書評家・石井千湖によるブックレビュー。数ある新刊からセレクトした一冊と、それにリンクさせて読んでほしいおすすめ本をあわせて紹介してきたこの連載。読む本に迷ったら、ぜひチェックを。湖のように静かに、深く、広く。本を愛する思いを共有したい

BY CHIKO ISHII

ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』

 1972年に鼓 直による日本語訳が初めて出版されてから、なんと52年1カ月と21日。コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が7月1日に文庫化された。今回「本のみずうみ」というブックレビューの連載を始めるにあたって、読者が待ちわびすぎて「文庫になったら世界が滅びる」という冗談さえ飛びかっていたこの名作を再読したいと思い立った。中上健次『千年の愉楽』から小川哲『地図と拳』まで、現代日本文学にも多大な影響を与えている作品だからだ。私が初めて読んだのはおよそ20年前。まだその頃はライターではなかった。

画像: 『百年の孤独』 ガブリエル・ガルシア=マルケス 著、鼓 直 訳、三宅留人 カバー装画 ¥1,250/新潮文庫 COURTESY OF SHINCHOSHA

『百年の孤独』 ガブリエル・ガルシア=マルケス 著、鼓 直 訳、三宅留人 カバー装画
¥1,250/新潮文庫 

COURTESY OF SHINCHOSHA

『百年の孤独』は文明から離れた岩だらけの川岸にマコンドという村を建設したブエンディア一族が滅びるまでの物語だ。書き出しは〈長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない〉。アウレリャノ・ブエンディア大佐は、マコンドの始祖であるホセ・アルカディオ・ブエンディアの次男で、マコンドで誕生した最初の子供であり、戦争の英雄になる人物だ。〈銃殺隊〉と〈氷〉のインパクトが強く、ブエンディア家の人々の〈孤独〉をわかりやすく体現していることもあって、アウレリャノ大佐を軸に読んだ。

 2回目に読んだのは2019年。『名著のツボ』の取材のために読んだ。このときはラテンアメリカ文学の「マジックリアリズム」とは何かを理解したいと考えた。マコンドでは眠れなくなる奇病が蔓延したり、絶世の美女がシーツに包まって昇天したり、4年11カ月と2日にわたって雨が降り続けたりする。以前お話を伺った翻訳家の木村榮一氏によれば〈ヨーロッパの文学者の目には、魔術的、驚異的に映ったのでしょうが、南米にはヨーロッパにはない自然や風土があり、想像を超える破格の独裁者もいました。(マジックリアリズムは)意識的に追求された手法というよりも、現実そのものが驚異的なので、それをありのまま描いたら魔術的になった、と言うべきでしょう〉とのこと。 
 原始共同体的な村社会から賑やかな町になり、長い内戦を経てアメリカの大資本の介入によって繁栄し、さまざまな問題が出てきて衰退していく。マコンドの歴史はガルシア=マルケスの故郷、コロンビアの歴史と重なり合う。しかも、ジャーナリストだった彼は、 具体的な数字を効果的に用いて、一見ありえない出来事に現実味をもたせた。土地によってリアリズムは異なるのであり、小説はもっと自由に書いてよいということを『百年の孤独』は知らしめた。だからこそ世界中にフォロワーを生んだのだ。
 
 今回は3回目だ。改めて精読したとき、女性たちのことが気になった。まず、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの妻であるウルスラ。ウルスラと夫は何百年も前から血を交えてきた家に生まれ、一緒に育ったいとこ同士だった。親戚には〈豚のしっぽ〉を持って生まれた子供がいた。ふたりは周囲の反対を押し切って結婚したが、ウルスラは妊娠することを恐れ、鍵つきのズボンをはいて寝ていた。しかし、そのことがある殺人事件の引き金になり、夫妻は故郷を離れてマコンドにたどりつく。
 夫は錬金術にはまって虎の子の金貨を溶かすわ(文字通り鍋でどろどろに溶かして炭にする!)、長男は見世物小屋の娘に夢中になって出奔するわ、ウルスラの苦労は絶えない。一度はウルスラ自身も行方をくらますのだけれど、飴細工の商売を繁盛させて家を大増築する。妄想に取り憑かれた夫が栗の木の下で暮らすようになっても、おとなしかった次男がなぜか反乱軍を率いて政府軍との戦いに明け暮れるようになっても動じない。マコンドの独裁者になってしまった孫は容赦なく叱りつける。ウルスラの生命力の強さはマジカルだ。
 ウルスラの娘、アマランタの話も引き込まれる。アマランタは姉妹同然に育ったレベーカと同じ男を好きになってしまう。仲良く刺しゅうをしていたふたりの美少女の恋の顛末は苦い。アマランタは母親に見限られ、手に黒い繃帯(ほうたい)を巻いて生きることになるが、こうしたら幸せになれるという規範に反逆して自分の感情に正直に動くところがいい。ブエンディア家の親戚ということになっているが素性はよくわからず、土を食べる奇癖があるレベーカの人生も想像をかきたてる。
 色事とトランプ占いに長けているピラル・テルネラ、動物を殖やす不思議な力があるペトラ・コテスなど、ブエンディア家と影でつながる人々も魅惑的だ。『百年の孤独』の女たちは、家の内にいても外にいてもどこか魔女めいている。魔女たちの〈孤独〉も描かれているのだ。

