BY MASANOBU MATSUMOTO, PHOTOGRAPH BY TAKAHIRO IDENOSHITA
ザ・ロウ、ガブリエラ ハースト、アレキサンダー ワン、ジェイソン ウー。NYのファッションシーンを牽引するデザイナーやブランドが厚い信頼を寄せる工房がマンハッタンにある。大丸隆平が率いるoomaru seisakusho 2だ。デザインの企画やコンサルティング、パターンメイキング、サンプル縫製など服づくりのバックボーンを請け負い、いまでは、毎シーズン20〜30のブランドが彼らと一緒にコレクションを作る。なかには、ブランドが自社で作るのが難しいピース制作の依頼も来るという。なぜ、こういったクライアントから声がかかるのか? 大丸に尋ねると「それは、口コミです」との答えがかえってきた。
その“口コミ”の真意を説明するために、大丸はまず自身のキャリアについて話してくれた。彼は16歳のとき、独学で服作りをスタート。服飾専門学校を卒業したのち、パリコレにも参加する日本のデザイナーズブランドでパタンナーとして働いた。その手腕を買われ、当時、ラグジュアリーブランドを展開していたアメリカの大手IT大手企業に、デザイン部門のスーパーバイザーとしてヘッドハンティングされる。しかし、2006年に渡米をしたものの、そのブランドの経営状況が悪化。また、9.11テロの影響により就労ビザの抽選に漏れ、結果、NYでフリーターとなることを余儀なくされる。
「ただ、日本にはすぐに帰れない。ひとまずブルックリンにある、アジア人男性3人が住んでいるシェアハウスに入居して暮らしていたのですが、あるとき、ルームメイトから“服を作って”と頼まれたんです。彼は軽い気持ちだったと思いますが、こちらは作るからには本気。僕の服を喜んでくれたそのルームメイトが、服飾系の大学に通っている友人を紹介してくれて、その人がまたデザイナーの友人を紹介ーーと、人づてに僕の名前が広まっていったのです」
その先に待っていたのが、LVMHグループだった。口コミを耳にした担当者から突然、ダナ・キャラン・ニューヨークでテーラードを担当しないかと連絡があったという。一方で、同じく口コミから、まだデザイナーとして駆け出しだったプロエンザ・スクーラーやアレキサンダー・ワン、ジェイソン・ウーらの仕事も請け負うように。渡米からたった2年後の2008年、oomaru seisakusho 2を設立するに至った。
そして、2015年秋、大丸はB to Bではなく、oomaru seisakush 2の一般消費者向けの新しいチャレンジとしてブランドOVERCOATを立ち上げた。文字通りコートを中心としたコレクションで、コンセプトは“NYを着る”。「NYを歩いていて、カフェの軒先にあるオーニング(庇)のサインが面白いなと思っていて、まずは、その素材を使い、3着のコートを制作しました。NYの冬はとても寒くて、防寒具はマスト。ただ重衣料は、着ると気分が沈みがち。そこで、コート、もしくはコートの上からも着られる、ポップで楽しいアウターを作ってみたのです」。当初はコレクションではなく、プロジェクトとして考えていた。しかし、ここでも口コミで噂が広がり、気づけばポップアップイベントが決まり、取り扱う店舗も増えていったという。