BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY YUSUKE MIYAZAKI, WATARU ISHIDA
中村壱太郎と市川團子
歌舞伎で結ばれた絆
(2023年9月公開記事)
世代の違いを感じることなく、互いの思いを語り合える間柄。この交流が、輝かしい成長へと導く
6月の『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』や8月の納涼歌舞伎の『新・水滸伝』(ともに歌舞伎座)に出演し、その活躍ぶりで注目されている中村壱太郎と市川團子。ふたりが舞台で初めて共演したのは今年5月の明治座の公演のとき。会話を交わす様子からは今年が初共演だとは感じさせない雰囲気が漂っている。ふたりはいつ出会ったのだろうか。

中村壱太郎(なかむら・かずたろう)
1990年東京都生まれ。父は四代目中村鴈治郎、祖父は四世坂田藤十郎。屋号は成駒家。1995年1月大阪・中座『嫗山姥』で一子公時で初代中村壱太郎を名乗り、初舞台。2019年11〜12月には南座『金閣寺』で雪姫を初役で演じた。2020年には配信ライブで「中村壱太郎×尾上右近ART歌舞伎」公演を開催し、話題となった。
https://kazutaronakamura.jp

市川團子(いちかわ・だんこ)
2004年東京都生まれ。父は九代目市川中車、祖父は二代目市川猿翁。屋号は澤瀉屋(おもだかや。「瀉」のつくりは正しくは「わかんむり」)。2012年6月、新橋演舞場でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』のワカタケル役で五代目市川團子を名乗り、初舞台。2013年10月、国立劇場『春興鏡獅子』の胡蝶の精で、国立劇場賞特別賞を受賞。現在、大学2年生。学業と芸道を両立しつつ、精進している。
「12年前、彼が"團子"を襲名する前でした。(市川)猿之助さんや僕が出演していた新春浅草歌舞伎を(市川)中車さんと一緒に観にいらして、初めてお会いしました。僕が21歳だと聞いた彼は、僕を"21歳さん"って呼んでくれました(笑)。好奇心が旺盛で、面白い子がきたなって思いました。懐かしいです」(壱太郎)
それほど遠い存在ではなかったふたりは、いつしか年の離れた兄弟のように。出会ってからは南座の楽屋でボードゲームをして遊んだり、同じ月の公演で違う部に出演したりと交流が続き、コロナ禍ではこれから自分たちが目指すことについて語り合ったという。歌舞伎に対する熱量はもちろん、"台本の書き込み"が似ているといった共通点が多いことも実に興味深い。
「祖父(市川猿翁)や僕に似た台本の書き込みをする人は壱太郎さんが初めてでした。3人とも何が書いてあるか読めません(笑)。僕は頭に思い浮かんだことをすぐに書きたいんですが、手が追いつかなくて崩れ字みたいになってしまいます」(團子)
「僕が思うに、あとになって見たときに字が読みにくいのは、芝居を見て書いたときのテンションが字にも伝わっているからなんですよ(笑)。書くスピードが頭に追いつかない。お弟子さんに"これなんて読むの"って自分が書いた字を解読してもらうこともあります」(壱太郎)
稽古を通してもっといい芝居になるようにと、その瞬間に感じたことを言葉にして残す台本の書き込みは、のちに貴重な宝物になる。笑顔が絶えない様子から、お互いの考えを話せる関係であることが伝わってくる。壱太郎は、今19歳の團子に当時の自分を重ねつつ、その思いを語った。
「8月の『新・水滸伝』の稽古のとき、林冲(りんちゅう)役の(中村)隼人くんが大阪松竹座に出演中で不在だったので、代役が演じて進めていくんですが、あるとき團子くんが自身の彭玘(ほうき)役を演じつつ、林冲の代役を勤めたことがありました。もちろん真剣に演っていて、代役だとかは関係なく楽しみながら取り組んでいることが素敵だなと思って、見ている僕自身もうれしかったです。僕も以前は稽古のときの代役を演らせていただくことはありましたが、年齢が上になってくると機会が減ってしまいます。まさに代役は若さの特権なので、どんどん挑戦するといいと思います。19歳といえば僕が『曽根崎心中』のお初を初役で演らせていただいた歳ですが、あのときは緊張しすぎて自分を追い込んでしまいました。自分が何もできないことに気づいて、舞台稽古のあと祖父からダメ出しをもらわないといけないのに、楽屋に閉じこもってしまったんです」
隣で聞いていた團子も深くうなずきながら続ける。
「わかります。僕も自分にキレてしまうことがありました。僕は"世間体がいい子ちゃん"なだけで、母やお弟子さんたちには一番迷惑をかけていると思います。当然ではありますが、人にあたらないように気をつけています」
自分との葛藤は、いつか舞台の真ん中に立つ俳優が必ず通る道。さらにふたりには偉大な祖父という存在がいるという共通点もある。壱太郎は自身のターニングポイントとして祖父である坂田藤十郎の襲名を挙げた。
「祖父は70歳を超えてから坂田藤十郎を襲名して、もう一度新たな気持ちで演るという姿を間近で見せてくれて、一生突き詰めていける仕事であることを体現してくれました。名実ともに歌舞伎俳優であり続けたし、僕自身もそれを目指して、自分が演じる役を祖父から習うようにもなりました。それが大きかったですね」
團子も祖父・市川猿翁の会報誌から学びを得ている。
「10月には立川で、『義経千本桜』の『道行初音旅(みちゆきはつねのたび)』(吉野山)で忠信を初役で勤め、壱太郎さんの静御前と初共演させていただきます。祖父が得意とした演目で、後援会向けの会報誌の中に『吉野山』に関する芸談があったので読みました。場面の意味に加え、忠信と静御前は主従関係であることが大前提だと書かれていました。色っぽい歌詞のところは色気がありすぎると恋人同士のようになってしまうし、なさすぎても違うのでいいところを取り、戦の"物語"のところは狐忠信(狐の化身)としてよりも佐藤忠信の気持ちで語るのが大事だと書かれていました。この会報誌は全部で70号くらいあるのですが、まずは1号からラストまでちゃんと読破したいと思っています」
これまでにも静御前を経験してきた壱太郎は、相手役が変わることで受け止め方も変わるのだろうか。
「やっぱり同じ振りであっても変わってきますね。團子くんが言うように役の性根のところをどう思っているかで忠信の本質が出てきます。『吉野山』は単品でも踊りとして素敵ですが、今回は忠信篇として物語に沿って上演されるので、ほかの場面の忠信と役者が違っても同じ気持ちで演じなければいけません。團子くんの"初忠信"の舞台に立ちあえるうれしさと、どんな静御前で演ろうかなという楽しみもあります」
舞台への使命感にも、ふたりには通じ合うものがある。
「未来に歌舞伎をどう残すかということでしょうね。何が正解なのかはわからないけれど、あのときあれをやっておけばよかったと後悔しないようにすることを一番意識しています」と語る壱太郎の言葉を受けて、「僕はまだ何もわからないですが、今はがむしゃらに、一生懸命に頑張ることが一番大切だと思っています。自分で限界を決めずに、ずっと頑張り続けたいです」と團子。同じ思いを抱いている。
生の舞台を通して、ふたりが挑む"今"を感じてほしい。それが歌舞伎の未来へとつながっていく。

BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY YUSUKE MIYAZAKI, STYLED BY ATSUSHI KIMURA, HAIR & MAKEUP BY KENSHIN
「立川立飛歌舞伎特別公演」(本公演は終了しています)
『義経千本桜 忠信篇』
日時:2023年10月23日(月)〜28日(土)13時開演
会場:立川ステージガーデン
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令和を駆ける“かぶき者”たち
Vol.3 市川團子
(2024年6月公開記事)

スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」小碓命/ヤマトタケル=市川團子
歌舞伎俳優にとって、子役から大人の役へと移行する大事な時期にある市川團子さんは現在、20歳。そんな彼が2024年は2月、3月に東京・新橋演舞場で上演されたスーパー歌舞『ヤマトタケル』の主演に中村隼人さんのダブルキャストとして抜擢された。そして5月の名古屋・御園座での再演では、早くも単独で主役を勤め、6月は大阪松竹座の再演が控えている。若くして舞台の真ん中に立つことに、團子さんはどんな思いを抱いているのだろうか?
スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』は團子さんの祖父、三代目市川猿之助(後に二代目市川猿翁)から依頼された哲学者の梅原猛が日本神話の日本武尊の伝説を基に脚本を手がけて1986年に初演され、歌舞伎の新しいジャンルを切り拓いた第一作目である。
物語は謀反を企んでいる双子の兄、大碓命(おおうすのみこと)を誤って手にかけてしまった弟の小碓命(おうすのみこと)は、事実を伏せたために、父である帝の怒りを買い、一人で熊襲の国を征伐するという役目を与えて大和の国から追放されるところから始まる。兄橘姫(えたちばなひめ)は夫・大碓命の仇討ちをしようとするが、小碓命の優しい人柄を知り、恋い慕うようになる。小碓命は熊襲のタケル兄弟を倒して、その武勇を称えて「ヤマトタケル」という名を与えられる。そして討伐に成功して喜んで都へ帰るのだが、帝の許しを得ることができず、さらに蝦夷征伐を命じられ、道中では愛する弟橘姫(おとたちばなひめ)が嵐を鎮めるために犠牲となるなど、試練が続いていく……。最後は伊吹山の山神退治で深手を負い、とうとう息絶えてしまったヤマトタケルは、大きな白鳥の姿になって「天翔る心、それがこの私だ」と言いながら、飛び立っていくという感動的な場面で幕を閉じる。6月の松竹座では團子さんは、この大碓命と小碓命、後にヤマトタケルを演じている。
──5月17日に名古屋・御園座にて取材
スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』に出演することが決まったときはどんな心境でしたか?
團子: ただ、ただ、放心状態でした。『ヤマトタケル』は子どもの頃から見ていて、かっこいいなと思っていたので、まさか自分がそのヤマトタケルを演じさせていただくことになるとは全く考えていませんでした。放心状態は今も続いています。