友田とん『百年の孤独』を代わりに読む

画像: 『百年の孤独』を代わりに読む 友田とん 著、友田とん 著、カバーデザイン・装画 鈴木千佳子、 カバーフォーマット 坂野公一(well design) ¥1,298/早川書房 COURTESY OF HAYAKAWASHOBO

『百年の孤独』を代わりに読む 友田とん 著、友田とん 著、カバーデザイン・装画 鈴木千佳子、
カバーフォーマット 坂野公一(well design) ¥1,298/早川書房

COURTESY OF HAYAKAWASHOBO

 3回読んでも読み終えた感じがしない。まだまだ違う切り口で面白く読める気がする『百年の孤独』は、誰かと感想を語り合いたくなる本でもある。友田とんの『「百年の孤独」を代わりに読む』は、恰好の話し相手になってくれる。『百年の孤独』をこよなく愛する著者が〈まだ読んでいない友人たちの代わりに読む〉という試みを綴った読書エッセイだ。当初は自主制作本として出したものが人気を博し、早川書房から刊行された。

『百年の孤独』は、数字こそふられていないが、20の章(のようなもの)に分かれている。著者は〈冗談として読む〉〈なるべく関係ないことについて書く〉ことを心がけて、1章ずつゆっくり読んでいく。
 第1章の「引っ越し小説としての『百年の孤独』」から、脱線の大胆さに魅せられた。著者はマコンドを開拓したホセ・アルカディオ・ブエンディアの腰が据わっていないと指摘し、『それでも家を買いました』というテレビドラマについて語る。1991年の日本のドラマと『百年の孤独』、女優の田中美佐子とウルスラが結びくところが楽しい。
 伊丹十三監督の映画『タンポポ』、ドリフターズのコント、近藤聡乃の漫画『A子さんの恋人』……ほかにもバラエティ豊かな作品が登場する。著者の個人的な思い出も入ってくる。次第に本筋と脱線の境界が曖昧になって混沌としてくるくだりがスリリングだ。〈代わりに読む〉とはどういうことかを問いながら、読むという体験自体の深みを感じさせてくれる。

塚本邦雄『新版 百珠百華 葛原妙子の宇宙』

画像: 『新版 百珠百華 葛原妙子の宇宙』 塚本邦雄著、柳川貴代 装丁 ¥2,750/書肆侃侃房 COURTESY OF SHOSHIKANKANBOU

『新版 百珠百華 葛原妙子の宇宙』 
塚本邦雄著、柳川貴代 装丁 ¥2,750/書肆侃侃房 

COURTESY OF SHOSHIKANKANBOU

 芸術を鑑賞して何かを伝える人は、みんな〈代わりに読む人〉なのかもしれない。〈代わりに読む人〉の引き出しに詰まっている知識や教養や思考や経験によって、作品はどこまでも広がる宇宙になる。その意味でも百つながりでも同時に紹介したいのが次の作品だ。
 塚本邦雄の『新版 百珠百華』は、戦後短歌史を代表する歌人が、葛原妙子の作品を100首をとりあげ、自ら解説した本だ。葛原妙子もまた戦後短歌史を代表する歌人であり、「現代の魔女」「幻視の女王」とも呼ばれた。
 塚本は〈作者がただ一言、「花」と歌った時、その一首には花の持つ、あらゆる概念が集積され、すべての要素が匂い立つ。それを証するために、私は「百華」を、負けじと動員せねばならぬ。玲瓏たる二顆の珠玉の触れ合いを、言葉を以て伝えるには、私は百顆の珠をかき集めて、それを再現せねばならなかった〉と語る。その言葉通り、ひとつの言葉から爛漫なイメージが花開き、珠玉の表現が連なっていく。〈アンデルセンのその薄ら氷に似し童話抱きつつひと夜ねむりに落ちむとす〉という歌があれば、その童話とは何を指すのかから考えるのだ。

