BY JUNKO ASAKA, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO
東京・中央区の明正小学校。3年生の教室に入ると、子どもたち全員がコック帽を被ってさざめいていた。小さな顔よりもずっと大きな紙の帽子を頭にいただき、どの顔も少し誇らしげだ。
2018年の秋、第8回「味覚の授業」のひとコマが、この明正小学校で行われた。「味覚の授業」とは、1990年にフランスで始まった味覚の教育活動「味覚の一週間」の柱で、日本では2011年より毎年回を重ねている。昨年は北海道から沖縄まで32の都道府県、253校で582のクラスが開講。参加した生徒は16,000人を超える。講師として各学校を訪れた料理人やパティシエ、生産者は341名。すべてボランティアで、子どもたちに味の基本や食べる楽しさを伝えるべく、さまざまに工夫を凝らした授業を行なった。

「星のや東京」料理長の浜田シェフを取り囲む、中央区立明正小学校3年生の子どもたち(2018年当時)。シェフが用意した「りんごのシャルロット」を前に興味津々
COURTESY OF LA SEMAINE DU GOÛT
この日、明正小学校3年1組の「味覚の授業」を担当したのは、東京・大手町の日本旅館「星のや東京」で料理長を務める浜田統之さん。最初に子どもたちの前に用意したのは、白い皿にのったひとつのりんごだ。「これ何かわかる?」「りんごでしょ!」「そう。でもね…」浜田さんがりんごを持ち上げると、くり抜かれた果実の中から、繊細な装飾を施された小さなケーキのようなものが現れた。
カニの身と内子、カニ味噌、りんごで作った「りんごのシャルロット」。カニの身の塩み、内子の苦味、カニ味噌の旨味、そしてりんごの甘みと酸味ーー。「味覚の授業」の共通テーマである“五味”をすべて盛り込んだ、星のや東京が秋に提供していた料理のひとつだ。
さらに授業では、さまざまな“味の基本”となる調味料が全員に配られた。子どもたちがひとつひとつそれらを味見していく。天然塩、海藻からとったまろやかな藻塩、コクのあるきび砂糖、ビターチョコレート。紙コップには塩水やお酢、砂糖水、だしが用意されたが、どれも口にするまで中身が何かはわからない。

子どもたちに配られたさまざまな調味料。「塩水とお酢、砂糖水は見た目ではわからないよね。でもみんな違う味がする。どれも料理には大事な“味”なんです」と浜田シェフ
「こっちのお塩のほうがおいしい! なんだか甘い感じがするよ」「こっちはすまし汁の味がする!」と、味覚当てクイズのように子どもたちから次々に歓声が上がる。中には「このチョコレートはカカオ75%ですか?」といった大人顔負けの発言も。どの子も一心に口の中の味に集中し、それを自分なりの言葉で表現しようとしている。
「現代の子どもたちは、いいものも悪いものも含めて、触れる食のバリエーションが広いんですね」と授業のあとに浜田シェフは振り返った。「だからこそ、今日は精製していない塩や砂糖や、本当にいい出汁を味わってもらいたいと思って用意しました。ナトリウム99%の精製塩を使っている料理人もいますが、ただおいしいものを提供するだけではなくて、本当にいい素材、調味料とは何かを考え、若い人にそれを教えていくのも私たち料理人の役目なんじゃないかと思います」

「どんな味がする?」シェフの問いかけに、おそるおそる口に運んで「しょっぱい!」「しょっぱいけど、でもちょっとふつうの塩と違うみたい」「何の味だろう?」と、いつもよりも真剣に“味覚”と向き合う子どもたち
じつは浜田シェフは、総菜店を営む両親のもと、幼い頃から酢の物や辛いものなど幅広い味の料理を日常的に食べ、また店で出す新作料理を試食しては使われている食材を当てたりと、まさに「味覚の授業」を地でいく日々を過ごしていたという。前述の「りんごのシャルロット」の原型も、小学校の料理の授業で自ら思いついて作ったものだというから驚きだ。
「でも、実家は鳥取のすごい田舎でしたから、当時はスーパーもコンビニもなくて、今の子どもたちみたいにいろんなものを食べていたわけではないんです。味覚というのはある程度までできていれば、あとは自分で幅を広げることができる。私の舌も、料理人になってからいろいろ食べ歩いて身につけたものです。“食育”というなら、味覚の経験をたくさん積むことよりも、料理を作ったり一緒に食べたりする中で親と同じ時間を過ごすこと、食を通じていっぱいコミュニケーションをとることのほうがずっと大事なんじゃないかな」

浜田統之シェフ。2013年には世界のフランス料理の頂点を競う「ボキューズ・ドール」で日本人で初めて世界3位、魚部門で一位に輝いた日本屈指の料理人。料理長を務める「星のや東京」でも、「酸・塩・苦・辛・甘」の五味を大事に、日本ならではの天然素材とフレンチの技法を使った“NIPPONキュイジーヌ”を手がける。授業のあと、子どもたちに囲まれて
そう語る浜田シェフ自身、平日はなかなか一緒に過ごせない幼い息子さんたち2人と、週末は一緒に料理をつくることを習慣にしているのだそう。「フランスで買ってきた子ども用のコックコートを着せて。でもそんなに大したことはできないから、ハンバーグをこねこねしたり、大根をおろしたりする程度ですが、ふたりともすごく楽しんで手伝いをしてくれますよ」
授業の中で、最初は緊張気味だった子どもたちが、最後には浜田シェフに「今度、お店に行きます! お父さんに頼んで連れてってもらいます」「僕が料理長やってもいいよ!」とさかんに話しかけていたのが印象的だった。楽しみながら味を共有すること、そこにある驚きや発見をともに経験にすることには、人と人とをつなげる力があるーーそれを実感する授業だった。

昨年の「味覚の授業」で明正小学校の3年生を担当したパリの二ツ星レストラン「ル・グラン・ヴェフール」のギィ・マルタンシェフ
この秋も「味覚の一週間」が開催され、「味覚の授業」は全国各地で10月21日まで行なわれている。「味覚の授業」呼びかけ人である「オテル・ドゥ・ミク二」オーナーシェフの三國清三氏や「つきじ 田村」三代目の田村隆氏をはじめ、「銀座 小十」店主の奥田透氏、「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」総料理長のミカエル・ミカエリディス氏、料理研究家のコウケンテツ氏などなど、錚々たるメンバーが講師として名を連ねる。
そのほか、大学生向けの食育イベントや著名シェフによる親子料理教室などの「味覚のアトリエ」、参加レストランが五味を取り入れた料理のレシピカカードを提供する「味覚の食卓」なども同時開催。食欲の秋、改めて親も子もともに、奥深き“味覚というワンダーワールド”を楽しんでみたい。
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味覚の一週間
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