──2012年6月に新橋演舞場で市川團子を襲名し、初舞台に立ったときはスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』でヤマトタケルの息子であるワカタケルを演じられました。当時のことで覚えていることはありますか?
團子:はい、「女ではない。私は男だ」という小碓命の台詞や音楽などを覚えています。また初めてのことばかりでずっと興奮していて、舞台裏でいろいろな方のお部屋に行って遊んでいただいたことも覚えています。当時はまだ“演じる”という感覚がなかったので、”ワカタケルをこういうふうに演じよう“という気持ちはありませんでした。はっきりとした記憶ではないのですが、その時観たり聞いたりしたものを、ふと思い出します。
──小碓命は19歳なので、團子さんとはまさに同世代です。今、この役を演じることに何か意味のようなものはあるとお感じですか?
團子:先輩から言っていただいて気づけたことがあります。最後にヤマトタケルが死ぬ場面での台詞は、発し方によっては言い訳がましく聞こえることもあるけれど、若い人が言うことによって、そういう風には聞こえなかったとおっしゃってくださいました。もし自分の若さが舞台にプラスの印象を与えることができているのであれば、とても嬉しいです。しかし、初演時に46歳だった祖父が演じたヤマトタケルの立ち廻りの動きは全然速くて、改めて祖父の偉大さを痛感しています。
──スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で主役を演じることは、昨年初役で勤めた『義経千本桜』の忠信を演じたときとはアプローチの仕方は違うのでしょうか?
團子: 違わないと思います。去年の8月の歌舞伎座と9月の南座で上演された『新・水滸伝』で彭玘(ほうき)を演じたときは、市川青虎さんが以前になさっていた映像を観て、また、お稽古場でも演技や動きについて教えていただきました。この公演中に気づいたことがあります。それは台本を読む時に、書かれていないことを想像したり、どうしてこういう気持ちになったんだろうと考えるようになったことです。そういう意味で、ほんの少しですが、今回のヤマトタケルでは自分で考えた部分もあるのかなと思います。


──すでに2月と3月に新橋演舞場でヤマトタケルを演じる経験を積まれましたが、実際に演じて、回を重ねることで実感したことはありますか?
團子:東京では上演時間の3時間、ずっと無我夢中で演じていました。しかし、先輩から「相手の芝居を受けたり、緩急をつけたりすることも大切」ということを教えていただき、例えば兄橘姫が敵を討とうと襲いかかってくる“明石の浜”の場面では、少し抑えるようにしました。気を抜くということではなく、肩に力が入ってガチガチになっていると緊張しっぱなしになってしまうので、抑えるところも作るということに、5月の公演では挑戦しました。
──お祖父様が会報誌に綴られた芸談を参考にされたところはありますか?
團子:祖父が1998年に『ヤマトタケル』を最後に演じたときの経験として「アクセルとブレーキが完備した」ということを、後援会の会報誌に書いていました。これは先ほどの「抑えるところを作る」ということにも通じることだと思います。大阪松竹座では、もっとしっかり緩急をつけられるように日々挑戦していきたいです。
──楽屋にはお祖父様の写真などが飾られていますか?
團子:以前ヤマトタケルの台詞にもある「天翔る心」という言葉を祖父が書いた色紙をくれて、それを飾っています。
──相手役の兄橘姫と弟橘姫は、新橋演舞場では中村米吉さんが演じ、御園座では中村壱太郎さんが演じました。二人の姫にはどんな印象を持ちましたか?
團子:僕は同じ役を違う人が演じるという経験をしたことがなかったので、同じ台詞を聞いているのに印象が変わったことに、とても驚きました。お二人の演じる兄橘姫と弟橘姫が全く違うということが、衝撃的だったんです。キャストの組み合わせが違うことでよく“化学反応が起きる”と言われますが、まさにこういうことを意味するのだと思いました。特に弟橘姫が入水する場面では、本当に全く違う人物という印象を受けました。壱太郎さんと米吉さんのイメージがそのまま弟橘姫に反映されていて、お二人の色を別々に受け取ったような印象でした。
──御園座、大阪松竹座と地方公演が続きますが、旅の公演ではどんなことを楽しみますか?
團子:名古屋ではホテルに帰って、ご飯を食べて、すぐに寝てしまっています。睡眠が好きなんです(笑)。地方だといつもとは環境が違うので、なるべく睡眠は取りたいと思っています。
松竹座のお舞台に出演させていただくのは今回が初めてなのですが、祖父が会報誌で、松竹座は音響が素晴らしいと書いていたので、そのお舞台に出させていただくことが、すごく楽しみです。


──現在大学に在学中なので舞台との両立は大変だと思いますが、学業にも取り組むことには、どんなことが良かったと思いますか?
團子:大学では歌舞伎の授業を取っているのですが、歌舞伎を客観的に、そして論理的に観ることができる講義がすごく面白いです。台本を読むことにも論理的な視点も必要だと思いますが、大学の授業でレポートを書くことが論理的な思考能力の向上に繋がって、台本を読み解く力になっているかもしれないと思います。残りの学生生活では、芸術の学科なので、歌舞伎に限らず、他の分野の芸術の知識を学ぶことができたら嬉しいです。
──最後にスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』を初めてご覧になる方にはどんなところをオススメしますか?
團子:ほぼ現代語で歌舞伎を観たことがないという方にも分かり易く観ていただけると思います。この作品には、親子の葛藤、兄弟の葛藤、男女の愛情、友との友情、自分はどう生きるのか、戦に対しての考え方など、人間の普遍性がすべて詰まっています。立廻りあり、早替りあり、宙乗りありと視覚的にも面白く、衣裳も本当に綺麗で、どの世代の方にも楽しんでいただけると思います。毎日、進化できるように頑張りますので、ぜひ観ていただけたら嬉しいです!