 葛原の代表作として知られる〈他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水〉の読み解きも緻密だ。まず〈しづかなる的〉に着目して〈一体この世に、「騒がしき的」や「しづこころなき的」が存在するのだろうか〉と問う。あえて数え立てるべきでもなさそうな〈常態常識の的〉を〈しづかなる〉と修辞していると指摘する。そして〈眺めてあらば〉の〈ば〉という仮定順接の助詞について吟味する。〈ば〉だけでこれだけのことが書けるのかと驚嘆せずにはいられない。
 葛原妙子の入門書として、さらに塚本邦雄の入門書としても最適な一冊。装幀も内容にふさわしく美しい。

『楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集』

 表紙に写っている、釣り竿らしきものを持った女性。振り向いて、微笑んでいる。目の光が強い。著者のルシア・ベルリンだ。1936年11月12日、アラスカ生まれ。20代のころから小説を書き始め、76の短編を遺して2004年の誕生日に亡くなった。生前はほとんど知られていなかったが、没後10年以上経って再評価された。日本でも岸本佐知子が翻訳を手がけ、多くの読者の心をつかんでいる。

画像: 『楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン 著、岸本佐知子 訳、 クラフト・エヴィング商會 装幀 ¥2,860/講談社 COURTESY OF KODANSHA

『楽園の夕べ ルシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン 著、岸本佐知子 訳、
クラフト・エヴィング商會 装幀 ¥2,860/講談社 COURTESY OF KODANSHA

『楽園の夕べ』は、『掃除婦のための手引き書』『すべての月、すべての年』に続く短編集。ルシア・ベルリンの小説は、オートフィクション(自伝的虚構)だ。3度結婚して3度離婚したこと、職を転々としながら4人の子供を育てたこと、アルコール依存症だったことなど、自らが体験した出来事を材料にして、実際にはなかったことも書いている。同じ出来事を種にしていても、話によって異なる色の花がひらく。
 たとえば「オルゴールつき化粧ボックス」は、テキサス州エルパソの祖父母の家で暮らした少女時代の話だ。シリア人の女の子ホープが登場する。「沈黙」という短編(『掃除婦のための手引き書』収録)にも出てくるホープは、〈家は地獄、学校も地獄〉だったせいで、長いあいだ口をきかなかった〈わたし〉にとって、初めてできた本当の友だちだった。「沈黙」のなかでいちばんの思い出として語られるエピソードが、7歳のときホープと一緒にオルゴールつき化粧ボックスが当たるカードくじを売ったことだ。その商売はふたりの友情が終わるきっかけにもなるけれど、「オルゴールつき化粧ボックス」ではいちばんの思い出のいちばん幸せな部分をクローズアップしている。
 ブロンドの髪が伸びほうだいで〈大きな黄色い回転草〉みたいな〈わたし〉と、〈黒々と重たげな髪〉のホープは、カードを売りさばく。儲けたお金でローラースケートや食べものを買って空き地に行くと、ぽわぽわした雑草が一面に紫色の花をつけていて、草の根元に落ちたガラスの破片が、日の光でいろんな濃淡のラベンダー色に染まっている。〈夕方のちょうどそれくらいの時刻になると、太陽の角度のせいで、光が地面から、紫の花の奥から射してくるように見えた。アメジストみたいに〉というくだりがいい。大好きな友だちと心躍る冒険を成し遂げたからこそ見えた風景が色彩豊かに描かれている。
 その後の展開は思いがけない。ふたりの関係の結末は決まっているはずなのに。かけがえのない記憶を違う角度で語ることによって、地面から光射す新しい世界が生まれ、少女たちは境界を越えて未知の領域へ向かう。 

