弱冠19歳のときにクリエイティブ・ディレクターに就任し、約40年にわたり「アクリス」の舵を取ってきたアルベルト・クリームラー。家族や故郷の風景、才能あふれる友人たち。彼をインスパイアしてやまない大切なものについて語った

BY LINDSAY TALBOT, TRANSLATED BY CHIHARU ITAGAKI

画像: 「2003年、写真家のスティーブン・クラインに撮ってもらった私のポートレート。彼とは何度も一緒に仕事をしていて、最初の撮影は1995年、モデルはステラ・テナントでした。彼とはどのフォトグラファーよりも深いつきあいをしてきました。 ある意味では、アクリスのパブリックイメージの大半は彼がつくったといえますね」 STEVEN KLEIN, COURTESY OF AKRIS

「2003年、写真家のスティーブン・クラインに撮ってもらった私のポートレート。彼とは何度も一緒に仕事をしていて、最初の撮影は1995年、モデルはステラ・テナントでした。彼とはどのフォトグラファーよりも深いつきあいをしてきました。 ある意味では、アクリスのパブリックイメージの大半は彼がつくったといえますね」
STEVEN KLEIN, COURTESY OF AKRIS

「私はミシンのうなる音を聞きながら育ちました」と語るのは、アクリスのクリエイティブ・ディレクター、アルベルト・クリームラー。アクリスは1922年に彼の祖母、アリス・クリームラー=ショッホ(ブランド名は彼女の名前の頭文字に由来している)が立ち上げた、創業96年になる同族経営のブランドだ。このスイス発のブランドは、アルプス山麓の街サンガレンで、ドット柄のエプロンを作るところから始まった。サンガレンは刺しゅう技法で有名な街で、アクリス本社は今もこの場所にある。

60年代から70年代にかけて、アルベルトの両親であるマックスとウテは、テッド・ラピドスやジバンシィといったブランドと提携してプレタポルテ コレクションを発表し、アクリスの世界を広げた。若かりし頃のアルベルトは、家族とともに幾度も生地の見本市を訪れる旅をしたものだ。

そして1976年のパリ旅行の際、彼は初めてイヴ・サンローランのショーを見ることになる。「そのときでした、自分がファッションの世界に完全に魅せられたのは」とアルベルトは語る。彼はパリ・クチュール組合により設立された服飾学校、エコール・ドゥ・ラ・シャンブル・サンディカル・ドゥ・ラ・クチュールに進学しようとしていたが、アクリスのマネージング・ディレクターが急死したため、その計画は延期された。父に説得され、アルベルトはクリエイティブ・ディレクターとしてブランドに加わることになったのだ。1980年、まだ19歳のときのことだった。

 アルベルトは現在58歳。40年にわたり、ブランドの舵を取ってきた。その間にアクリスはメジャーなグローバルブランドへと変身したが、彼の持ち味であるミニマル志向のラグジュアリーと完全無欠なクラフツマンシップからは決してそれることがない。そして彼は、そのカラフルだがさりげないコレクションを生み出すために、今もサンガレンの職人たちを雇っている。そういった彼の美学には、熱心なファンがついている。たとえばモナコ公国のシャルレーヌ妃、起業家イーロン・マスクの母でありモデルのメイ・マスク、家具メーカー「ヴィトラ」CEOのノラ・フェルバウムといった忠実な顧客たちだ。「私の服はわかりやすいものではありません。トレンドを追った り、自分で自分を宣伝するような慎みのないことは嫌いなのです」と彼は言う。「むしろ私は、ドイツ語で言うゼルプストフェアシュテントリヒカイト(selbstverständlichkeit)、つまり『当たり前』の感覚や、『自然な雰囲気』を生み出したいと思っています」。

そのアイデアは、アルベルトが常に関心を抱いている分野である、建築の世界からやってくることが多い。彼は今までに、スイスの建築家ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンの手がけた建物の質感豊かな外観や、20世紀初頭のウィーンのアートや建築物などからインスピレーションを受けて作品づくりをしてきた。アルベルトは言う。「ファッションの背後に、物語や、デザインを導くコンセプトがあるとき、最高に興味深い服はそれ自体、ファッションを超えてアートにもなり得る。そう私は信じているのです」

 

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