市川團子(ICHIKAWA DANKO)
東京都生まれ。父は九代目市川中車、祖父は二代目市川猿翁。屋号は澤瀉屋2012年6月、新橋演舞場でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』のワカタケル役で五代目市川團子を名乗り、初舞台。2013年10月、国立劇場『春興鏡獅子』の胡蝶の精で、国立劇場特別賞を受賞。現在、大学3年生に在籍中
©SHOCHIKU
BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA
スーパー歌舞伎
三代猿之助四十八撰の内
『ヤマトタケル』 (本公演は終了しています)
【大阪松竹座】
上演日程:2024年6月8日(土)〜23日(日)
会場:大阪松竹座
住所:大阪市中央区道頓堀1-9-19
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹
【博多座】
上演日程:2024年10月8日(火)〜22日(火)
会場:博多座
住所:福岡市博多区下川端町2−1
問い合わせ:博多座電話予約センター TEL.092-263-5555
博多座オンラインチケット

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令和を駆ける“かぶき者”たち
Vol.8 市川染五郞
(2024年10月公開記事)

『源氏物語』光源氏=市川染五郎
平安時代に紫式部が綴った日本最古の長編小説『源氏物語』は、日本が世界に誇る名作で、歌舞伎でもさまざまな視点で上演されてきた。今回は五十四帖ある物語の中から、「六条御息所の巻」と題して、主人公の光源氏と、知性と品格を兼ね備えた年上の愛人、六条御息所を中心にしつつ、御息所の怨念に悩まされる正妻の葵の上の思いなどが描かれている。六条御息所を坂東玉三郎さん、葵の上を中村時蔵さん、そして光源氏は市川染五郎さんが演じる。大ベテランの俳優と次世代を担う花形俳優の共演には、大きな注目が集まっている。玉三郎さんを相手役に演じる染五郎さんに、その心境について伺った。
──今年はNHK大河ドラマ『光る君へ』が放映されていることから『源氏物語』に関心を持つ方も増えているようですが、染五郎さんはいかがでしたか?
染五郎:今回、光源氏を演らせていただくにあたって、いろいろと調べているところです。幻想的な世界観がすごく好きですし、人物の描写が細かく描かれていて、現代の人にも共感できる要素があるのかなということは、なんとなく思っていました。
──光源氏を演じることになった率直な気持ちをお聞かせください。
染五郎:一度は演じてみたい人物だとは以前から思っていましたが、まさか10代のうちに演らせていただけるとは思っていなかったので、お声がけいただいた時は、とても驚きました。それと同時に、光源氏という役に、ついに巡り会えたような嬉しさもありました。
演じてみたかったのは、物語自体の世界観に興味があったことや平安装束を綺麗に着こなしてみたいという思いがあったからです。スチール撮影の際に、装束を初めて着させていただきましたが、やはり着こなしづらいものなのだと実感しました。とてもゆったりしているのですが、シワが出ないようにピタッと着なければなりません。袖丈も腕よりも長いので、袖口の内側を手で握って持つのが平安装束の着方なのですが、ぐしゃっと握ってしまうと下品に見えてしまいますし、美しく扱うことがなかなか難しいと思いました。

『源氏物語』光源氏=市川染五郎

『源氏物語』光源氏=市川染五郎(左)、六条御息所=坂東玉三郎(右)
──特別ビジュアルの光源氏と六条御息所がとても素敵ですが、撮影時のエピソードがあれば教えてください。
染五郎:僕自身も玉三郎のおじ様が過去になさった時のお写真などを拝見して、それを参考にイメージしていたものもあったのですが、玉三郎のおじ様が顔(化粧)をする前に楽屋に来てくださって、光源氏の顔のイメージを伝えてくださいました。そして撮影の時は、目線のことや衣裳の扱い方なども細かく教えていただきました。
出来上がったポスターを見て思ったのは、玉三郎のおじ様がなさる六条御息所は、芝居の中では生き霊になって葵の上を呪うわけですが、写真では仲睦まじく写っているんです。きっとあの二人の姿が六条御息所の理想の絵なのではないかと、自分なりに解釈しました。
──今回の『源氏物語』ではどんな光源氏を描こうと思いますか?
染五郎:自分がまだ10代だということもあって、自分の若さをそのまま出せればいいなと思います。また、男としての大らかさも出せたらいいなとも思っています。シャープな感じを極力削って、角のない柔らかい人物を創り上げたいです。
──玉三郎さんと共演することには、どんな期待をされていますか?
染五郎:玉三郎のおじ様とは9月の秀山祭でも『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』でご一緒させていただき、主に声の出し方の技術的なところや義太夫狂言の根本的なところを教えていただきました。『妹背山婦女庭訓』は古典の義太夫狂言で、台詞回しや間の取り方があるので、そういう決まっている台詞にどのようにして気持ちを乗せていくかが大切です。気持ちがしっかりとできていても、それが古典の表現に乗らなければ古典歌舞伎として成立しないので、それが難しかったです。今回の『源氏物語』は新作なので表現方法など、感覚的に違うと思うので、また新たにいろいろなことを教えていただけるのがとても楽しみです。
発声法としては、喉の奥の方をきちんと開けるとか、口の中の空間を意識して響かせるように声を発するとか、これまでも自分なりに意識しているつもりでしたが、玉三郎のおじ様のご指導は今までに経験したことがなくて、新鮮でした。床に寝そべって台詞をいうとか、身体をぶらぶら揺らして、脱力して声を出すとか。このご指導のおかげで自分でもわかるほど、出す声が変わったと思います。
これまでご一緒する機会があまりなかったので、僕の恋人役を演じる日が来るとは思わなかったと玉三郎のおじ様もおっしゃっていました。おじ様の中では僕のイメージが小さい頃のまま止まっていたそうです。僕自身もご一緒できるとは思っていなかったので、このひと月はおじ様に食らいついていきたいと思います。