 やはりホープと過ごした濃密な時間を切り取った「夏のどこかで」、14歳の少女がチリの富豪の農園に滞在する「アンダード――あるゴシック・ロマンス」、主人公がチリを出てニューメキシコ州の大学に行くために旅をする「旅程表」、南米育ちのアメリカ人大学生が才能あるモラハラ夫と結婚する「リード通り、アルバカーキ」。ルシア・ベルリンの自伝的な要素が、どの短編にも含まれている。
 親戚一同が集合したパーティの日に屋根に上ったまま下りてこない女性を語り手にした「聖夜、テキサス 一九五六年」も、第二子を妊娠中に夫に逃げられた〈わたし〉の視点で同じパーティを描いた「虎に噛まれて」(『すべての月、すべての年』収録)をあわせて読めば、「リード通り、アルバカーキ」の続きの話であることがわかる。
「日干しレンガのブリキ屋根の家」の風変わりな隣人と夜気に漂う薔薇の芳香、「霧の日」の裏返しになった〈WORLD〉のネオンサイン、「桜の花咲くころ」の噴水と郵便屋さん、「楽園の夕べ」のメキシコのリゾート地とエリザベス・テイラー、「幻の船」の月明かりや星あかりを浴びて銀色に輝くダチュラの花……。初めて海を見る老女が出てくる「新月」まで、悲痛だったり過酷だったり滑稽だったりする人生の断片が吹き寄せられた22編。すべてに、忘れがたい光景がある。すごい。

いしいしんじ 『マリアさま』

 いしいしんじの『マリアさま』も、短い文章のなかに忘れられないシーンがある。青年がからだからどんどん土がわいてくる奇病を患う「土」、主人公が急行列車で隣の席に座った〈短編小説〉と会話する「窓」、明治の文豪・正岡子規が東京ドームで野球観戦をする「子規と東京ドームに行った話」など29編を収録。

画像: 『マリアさま』いしいしんじ 著、大島依提亜 カバーデザイン、網代幸介 カバー装画 ¥924/ちくま文庫COURTESY OF CHIKUMASHOBO

『マリアさま』いしいしんじ 著、大島依提亜 カバーデザイン、網代幸介 カバー装画
¥924/ちくま文庫COURTESY OF CHIKUMASHOBO

 なかでも「自然と、きこえてくる音」は、「本のみずうみ」というこの連載 でとりあげるのにぴったりの話だ。サウンドエンジニアの祖父と孫の〈わたし〉が、真っ赤な自動車に乗って京都から琵琶湖までドライブする。祖父に言われて窓を開けると、空気のにおいが変わる。
〈鼻腔をくすぐるのは、草のにおいか。それも、乾いた高原じゃない、ひたひたの水につかった水草の、ぎっしり生えそろった岸辺のにおい。山道を滑りおりるうち、左手に、湖水のきらめきがみえてくる。沿岸にならぶ建物に見え隠れする、おだやかな水のお盆〉というところで湖の風景が目に浮かぶ。
 さまざまな音を拾ったり、祖父の作ったサンドイッチ(中身はしょうゆとみりんで炒めた鶏の胸肉、ざっくり切ったキャベツ、細かく散らしたゴルゴンゾーラ、自家製のきゅうり!)を食べたりして、楽しいドライブなのだが、〈わたし〉は苦しい状況にあったことがわかる。具体的に何が起こったのか説明はされない。祖父も何も訊かない。ただ、〈わたし〉は〈大切な静けさ〉を手に入れる。誰かのこころの傷が癒やされる瞬間をこんなふうに描くことができるのかと驚いた。読み終わったあと、何度でもこの静けさに帰ってきたいと思う。

大濱普美子 『三行怪々』

『陽だまりの果て』で泉鏡花賞を受賞して注目を集めた大濱普美子は短編の名手だ。初のショートショート集は『三行怪々』は、1編あたり50から60文字程度の話が200編入っている。今回紹介した3冊のなかでも圧倒的に短い。「あとがき」によれば、著者は北野勇作の「100字シリーズ」を読んだために「百文字病」を患い、なぜか100字よりも少ない文字数で小説を書くようになってしまったのだそうだ。

画像: 『三行怪々』 大濱普美子 著、鈴木千佳子 装丁 ¥1,980/河出書房新社COURTESY OF KAWADESHOBOSHINSHA

『三行怪々』 大濱普美子 著、鈴木千佳子 装丁
¥1,980/河出書房新社COURTESY OF KAWADESHOBOSHINSHA

 最初の話は〈これはいつまでも枯れない花です。お花屋さんがそう言ったので買ったら、言葉どおり私よりも長生きしている〉。3行のなかで長い時間が経ち、語り手は生から死へ瞬間移動している。面白い。
〈猫が、本棚の隙間に入って出て来ない。本の表紙に、体の形の穴が開いていた。一体どこに向かって、掘り進んでいるんだろう〉という話がある。3行はこの猫の形の穴のようなものだ。どこに向かっているのかわからない。読者の想像力だけが、中に入ることができる。穴の出口には恐ろしいものが待ち受けているかもしれないけれど、掘り進めずにはいられない。
 他の話も切り詰めた文章に、〈象の卵〉〈トリプルゲンガー〉〈故事に因んだ桃型容器〉〈アイアイ印の歯ブラシ〉〈溢れ出るアルファルファの群れ〉といった、人間の好奇心を刺激してやまない言葉がちりばめられている。

