりテンションの違う奴が出てきたと思われたら作品を壊してしまうので、その空気を読んだ入り方をすごく大事にしています。稽古場でもそうです。それが日本人のやり方なのかと聞かれましたけど、劇団四季の浅利さんが割とそういうタイプで、僕はそこスタートなので。そしたら演出家に『いい俳優っていうのは作品を見て、良い流れを汲もうとする。もし良くない流れがあれば、うまくそれを断ち切って良い方向に行くようにする。だから野島はこうして見てるんだから、お前たちも学びなさい』って言われて、良い影響を与えられたのかなと思いました」
逆に野島が韓国で刺激を受けたのは毎回の俳優たちの全力感だという。
「韓国の人たちは毎回フルパワーなんです。日本でもみんな毎日頑張っているんですけど、明日への余力を感じるじゃないですか? でも韓国はそれが全くないです。これでラストまで行けるのか? みたいな勢いなんですよ。毎回千秋楽のような全力感がすごいです。集団で踊る人たちは本番直前にも舞台の裏で何も言われてないのに自主的に振り合わせをやっているんです、毎日。みんな命を削ってやっているっていうか、作品のために一生懸命尽くしている感じがします」
そして、日本と違ってはっきり言われるのが韓国。
「僕は身長が高くないので主役はない、でも主人公を支えるサブキャラクターなら韓国では需要があるとはっきり言われます。泣く芝居や、セリフがなくても目で表現するタイプは韓国でもなかなかいないから、韓国でも映画やドラマもやってみたらいいよと言われたこともありました」
演技の上では、俳優に任せてくれる韓国流も実体験した。
「『パルレ』の時もそうでしたが、役者に作品を任せてくれるんです。『英雄』での僕の出番も、そのシーンでやるべき決まり事をやりさえすれば、あとはその時の演者の気持ち次第。僕は演出も付けられたことがほとんど無いです。日本だったらもっと決まりごとがあるんですけど、今回の『英雄』でもトリプルキャスト3者3様で別々バージョン。打ち合わせもなく、相手によって、僕ももう感じるままに演じています」
『英雄』での野島の場面は劇のラストを締めくくる重要かつ名シーン。韓・日・中が平和に共存しなければならないという安重根の思想を歌にした「東洋平和」の曲をデュエットするのだが、これがすごく胸に沁みる。筆者が観たとき、野島は舞台に出てきたときから慈愛に満ちた表情で、その顔を見るだけで思いがこみ上げてくる演技だった。
「千葉さんの役はそれまでアンサンブルのちょっと大きい役みたいな扱いでしたが、今回、カンパニーの代表から『千葉の役は野島がやってくれて、メインキャストのように見える。東洋平和のシーンが別の話が始まる感じがして、作品の質が変わった気がする』と言ってもらえて、すごく励みになりました」
主演のチョン・ソンファからも「野島さんの真心と情熱が込められた演技と歌は‘東洋平和’のシーンの意味をより一層真摯に伝えるのに大きな役割を果たしたと思います」とお墨付きをもらっている。
「役に恵まれたのは大きいです。ヤン・ジュンモさんやチョン・ソンファさんという親しい先輩との共演だけに、‘相手を慕って東洋平和を願う’というこの千葉さんの役とは境遇がシンクロしますから。媒体からのインタビューオファーも増えているので、ちょっと期待されているというのは実感します。ただ、浮かれる気持ちはないですね。むしろもっと韓国語を頑張らなきゃいけないなというプレッシャーが大きいです」
今後は韓国を主戦場にすることも見据えた上で、野島は自分の中で決めているルールがあるという。
「『英雄』の製作会社が僕を見つけて使ってくれたので、ここからのオファーは断らないこと。そして僕の立場はどうしても日本人代表になってしまうんです。僕の言動次第で日本の俳優は~って思われて、ほかの日本の先輩や後輩に悪い影響を与える可能性がすごく高いのでとても気をつけています。あと大事にしてるのは『日本だったらこうだ』ということは言わないようにしています。僕が今生きている場が自分の場だという考えで、だからこっちのルールにハマるのは当然じゃないのという気持ちでやっています」
日本を代表する責任感で取り組んでいる野島の頑張りが、両国のミュージカル界に良い風を吹かせ、今後の日韓のコラボレーションでさらに大きな花を咲かせるに違いないと思えたインタビューだった。
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