──ご自身のこれまでを振り返って、気づきを得ることができたと思える舞台があれば教えてください。
染五郎:少なくとも今年1年を振り返ると、1番印象的なのは2月の博多座で『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』です。江戸川乱歩の作品を歌舞伎化したものですが、僕にとって本当に小さい頃からの憧れの役で、その作品に出演できたことももちろんですが、今回は脚本の打ち合わせから全部、作品づくりそのものに関わらせていただいたことも嬉しかったです。
僕は小さい頃からお芝居を作ることに興味がありまして、新作に出させていただくたびに、自分なりの演出を頭の中で想像を巡らせていましたが、実際に舞台でやることはなかったので、それを初めてやらせていただいたという意味でも印象深い経験でした。
また、僕は自分を俯瞰で見てしまうタイプで、それは自分では長所だと思っています。演じる人物を俯瞰して見ることも大切ですし、作品を創る上では作品全体を見なければならないので、そのためには視野を広くもたなければなりません。そういう意味で演じる側の立場であると同時に、創る側の立場にもなるのは、僕自身には向いていることかなと思っています。チラシの演目名の右側に「市川染五郎演出」とクレジットが入るのが僕の夢です。何十年も先のことかもしれませんが、いつか必ず実現させたいです。
──いつか演じてみたい役を挙げるとしたら何の役ですか?
染五郎:1番憧れているものを挙げるなら、当然『勧進帳』の弁慶です。僕は弁慶以外でも『金閣寺』の松永大膳のような太い役が好きで、わりと声も太いほうが出しやすいんです。
──9月の秀山祭ではお父様の松本幸四郎さんがその弁慶を演じ、染五郎さんは義経を勤められました。同じ舞台に立ってみて、印象に残っていることはありますか?
染五郎:秀山祭では、父は播磨屋(二世中村吉右衛門)のおじ様のやり方で弁慶を演じていました。弁慶は父にとっても、子どもの頃からの憧れの役です。それなのに、先日、「あと1回くらいは弁慶を演ってみたい」と言っていて、「いや、1回だけなの? 40代になってからやっと叶った夢なのだから、そう言いながらもっと演るでしょ?」と聞きながら思っていました(笑)。
確かにとても体力の必要なお役で、最後に花道で六方を踏んで揚幕へと向かっていくときも、揚幕の内側に後見が待ち構えていて、鳥屋に入ってきた時にラグビーのタックルをするように後見が受け止めないと弁慶は止まれないんです。それぐらいの勢いがあります。父は引っ込みの六方も秀山祭では播磨屋のおじ様のやり方でやっていたので、高麗屋とはまた違います。今回も弁慶の横にいて、そういう思いを感じていました。
──舞台に立つ上で、歌舞伎にまつわることを日々勉強されていることが伝わってきますが、プライベートな時間は何をして過ごされるのでしょうか?
染五郎:昔からゲーム好きで、夜中にゲームをしています。「フォートナイト」というオンラインゲームが特に好きなのですが、「クリエイティブ」という自由にコンテンツを創ることができるモードを楽しんでいます。このクリエイティブモードの世界ではたまに歌手の方がバーチャルライブをしていることがあって、バーチャルを生かした演出が見ていてとても面白いんです。すごい巨大化したものが同上したり、空間が360度見られたりするので、ここで歌舞伎をやりたいと思いました。結局、歌舞伎に繋げてしまいます(笑)。
──染五郎さんの同世代や次世代の人たちに歌舞伎を観てもらうために、挑戦したいと思っていることはありますか?
染五郎:最近のお客様の中には、伝統芸能というよりは、歌舞伎を演劇としてご覧になっている方が多いような印象があります。だからこそ、歌舞伎の型にも、その根底には人物の心理というものがあるということを意識して演じなければならないと思っています。演じる役の心理描写をきちんと積み上げずに、歌舞伎っぽい台詞回しや動きに頼ってしまうと、ただ単に歌舞伎風に演っているだけになってしまいます。“歌舞伎風の歌舞伎”であってはいけないと思います。かつて祖父(松本白鸚)が「梨苑座」というものを立ち上げて、歌舞伎の演劇的な部分を模索していたことがあるのですが、僕はこの「梨苑座」を復活させたいと考えています。当時は『夢の仲蔵』という中村仲蔵の話を描いた作品を手がけていましたが、今でこそ演劇的な歌舞伎はナチュラルに受け容れていただけるような気がします。『夢の仲蔵』も演りたいですし、自分で新たに創ることにも挑みたいです。