ハン・ガン『別れを告げない』

 韓国人として、またアジアの女性として初めて、2024年のノーベル文学賞を受賞したハン・ガン。スウェーデン・アカデミーは授賞の理由を説明したコメントの中で、彼女の作品を「過去のトラウマと向き合い、人間の命のもろさを浮き彫りにした、激しく詩的な散文」と評していた。今年3月に日本語版が刊行された『別れを告げない』でも、過去のトラウマに向き合っている。
 語り手のキョンハはソウルに住む作家だ。ある都市で起こった虐殺に関する本を出してから、悪夢を見るようになった。どことも知れない野原に雪が降り、山に植えられた何千本もの黒い丸木のところへ海が押し寄せてくるという夢だ。キョンハと、友人でドキュメンタリー映像作家のインソンは、黒い木の夢をもとにした短編映画を作ろうと約束するが、実現しないまま4年の月日が流れる。その間にキョンハは家族と仕事を失ってしまう。いっぽう、母を看取ったあと故郷の済州島で暮らしていたインソンは、木工作業中に誤って指を切断し、ソウルの病院に運び込まれる。インソンの家に取り残された鳥を助けるため、キョンハは済州島に向かうが……。

画像: 『別れを告げない』 ハン・ガン 著、斎藤真理子 訳、緒方修一 装丁、豊島弘尚 装画 ¥2,750/白水社COURTESY OF HAKUSUISHA

『別れを告げない』 ハン・ガン 著、斎藤真理子 訳、緒方修一 装丁、豊島弘尚 装画
¥2,750/白水社COURTESY OF HAKUSUISHA

 韓国のハワイとも呼ばれる済州島に雪が降り積もることを、私はこの小説を読んで初めて知った。「済州島四・三事件」の犠牲者が推定25000人から30000人ということも。朝鮮半島が南北に分裂した1948年、南だけの単独選挙に反対する済州島民が4月3日に武装蜂起した。その闘争の鎮圧の過程で多くの島民が国家公権力によって虐殺された。朝鮮半島現代史上最大のトラウマというべき事件だ。キョンハが吹雪の中、遭難しそうになりながらインソンの家を目指しているとき、インソンの母が語った四・三事件の記憶がよみがえる。母の村の人が皆殺しにされた日も雪が降っていた。
 白い鳥たちの群れのような雪、子供の頬の上で溶けない雪、アスファルトに落ちてためらうみたいに消えていく雪。本書にはさまざまな雪が描かれているが〈永遠と同じくらいゆっくりと雪片が宙から落ちてくるとき、重要なことと重要ではないことが突然、くっきりと区別される。ある種の事実は、恐ろしいほど明白になる。例えば苦痛。〉というくだりが印象深い。

 雪景色が美しいのは、すべてを白で覆うからだ。どんなに汚れたものでも、まっさらに見せてくれるイメージがある。ところが、キョンハにとっての雪は、何も隠してくれないし、リセットもしてくれない。重要なことと重要ではないことを区別して、自分の苦痛を明白にする雪なのだ。キョンハは雪に導かれ、夢ともうつつともつかない不思議な世界に迷い込む。そして、遠く離れた場所にいるはずのインソンと語り合う。
 雪に音を吸い取られた静寂そのものの空間で、ふたりは四・三事件にまつわる資料を読み、死者の声を聴く。焼き払われる村、残酷な方法で殺される人々、凄惨な遺体の様子がありありと思い浮かぶ。生き延びた人も後遺症やトラウマに苦しんだという事実。胸がふさがる。
 ただ昔こんな悲劇がありました、だけでは終わらない。たとえば、インソンが指の縫合手術をしたあと、切れた神経が死なないように、三分に一度、傷に針を刺して痛みを感じる処置を受けるところ。キョンハは〈大丈夫そう?〉と訊くが、インソンは〈続けてみないとね、とりあえず〉と言う。恐ろしい痛みがあっても回復の見込みがあるなら続けてみるインソンは、キョンハが諦めても黙々と黒い木の夢の映画をつくる準備を続けていた。その粘り強さはインソンの母にもあったもので、過去と現在をつなぎ、死に引き寄せられていたキョンハを思いがけない場所へ連れていく。
 ラストシーンに舞い落ちる雪はとりわけ忘れがたい。虐殺は今も起こっていて、無力さに打ちひしがれることもあるが、それでも考え続け、悼み続ける。〈別れを告げない〉人たちの芯にあるものを映した雪だ。

ハン・ガン『少年が来る』

『別れを告げない』のキョンハは、2014年に虐殺に関する本を出してから悪夢を見るようになった。その2014年、ハン・ガンは光州事件を題材にした『少年が来る』を上梓している。光州事件とは、1980年5月18日、軍事政権下の光州で、民主化を求める学生や市民が武力制圧され、160人以上(正確な人数は不明)が死亡したというという事件だ。ハン・ガンは光州で生まれ、9歳のときソウルに引っ越したが、事件は彼女が光州を離れて約4カ月後に起こった。
 市民の遺体が一時的に安置された施設で『少年が来る』の幕は開く。トンホという15歳の少年が、はぐれてしまった友達を捜している。トンホは友達と一緒に行った広場で軍人に銃撃されたときのことを回想する。殺された人、生き残った人、遺族。さまざまな視点で、事件当時のこと、その後の出来事が語られていく。作家が自分をまるごと明け渡して、登場人物の声の容れ物になったような書き方だと思う。

画像: 『少年が来る』 ハン・ガン 著、井手 俊作 訳、文平銀座+鈴木千佳子 装丁 ¥2,750/クオンCOURTESY OF CUON

『少年が来る』 ハン・ガン 著、井手 俊作 訳、文平銀座+鈴木千佳子 装丁
¥2,750/クオンCOURTESY OF CUON

 トンホと遺体の身元確認作業をしていた女子高校生ウンスクのその後を描いた三章「七つのビンタ」に雪の降る場面がある。小さな出版社で働くウンスクが担当する戯曲集に当局の検閲が入る話だ。戯曲集は大半が黒く塗りつぶされて出版できなくなってしまう。ウンスクが光州事件のことを思い出しつつ、会社に居残っていると、窓の外に白いものが舞い始める。〈雪は挽きたての米粉のように軽くて柔らかそうに見えた。しかしそれが美しいことはもはやあり得ないと彼女は思った〉というくだり。たまたま生き残った罪悪感と、理不尽な暴力が続いていることに対する絶望が伝わってくる。けれども、検閲された戯曲は当局が妨害できない形で上演されるのだ。
 ハン・ガン自身を彷彿とさせる作家が語り手になるエピローグ「雪に覆われたランプ」は『別れを告げない』のラストシーンと響き合う。ぜひあわせて読んでほしい。

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

 ハン・ガンの小説で雪が出てくるといえば、『すべての、白いものたちの』もはずせない。ポーランドの翻訳家に誘われてワルシャワにしばらく滞在した経験をもとに書かれた作品だ。
 

画像: 『すべての、白いものたちの』 ハン・ガン 著、斎藤 真理子 訳、Douglas Seok 写真、佐々木 暁 装幀 河出書房新社/¥2,200 COURTESY OF KAWADE SHOBO SHINSHA Ltd. Publisher

『すべての、白いものたちの』 ハン・ガン 著、斎藤 真理子 訳、Douglas Seok 写真、佐々木 暁 装幀
河出書房新社/¥2,200 COURTESY OF KAWADE SHOBO SHINSHA Ltd. Publisher

「私」「彼女」「すべての、白いものたちの」の三部構成になっていて、白いものにまつわる散文詩のような言葉が並ぶ。なぜ白いものについて書いているのかというと、ワルシャワが白い街だからだ。1944年、ヨーロッパの都市で唯一、ナチに抵抗して蜂起したワルシャワは、爆撃によって95%の建物が破壊された。石造りのがれきが白いために、空撮すると都市が雪景色の中にあるように見えたというところが鮮烈だ。
 〈私〉はワルシャワに似たある人のことを考える。ある人とは、生まれて2時間しか生きられなかった〈私〉の姉だ。名前に雪の字が入った〈彼女〉。〈私〉は白い街の中に〈彼女〉をよみがえらせる。時空を超えた再生の祈り。手にとりやすい文庫版もいいが、白の多彩さを装幀で表現したハードカバー版もいい。とても静かで美しい本だ。枕元に置いて、少しずつ、繰り返し読みたい。