──初日を迎えて 10月10日に電話で取材
実際に舞台に立つことで、どんなことを実感されていますか?
染五郎:今回は、舞台に几帳が置かれているだけという抽象的なセットで、盆(廻り舞台)を回すくらいしか変化はありません。ですから情景やシチュエーションをお客様の想像に委ねているので、そこに難しさがあることを舞台に立ってみて実感しました。
玉三郎のおじ様からは、初日が開いてからも、声の出し方など、今までの僕が経験したことのない角度からの視点でいろいろと教わっています。光源氏は、架空の人物とはいえ、日本人の中には根付いている人なので、新作ではありますが、ゼロから創れる役ではありません。おじ様からも「台詞劇ではあるけれども、時代物を意識して演じた方が良い」と教わりました。
──葵の上を演じる中村時蔵さんとの共演にはどんなことを感じていますか?
染五郎:時蔵のお兄さんは演じる人物を一つ一つ丁寧に積み重ねて創っていらっしゃることをすごく感じていたのですが、今回の舞台でもそうして創り上げた本当の葵の上としていてくださいます。当たり前のことをとても自然になさっているところがすごいと思いました。僕が言うのもおこがましいですが、その葵の上がいてくださると、僕自身も光源氏としていやすいので、毎日すごいなと思いつつ、ありがたいです。

『源氏物語』光源氏=市川染五郎(左)、葵の上=中村時蔵(右)
──染五郎さんは普段から舞台にいるご自身を俯瞰して見ていらっしゃるとのことですが、光源氏はご自身の目にどのように映っていますか?
染五郎: どんな役でも客観的に見て、自分自身を分析していかないと成長できないと思っているので、そこは変わらず、いつものように自分を俯瞰しています。
今回は登場の仕方がすごく怖いです。お客様をじらして、じらして、幕が開いてから30分ぐらい経って光源氏はやっと出てきますが、それがすごく得だと思うと同時に怖さも感じています。お客様が待ちに待ったという空気の中に出ていくわけですから。そういう意味でもお客様のイメージの中にある光源氏像に、100パーセントハマっている人物として出ていかなければならないことへの恐れかもしれません。

市川染五郎(ICHIKAWA SOMEGORO)
東京都生まれ。父は松本幸四郎。祖父は松本白鸚。2007年6月歌舞伎座『侠客春雨傘』の高麗屋齋吉で、本名の藤間齋(ふじま・いつき)の名で初お目見得。09年6月歌舞伎座『門出祝寿連獅子(かどんでいおうことぶきれんじし)』の童後に孫獅子の精で四代目松本金太郎を名のり初舞台。18年1・2月歌舞伎座で八代目市川染五郎を襲名。
©SHOCHIKU
BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA
錦秋十月大歌舞伎 (本公演は終了しています)
昼の部 11:00開演
一、『平家女護島 俊寛』
二、『音菊曽我彩 稚児姿出世始話』
三、『権三と助十 神田橋本町裏長屋』
夜の部 16:30開演
一、『婦系図 本郷薬師縁日 柳橋柏家 湯島境内』
二、『源氏物語 六畳御息所の巻』
※市川染五郞さんは、
夜の部『源氏物語 六畳御息所の巻』
に出演。
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年10月2日(水)〜26日(土)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

撮り下ろし舞台写真で愛でる
令和を駆ける“かぶき者”たち
Vol.9 尾上左近
(2024年11月公開記事)

『三人吉三巴白浪』お嬢吉三=尾上左近
毎年、歌舞伎座の11月といえば、歌舞伎界の主要な俳優たちが出演する「顔見世」が年中行事として開催されるが、今年は趣向を変え、「十一月歌舞伎座特別公演 ようこそ歌舞伎座へ」と銘打った公演が行われている。歌舞伎座と歌舞伎の魅力を紹介する『ようこそ歌舞伎座へ』と、河竹黙阿弥の人気作『三人吉三巴白浪』、長唄の舞踊『石橋』の3演目が上演されている。この特別な機会に白羽の矢が立ったのは、尾上左近。現在18歳の彼は、初役で『三人吉三巴白浪』のお嬢吉三を演じる。音羽屋のホープは、このチャンスをどのように捉えているのだろうか。
──左近さんにとって“歌舞伎との出会い”だと思える出来事はありますか?
左近:生まれた時から歌舞伎がある環境だったので、“出会い”というものはありませんでしたが、強いて言うならば“歌舞伎の家に生まれたこと”自体が出会いでしょうか。でも、歌舞伎というものを意識したのは父(尾上松緑)が『蘭平物狂』(2014年6月)を演じたときです。僕の「尾上左近」としての初舞台でもあったのですが、改めて“歌舞伎はかっこいいものなんだな”と思ったことを覚えています。
──これまでに経験された舞台で印象に残っている演目を教えてください。
左近:『太刀盗人』(2021年10月歌舞伎座)で従者を勤めさせていただいたときに、大人の役を経験し、意識が変わりました。声変わりが始まった時期だったこともありますが、子役から大人の役に変わったという自分の意識だけでなく、お客様がご覧になる目も大人の役者を見る目に変わっていくことを感じました。このときのすっぱの九郎兵衛が父で、田舎者万兵衛が(中村)鷹之資のお兄さんだったのですが、鷹之資のお兄さんと共演したこともまた、僕にとって良い刺激になりました。僕にとって7つ歳の離れた身近な先輩なので、そのお兄さんがお芝居に堂々と取り組まれている佇まいを近くで拝見し、僕の意識は少し変わったように思います。
──2023年11月に歌舞伎座で『顔見世季花姿繪(かおみせづきはなのすがたえ)』で左近さんがなさった静御前には気品があって存在感が際立っていました。この時の公演で何か覚えていることはありますか?
左近:歌舞伎の典型的なお姫様である“赤姫”の拵えをするのは初めてでした。踊りでは、女方のその他大勢のお役で踊らせていただいたことは何度かあったのですが、昨年の『娘七種(むすめななくさ)』は曽我五郎、曽我十郎兄弟と静御前を描いた舞踊劇で、歌舞伎座の舞台の真ん中で踊らせていただくという重圧がもちろんありました。その精神的な面以外にも、衣裳の扱いが大変だったので、少しでも慣れるように、普段は浴衣で行う稽古場でのお稽古の時から衣裳を着せていただきました。
踊りの場合は基本的に振付師の方がいらっしゃるので、他の方に教わる機会がない時もあります。静御前を演じる上では、父からのアドバイスもあって、当時(中村)梅枝さんだった(中村)時蔵のお兄さんに踊りを見ていただいて、衣裳の扱いや女方としての踊り方などを教えていただきました。とてもいい経験だったと思います。