齋藤美衣 『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』

〈二〇二三年八月二三日の午後五時頃、気がついたらわたしは自宅の寝室で数名の警察官に取り囲まれていた〉という一文で、『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』は始まる。著者の齋藤美衣は歌人だ。その日、自殺未遂をして精神科病院に措置入院させられた齋藤さんは、自らの半生をふりかえりながら、「死にたい」という気持ちが毎日やってくる理由を解き明かしていく。
 読み終わったあと、茫然とした。なんだろう、この本は。ひとりの女性の闘病記のようで、自伝のようで、そのどちらにもおさまらない。エミリ・ディキンスンの「脳は空より広い」という詩を想起した。空よりも広く、海よりも深い「自分」を旅した記録だ。

画像: 『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』 齋藤美衣 著、沖 潤子「蜜と意味 09」 カバー作品 、木奥惠三 カバー撮影、加藤愛子(オフィスキントン)装幀 ¥2,200/医学書院COURTESY OF IGAKUSHOIN

『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』
齋藤美衣 著、沖 潤子「蜜と意味 09」 カバー作品 、木奥惠三 カバー撮影、加藤愛子(オフィスキントン)装幀
¥2,200/医学書院COURTESY OF IGAKUSHOIN

 本書は二部構成になっている。「Ⅰ部 世界の接点」は、閉鎖病棟での入院生活と、そこにいたるまでの出来事が綴られている。14歳の春に急性骨髄性白血病を患い、世界とつながる唯一の手段として短歌を作るようになったこと。19歳のときに摂食障害を発症し、断続的に精神科病院に通うようになったこと。20代の終わり頃から、人を殺して自分の家の庭に埋めたことを思い出すという夢を繰り返し見るようになったこと。2022年に自閉症スペクトラムの診断を受けたこと。さまざまな体験を通して、齋藤さんは〈五感に関わる部分で他の人とは違う世界の認識をしている〉という自分の特性を発見する。
 わたしは齋藤さんのように命にかかわる難病ではなかったし、おそらく定型発達だと思うが、生まれつき斜頸だった。斜頸は筋肉の収縮によって、頭や首、肩などが不自然な姿勢になってしまう病気だ。わたしの場合、左側に首が傾いていた。11歳のときに矯正手術を受けたが、それ以前の写真を見ると必ず首をかしげて写っている。側弯症もあったからか、まっすぐ立つことすらできなかった。手術後しばらくは、特殊な装具をつけて学校に通った。斜めの世界で生きていた頃の不安感、ほかの子と違う苦しさが、齋藤さんの言葉に触れることによってよみがえった。思い出すことには痛みがともなうけれども、不思議と嫌ではない。実はわたしにもこんなことがあってね、と本に対して打ち明け話をしたような心地がするからだろう。

「Ⅱ部 穿ちつづける」ではいよいよ、希死念慮の原因を追究する。齋藤さんによれば、「死にたい」は自分の内部にあるのではなく、外からやってくるものだ。〈まず、大きさのイメージとしては柴犬くらい。全体が黒くて楕円みたいなシルエットで、境界線はもやもやぼんやりしている。手足はないのに、「死にたい」は刃渡り長い包丁を持っていて、わたしの脇腹をゆっくり刺してくる。そして黒くてぼんやりした体をわたしに押しつけてくる〉という。描写が具体的で恐ろしい。
 どんなときに「死にたい」が来るのか吟味していくうちに、自分の内側から小さな声が聞こえてくる。その声をつぶさに聞きとって、文章にすることで、齋藤さんは夢の中で〈庭に埋めたもの〉の正体にたどりつくのだ。社会になんとか適応しようとして〈庭に埋めたもの〉を、「死にたい」から逃れて生きるために掘り起こす。その作業がどんなに苦しくても、考えて書き続ける。理由をつきとめたからといって、問題が解決するわけではない。しかし、齋藤さんはうれしいこと、楽しいことにも目を向けられるようになる。
 庭に埋めたものを掘り起こし、自分と出会い直す旅の過程で、「謝ること」「許すこと」を再定義するくだりに、今までに味わったことのない解放感があった。思考をあきらめない人だけが、苦しみの果てにある扉をひらくことができるのだ。

斎藤美衣 歌集『世界を信じる』 

画像: 『世界を信じる』 斎藤美衣 著、花山周子 装幀 ¥2,970/典々堂COURTESY OF TENTENDO

『世界を信じる』 斎藤美衣 著、花山周子 装幀 ¥2,970/典々堂COURTESY OF TENTENDO

『世界を信じる』は、齋藤さんの初めての歌集。中学時代に作った一首と、2007年から2024年までの作品を収めている。
 1ページ目に〈「社長さん」呼ばれて会釈を三度する輪郭うすきわたしの影が〉という歌があって驚く。齋藤さんが夫と一緒にやっていた仕事を辞めたことは『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』に書かれているが、まさか社長だったとは。生きることにあれほどの困難を抱えている人と、会社経営が結びつかなかった。自分のなかにある偏見を思い知らされた。
「あとがき」によれば、齋藤さんは30歳のときに「抱っこ紐の会社」を起業したらしい。商品の検品や問い合わせ、従業員の欠勤、経理にまつわる短歌もあって、〈社長さん〉の担う業務の幅広さが垣間見える。働きながら家事や子育てに追われる日々の悲しみも喜びも浮かび上がる。
〈なかぞらに舞うレジ袋 ふくらんだしろいおなかにわたしを容れて〉〈わたくしは夜であるかな内側をゆつくりとほる水がつめたい〉〈われがまだ産むなら楽器、明け方の空の遠までカノンひびかせ〉など、自分を静かに見つめる歌が印象深い。

柴崎友香 『あらゆることは今起こる』

『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』は、医学書院の「ケアをひらく」というシリーズの1冊だ。2000年に創刊され、2024年12月現在で49冊が発行されていているのだが、今年刊行されたこのシリーズで、ぜひ手にとってほしいのが柴崎友香の『あらゆることは今起こる』。

画像: 『あらゆることは今起こる』 柴崎友香 著、原美樹子 カバー写真、松田行正+倉橋弘 装幀 ¥2,200/医学書院COURTESY OF IGAKUSHOIN

『あらゆることは今起こる』 柴崎友香 著、原美樹子 カバー写真、松田行正+倉橋弘 装幀 ¥2,200/医学書院COURTESY OF IGAKUSHOIN

 齋藤さんと柴崎さんには、子どもの頃からずっと困っていることがあって、大人になって発達障害と診断されたという共通点がある。2冊あわせて読むと、人によって症状も、感じ方も異なるということがよくわかる。齋藤さんは言葉を羅針盤にして自分の体験世界を旅するが、柴崎さんは言葉で自分の体験世界を測量して「地図」を作っていく感じだ。
 柴崎さんはさまざまな資料を読み、他人の話を聴き、自分の置かれている現状を観察して、「どの部分が」「なぜ」難しいのかを考える。「地味に困っていること」「ワーキングメモリ、箱またはかばん」「『迷子』ってどういう状況?」といった項目について考察したあとに、いくつもの「余談」をくっつける書き方がユニークだ。柴崎さんの忙しい頭のなか、マトリョーシカのように次々と出てくる面白いエピソードに魅了されてしまう。体内に複数の時間が流れている感覚をガルシア=マルケスの小説を例に挙げて語っているくだりも目を瞠った。

 困りごとの解像度を上げていっても、必ずしも対処方法が見つかるとはかぎらない。かえってつらくなることもある。ただ、柴崎さんの歩いた道のりを一緒に歩くことで、世界の見え方は少し変わる。「おわりに」にある、この言葉をおぼえておきたい。
〈こないだはこうしてみたけど、次はこうしてみよか、ぐらいの感じで日々生きていけたらなあ、と思う。私も、私じゃない人も〉。

<石井千湖のブックレビュー 本のみずうみ>記事一覧

画像: 石井千湖 近著「『積ん読』の本」(主婦の友社)が多くの書店のベストセラーリスト入り。“読書を愛する人”を増やし続ける書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経て、書評家、インタビュアーとして活躍中。新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿をはじめ、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。ほか著作に『文豪たちの友情』(新潮文庫)、週刊誌の連載をまとめた『名著のツボ 賢人たちが推す! 最強ブックガイド』(文藝春秋)がある。

石井千湖
近著「『積ん読』の本」(主婦の友社)が多くの書店のベストセラーリスト入り。“読書を愛する人”を増やし続ける書評家、ライター。大学卒業後、8年間の書店勤務を経て、書評家、インタビュアーとして活躍中。新聞、週刊誌、ファッション誌や文芸誌への書評寄稿をはじめ、主にYouTubeで発信するオンラインメディア『#ポリタスTV』にて「沈思読考」と題した書評コーナーを担当。ほか著作に『文豪たちの友情』(新潮文庫)、週刊誌の連載をまとめた『名著のツボ 賢人たちが推す! 最強ブックガイド』(文藝春秋)がある。

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