『三人吉三巴白浪』お嬢吉三=尾上左近

『三人吉三巴白浪』お嬢吉三=尾上左近
──2024年は歌舞伎座に出演される機会も多く、「秀山祭九月大歌舞伎」では『妹背山婦女庭訓』で赤姫の雛鳥を初役でお勤めになりました。この時、母親の定高役の坂東玉三郎さんと共演されましたが、ご一緒してどんなことを教わりましたか?
左近:玉三郎のお兄さんの稽古は、演劇をする人間としての基礎を教えていただくもので、今までの自分を全部分解してからたて直すという特殊なお稽古でした。もちろん、お役に関することもたくさん教えていただきましたが、玉三郎のお兄さんは特に発声の仕方と気持ちの2つを両立させることを大切になさっていました。役の気持ちになっていなければ声を出そうとしてもできないですし、その逆も然りです。例えば発声練習としては“手をぶらぶらしながら走って台詞を言ってごらんなさい”とおっしゃって、どんな効果があるのだろうと思いながらやってみると、お兄さんがおっしゃる通り、声が出しやすくなるという変化がありました。どうすれば声が出るか、体が楽になるかということなのだと思います。体を使いながら教えていただけるので、体育会系の指導でしたが、わかりやすくてとてもいい経験になりました。このひと月を経て得た学びが、次の芝居でどのように生かせて何ができるのかを試したくなりましたし、玉三郎のお兄さんにはとてもありがたいという思いとともに、また別の劇場で、別のお役を教えていただけたらと思っています。
──音羽屋にとって大事な作品である『三人吉三巴白浪』でお嬢吉三を演じることが決まった時の心境を教えてください。
左近:お嬢吉三のお話をいただいた時は父から電話で知り、僕にとって憧れのお役だったので、演らせていただけることに本当に舞いあがっていました。それと同時に歌舞伎座で演らせていただくことには、恐れも出てきますし、重圧もありました。
──今回は尾上菊五郎さんからお嬢吉三を教わったそうですね。左近さんはかねてから菊五郎さんが演じるお嬢吉三に憧れを抱いていたそうですが、どんなところに惹かれ、また、今回のご指導ではどんなことを教わりましたか?
左近:僕の中にあるお嬢吉三そのものが、菊五郎のお兄さんです。少し影を感じるヒール感があるところにずっと憧れていて、そのお兄さんから直に教えていただけることが、とてもありがたかったです。
今日(10月31日)も舞台稽古を見ていただいて、いろいろなアドバイスをいただきました。「世話物だからといって、役者間で完結させてはいけない。すべてがお客様に対してあるものだから、お客様を意識して、お客様を第一に考えなさい」とおっしゃいました。確かにその通りだと思いましたので、これからも僕の芯に置く考え方として大切にしたいと思います。
──お嬢吉三といえば「月も朧に白魚の篝も霞む春の空……」で始まる名台詞が有名ですが、お稽古でこの台詞を発してみて、今まで観ていたのと演じるのでは全く違うものですか?
左近:全然違います。菊五郎のお兄さんからは「気持ち良さそうに演るというのは自分が気持ち良くなるのではなく、お客様をそういう気持ちにさせるもの」だと教わりました。もちろん、「自分で歌うように台詞を言って、自分も気持ちよくならなければいけないけれど、それは軽くやるのでも、役になりきるのでもなく、考えて言っている台詞だ」ともおっしゃっていました。

『三人吉三巴白浪』お嬢吉三=尾上左近

『三人吉三巴白浪』お嬢吉三=尾上左近
──『三人吉三巴白浪』にはお嬢の他にも、お坊吉三と和尚吉三というお役もありますが、いつか演じてみたいというお気持ちはありますか?
左近:和尚吉三、お坊吉三は僕の家としては代々演じてきたお役なので、もちろん憧れはあります。しかし今はお嬢吉三に焦点を絞って、これからも演らせていただけるようにもなりたいですし、それこそ菊五郎のお兄さんのように“お嬢の役者”だと思っていただけることを目指したいという気持ちもあります。
今の僕は、軽々しく立役も女方も両方ができるようになりたいとは言えません。“ニン”というものは自分で決めるものではなく、ご覧いただくお客様に求められることでもあると思いますし、今後自分の気持ちや体型などがどうなっていくのかはわかりません。ですからそこはあまり意識せずに、今いただいたお役を精一杯演じていきたいと思います。
──“ニン”という言葉でいえば、お父様の松緑さんとはタイプが違うと思いますが、そういう意味でお父様から何かアドバイスはありますか?
左近:父は「俺とお前は違うから、俺がやってきた道を目指す必要はない。いろいろな方に教わりなさい」という教育方針なので、僕はいろいろな先輩方から教えていただいています。ただ父は自分が経験したことのないお役に関しても相手役として演じた時のことを思い出して話してくれます。『三人吉三巴白浪』でいえば、和尚、お坊を演じたときにいろいろな方が演じるお嬢吉三と共演しているので、「あの人はこういうふうに演っていたよ」とか、女方、立役ではなく、役の根本的なところを細かく話してくれます。
──演じる役と丁寧に向き合っていらっしゃるようですが、プライベートな時間ではどんなことをして過ごしますか?
左近:特に趣味はないのですが、インドアタイプなので、家に籠もって漫画を読んだりアニメを観たりして過ごします。映画やドラマも好きで、常に何か物語を見ていたいという気持ちがあります。そういう物語に浸っていると、自分のことをあんまり考えずに済むことが好きです。物語を観ることで、現実を考えない時間が欲しいです(笑)。

『三人吉三巴白浪』お坊吉三=中村歌昇(右)、和尚吉三=坂東亀蔵(中央)、お嬢吉三=尾上左近(左)
──初日を迎えて 11月3日の終演後に電話で取材
実際に舞台に立つことで、どんなことを実感されていますか?
左近:足が震えるほど花道から出て行くのが怖かったです。お客様がいる空間に出ていくことへの恐怖ではなく、お嬢吉三という役に対する恐怖だと思います。例えば菊五郎のお兄さんが演じたお嬢吉三というものが、お客様の目や耳にあるだろうと思うと、恐ろしくなりました。
父からも、「揚げ幕から出た時からお嬢になるのではなく、花道に出る前に役になりきっていなければならない」といわれていて、それを意識したつもりではいましたが、それでも怖い思いはありました。
──客席から観た光景や“待ってました”という大向こうがかかった時はどんなお気持ちでしたか?
左近:なるべくお嬢として自然体でいようと思っていたのですが、気持ち的には目の前は真っ暗でした。まだ3日目なので余裕もありませんが、(坂東)亀蔵のお兄さんと(中村)歌昇のお兄さんとに助けていただいて、そこから徐々に大川端の舞台が見えていったように思いました。最初の出のところは、僕をずっと支えてくれている尾上緑さんがおとせ役だったので、それにも助けられていたのですが、おとせを川へ落としてしまうと、舞台上ではたった1人になって「月も朧に」の台詞を言う瞬間が待っているので、あそこが1番恐ろしかったです。
でも大向こうがかかると元気づけられるといいますか、本当に演じる者にとって力になりますね。菊五郎のお兄さんが「役者だけで完結させてはいけない」と仰っていたように、歌舞伎は役者だけで作るのではなく、お客様も含めて完成する芸術であることをつくづく感じました。「待ってました」という声はよく聞こえてきましたが、今回、お客様が待っているのは“音羽屋のお嬢吉三”だと思います。菊五郎のおにいさんから習った音羽屋のお嬢吉三をしっかりと作っていけるようにしなければならないと改めて思いました。お客様に気持ちよさそうに見せることの難しさというものがよくわかりました。
──尾上菊五郎さんからは何かお言葉はありましたか?
左近: 初日が終わった後に、菊五郎のお兄さんのところへご挨拶に行きまして、その時に少しお話させていただきました。お兄さんからは「お嬢吉三を自分のものにしていけ」と言っていただきまして、そのお言葉が本当に嬉しかったです。励みにもなりますし、その始めの一歩として演じ抜いて、いただいたお言葉を一生胸に抱えていきたいと思いました。

尾上左近(ONOE SAKON)
東京都生まれ。父は尾上松緑。2009年10月歌舞伎座『音羽嶽だんまり』の稚児音若で本名の藤間大河の名で初お目見得。14年6月歌舞伎座『倭仮名在原系図 蘭平物狂(やまとがなありわらけいず らんぺいものぐるい)』の一子繁蔵で三代目尾上左近を名のり初舞台。
©SHOCHIKU
BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA
十一月歌舞伎座特別公演 (本公演は終了しています)
上演日程:2024年11月1日(金)〜23日(土)
昼の部 11:00開演
一、「ようこそ歌舞伎座へ」
(映像)幸四郎による歌舞伎座裏側の場
虎之介による歌舞伎あれこれの場
二、『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』
三、『石橋』
※尾上左近さんは、
『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』に出演。
十二月大歌舞伎
上演日程:2024年12月3日(火)〜26日(木)
第一部 11:00開演
発刊30周年記念『あらしのよるに』
二代目澤村精四郎襲名披露
第二部 15:00開演
一、盲長屋梅加賀鳶『加賀鳶』本郷木戸前勢揃より赤門捕獲まで
二、『鷺娘』
第三部 18:20開演
一、『舞鶴雪月花』上の巻 さくら 中の巻 松虫 下の巻 雪達磨
二、『天守物語』
※尾上左近さんは、第二部『加賀鳶』に出演。
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

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